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【Y-Biz】ついに来た!テスラの人型ロボットが私たちの生活・仕事・社会環境が激変する日も近い?

はじめに先日、テスラ社のヒューマノイドロボット「Optimus Gen 3」の発表がありました。私は、YouTubeでそのニュースレポートに触れましたが、この発表は間違いなくロボティクス業界、ひいては社会全体に大きな波紋を広げてると思いました。イーロン・マスク氏の野心的な価格設定や、テスラが抱える自動運転に関する問題など、様々な要素が絡み合い、このロボットがもたらす未来は複雑かつ多岐にわたるものと私は思いました。今回の記事はテスラ社のヒューマノイドロボット「Optimus Gen 3」の話題について少し深掘りをしてみます。潜在的なポジティブな影響*労働力不足の解消:単調な作業や危険な作業をロボットに任せることで、人間の労働力をより創造的な分野にシフトさせることができます。特に高齢化が進む社会において、労働人口の減少を補う重要な役割を果たす可能性があります。*生産性向上:ロボットは24時間365日稼働することが可能であり、生産性の向上に大きく貢献します。より高品質な製品の製造や、新たなサービスの創出にもつながるかもしれません。*生活の質向上:家事や介護など、日常生活をサポートするロボットの登場により、人々はより豊かな時間を過ごすことができるようになります。医療分野においても、手術支援やリハビリテーションなど、様々な場面で活躍が期待されます。潜在的なネガティブな影響*雇用への影響:ロボットの導入により、多くの労働者が職を失う可能性があります。新たな雇用が創出される一方で、社会全体の雇用構造が大きく変化することが予想されます。*倫理的な問題:ロボットが高度な知能を獲得した場合、人間と
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7割スタート! 最初から完璧を目指さない!【アラフィフ心理カウンセラー「うさぴょん」のココナラ電話相談】

私たちの日常は多くのタスクや挑戦で溢れています。新しいプロジェクトや目標に取り組むとき、ついつい完璧主義に囚われ、「最初から完璧でなければ意味がない」と考えがちです。しかし、実は進化の原点は7割スタートにあるのかもしれません。 完璧主義は素晴らしい目標を持っている一方で、時には進捗を妨げる要因となります。最初から完璧な状態を求めることは、新たな挑戦に対する自分自身へのプレッシャーを高め、失敗への恐れを引き起こします。そこで、私たちは「7割スタート、完璧を目指さない」哲学に焦点を当ててみましょう。 この哲学の根本には、進化と学習のプロセスがあります。何か新しいことを始めるとき、最初は十分に理解していなくても、7割の知識やスキルを身につけてスタートすることが大切です。これにより、早期から実践を通じて学び、進化できる余地を生み出します。 7割スタートの利点は、失敗や誤りから学ぶ機会を提供することにあります。完璧を求めずにスタートすることで、失敗を恐れずに新しい経験やアイデアに挑戦できます。そして、それらの挫折から得られた洞察が、次なる進化へと導いてくれるのです。 例えば、新しいプロジェクトに取り組む際、最初のうちは計画通りに進まないことがよくあります。しかし、そのプロセスで得られる実践的な知識や経験が、最終的には目標に近づく手助けとなります。失敗を受け入れ、修正しながら進むことが、持続可能な成功への道です。 つまり、7割スタートの哲学は、柔軟性と適応力を育むものです。完璧を求めるあまりにプロセスに固執するのではなく、柔軟に変化に対応し、失敗から学び進化することで、より良い結果にたどり
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<閲覧注意>芸術論談義⑥ ~芸術とビジネスの関係性~

こんにちは、こんばんは。Philip/K/Komです。あっという間に2月も最終日になってしまいました。なんか昨今では某ウィルスのまん防とかで、また世の中が陰気な雰囲気になっています。まあ、人類の歴史とはウィルスとの戦いの歴史でもあるので、慎重になるのは仕様が無いとは思いますが、なんか政府はコンセプトが無いというか・・・そんな事言っていても始まりませんので、やっていきましょう。今回は、「芸術とビジネス」についてです。当ブログでずっと書いていますが、あくまで私の経験則と所感なので「正しい」とか「間違っている」とか特に気にせず書いていますのでご了承下さい。もちろん事実がある事に対しては可能な限り間違った情報を出さないように気を付けてはいます。<現代日本の芸術”感”>以前書いた「芸術論談義」であったように、芸術活動というのは中々継続的に活動していくというのは工夫が必要となってきます。なんでかというと、美術品や芸術品は、世の中に必須というわけでは無いからです。そう書くと「芸術の無い生活なんて意味が無い!」という人もいそうですが、そういう高尚な考えを持っている方もいるにはいますが、大体多くの方は芸術に対してお金を払うという考えはあまり強くはありません。まあ年に何回かは美術館に行ったり、映画に行ったりとそういうのも芸術活動のひとつではありますが、もっと生活に入り込む様な芸術感を持って、インテリアに拘ったり、絵を飾ったりする方は少数派と言えます。要は「衣食住」の様に、無くてはならない。というモノではなく、あくまで趣味・趣向のレベルに留まってしまっているとういのが現代の芸術というように感じます。
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<閲覧注意>芸術論談義② ~AIはアートを駆逐するか?~

☆このブログは、【Zarathustra Art Projects】のHPブログの転載です☆こんばんは。Philip/K/Komです。 と言っても、読んでる人が夜なのかわからないから、一応こんにちは。 本題に入る前に、この記事のカバー写真をなぜこれ(炎 Heart of flame)にしたかというところから話そうと思う。結論から言うと、今まで書いてきた絵の中でもとても満足度が高いOutputになったからなんだよね。(別に今まで描いた絵も手を抜いたものは無いよ) それが、「ここの勢いが良い」とか「このへんの色調バランスが良い」とかいう分解した要素で良いという感覚じゃなくて、観て「あー、けっこう良く描けたなー」って思うんだ。 まだ売れていないから、僕の家のリビングの壁に掛けてるんだけど、目に入ると色んなことを想起するんだよね。まあこれは親バカかもしれないから、なんとも言えないけど。 でもアートのあるべき姿、つまりアートのイデアがほんの少しだけ垣間見えた気がしたんだ。 例えばさ、何か料理を食べるときに、「これは○○産の食材だから風味が良いのか」とか「わずかにシナモンでアクセント付けている」とか考えないだろ。(「おいしんぼ」は別として) 一口噛んだ時に「旨い!」 この一言で全てだと思う。お客さんにとってはね。 もちろん、作り手側は色んな食材や技法とかこだわりがあるんだろうけど、それをお客さんに必死に伝えようとするのって僕からすると野暮なんだよね。 裏方の良い仕事っていのは、知られないからこそ粋なんだよ。そんなの押し付けられても「情報食ってるわけじゃない!」ってならんかな? まあ、自分達
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