「愛」の土台となるもの

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コラム

愛していればこうゆう行動をとる、というマニュアルがあったとして、
その通りに行動すれば愛している、という訳ではない。


本当は愛したいのに、エゴがたくさんあって、


純粋に愛することができないとき、



「愛する行動(と思っているもの)」が計算的で期待を持ったものとなり、
相手の反応次第で、喜びになったり悲しみになったりする。



相手の反応次第で自分の感情が大きく揺れて
振り回されているように感じ、とても疲れる。



「愛する」難しさを感じたり、
自分には「愛する」能力がない、と決めてしまったり。



次第に自分自身にも疲れを感じて、投げやりになり、
またイヤな毎日に戻っていくことを繰り返してしまうかもしれない。




自分の「本当の望み」を真ん中に据えた生き方をしていると、
相手の反応次第で生き方を変えることはない。




まず、自分を愛せるようになることは土台となる。




周囲の誰かを使って、
「愛」を確認しようとすることを止め、



自分を愛せるように、自分のエゴに気づいていくことが大切になる。



親に愛されなかった自分、
恋人やパートナーに愛されなかった自分、

それが「自分」と、
自分で決めつけてしまっているとき、

エゴに飲み込まれていることになる。



親に愛されたらどんなに良かっただろう・・・
恋人やパートナーに愛されたらどんなに誇らしかっただろう・・・


理想と現実のギャップに打ちのめされている気持ちも
痛いほど分かる。



その領域を十分に味わって、イヤ過ぎて、
「もうそこから出よう!」と決心できると、
新たな世界が動き出す。




愛するとは、どうゆうことか?




どんな考えが自分を批判しているのか
どんな感情が自分を苦しくしているのか
どんな感覚に怖さを感じているのか


自分の内側を自分で知っていくことが大切になる。



「愛」を「愛」と感じさせなくしているモノに
自覚的になると、


それが「不必要」と分かるようになる。


すると「愛」の純粋性が高まっていき、


「愛する」ということが体感を通して積み重なり、
心と身体で「愛」が一致していくようになる。




これは「技術」であり、「運」ではない。



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