発想・欲求から言葉になるまでの時間

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この時間が短ければ短いほど生きることが楽になる。
思うことを発していい。

この時間が長くなるほど、生き辛くなる。発する言葉を選んで選んで相手の反応を予想して、こうやったら怒る?こうやったら機嫌悪くなる?常識ないって思われる?と考える。人への信頼が無いほど考える。

だって発したい言葉は自然に湧くもの。同じことを誰もが同じように感じる。
だから、発していい。

悲しくジャッジされない、裁かれない、怒られない
だって怒られることしてないもん。生きてるもん。

私は親の前で「見せてる自分」と「本来の自分」の差がすごかった。いつも「見せてる自分」が正しいのか悩んでいた。そのことにものすごいエネルギーを使っていた。自分は変な人間なんじゃないかと悩んでいた。だっていつも否定されていたから。いつか肯定される答えがあると思っていた。私が間違っているから、肯定されないんだと思っていた。迷路。ずっと迷路の答えを探し続け苦悩し続け、親の顔色を伺い続け、びくびくしながら、必死に言葉を発していた。緊張しながら、怯えながら、いつ否定されるんだろうと心配にエネルギーを消耗しながら、コミュニケーションをとっていた。

コミュニケーションとは本来そんなにエネルギーを消耗するものじゃない。思ったままをそのまま発することに悪はない。そんなに私は悪いことを、言葉を発する変な人間じゃない。ナチュラルな人間だ。

誰が相手かでどんな反応をされるか100%決まる。

私は親の否定反応に苦悩し続けてきた。どうすれば否定されずに済むのか。自分の何が間違っているのか。こうすれば、ああすれば、これを直せば、ここを直せば、あれが間違っていたから、あの私が悪かったから、いろんな方向で答えを探しつづけた。全人生をかけて。

それしかし、答えは見つからなかった。親の反応は安定しなかったし、もう私にできることは手をすべて尽くしていたから。結果は親の勇気不足だった。
認める勇気 肯定する勇気 ポジティブでいる勇気

「素で感じていることと、言う言葉」に差がないほど生きる力が湧いてくる。無駄がないから。今でも素の言葉を発することにふとものすごい不安に襲われる。特に自分だけ相手より楽な状況に置かれているような気がするとき。
申し訳なくなる。情緒不安定になる。悪い子って思う。

ほんで何かしらの罪滅ぼしをしなきゃって自分を心の中で「ばかばか」って責める。せめてもの自傷行為。なんかやった感 罪悪感を薄めるため

誰もが生きてるだけで罪を犯したりしていない。存在していることで感じていることで、息をしていることで罪を作り出したりしない。生きてるだけで罪なんてことない。

もしも、発する言葉で罪が生まれるなら、誰かを傷つけるなら死んだほうがいい。通常の言葉にそこまでの力はない。人にはそれぞれ自己肯定力があって自分をよく解釈する力がある。守る力。

それさえあれば、どんなことを言われたって大して傷つかないし、ショックを受けない。あとにもひかない。
しかし、うちの親は後にひくひく。何度もそのことを責められる。あのときのあの言葉は嫌だったとか血相を変えて言われる。必死に泣きそうに言われる。30も離れた人生勉強中のわが子に。言わなきゃ気が済まないのだ。心に自助作用がないから。傷つきやすくて仕方ないし、情緒不安定で仕方ない。

その中で育ってきて、翻弄された。自分は傷つけやすい人間なんじゃないか。
人を傷つける言葉を発する人間なんじゃないか。自分は悪なんじゃないか。
そんなことに40年も悩まされ続けて、自分を改善しなきゃ病にかかって、みじめで怖くて不安で迷子だった。

私は傷つける人間なんかじゃないし、みんなと何も違わなくない。みんなと一緒。安心した。私はみんなと一緒の誰かを傷つけない人間。

安心した。生きいけるよ。

私は煩わしい人間じゃないんだ。私は完全に自己意識が崩壊してる。自己肯定感も破壊してる。もうもはやない。みじめで孤独で地に落ちてる。
それくらい否定して生きてきた。自分を他人を全部。
生きることが辛くてしんどくて。苦しかった。
生きる隙間が人間との会話のなかになく、ストレスしかなく。
言葉を発することが辛かった。

だってなんでも否定されたから。私の発する言葉はすべて間違ってる。
わたしの言葉は間違ってる。発しちゃいけない。否定されるから。
だから私は言葉を発しちゃいけない。

そう思ったんだ。

【ここまで読んで私と仲良くなりたいと思ったひとはお仕事頼んでね^^
またね。読んでくれてありがとう。





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