「これ、すごく良かったから見てみて!」
そんな風に、大好きな人や大切な友人から映画や本を勧められたとき、あなたはどんな気持ちになりますか?
きっと、その場では「ありがとう!チェックしてみるね」と笑顔で答えているはずです。
でも、心の奥底では、ズンと重たい鉛のようなプレッシャーを感じてはいないでしょうか。
「もし、見てみて全然つまらなかったらどうしよう」「もし、相手が感動したポイントに全く共感できなかったらどうしよう」
そんな不安が頭をもたげて、結局その作品に手をつけられないまま、時間が過ぎていく。
そして相手に会うたびに、「あ、まだ見れてなくてごめんね」と、逃げるような言い訳を繰り返してしまう。
そんな自分に対して、「せっかく勧めてくれたのに、なんて不義理なんだろう」と、自分を責めてしまうこともあるかもしれませんね。
でも、心理カウンセラーとして、僕はこう考えています。
あなたが作品を見られないのは、あなたが冷たいからでも、怠慢だからでもありません。
むしろ、相手との関係をそれだけ大切に思っていて、相手の世界を壊したくないと願う、あまりにも純粋で優しい配慮ゆえのことなんだろうな、と。
繊細な気質を持つ方は、他人の感情や「大切にしているもの」を敏感に察知します。
相手がその作品をどれだけ愛しているかが分かってしまうからこそ、自分の「合わなかった」という感想が、相手を否定することに繋がるのではないかと、怖くなってしまうんですよね。
もし正直に感想を伝えて、「えっ、あそこが分からなかったの?」「合わないんだね」なんて言われてしまったら。
まるで自分たち二人の間に、決定的な深い溝ができてしまうような、そんな「価値観の不一致」を突きつけられるのが、たまらなく怖い。
だからこそ、見ないことで、その「不一致」が露呈するのを必死に防ごうとしている。
いわば、大切な人との繋がりを守るための、防衛本能のようなものなんだと僕は思います。
でもね、少しだけ肩の力を抜いて考えてみてほしいのです。
そもそも、この世界に全く同じ感性を持っている人なんて、一人もいません。
たとえどんなに仲の良いパートナーでも、血の繋がった家族でも、好きな色や美味しいと感じる味、感動する映画のシーンが違うのは、実はとても自然なことです。
むしろ、違う感性を持っているからこそ、二人でいる意味がある。
僕は、愛とは「同じものを見ること」だけではなく、「違うものを見ているお互いを認め合うこと」でもあると考えています。
「あの映画、私はここが少し難しかったけれど、あなたはあそこが好きだったんだね」
そんな風に、違いをそのままテーブルの上に置ける関係こそが、本当に心地よい関係に育っていくのではないでしょうか。
もし、どうしても感想を言うのが怖いときは、「全部を肯定しなきゃ」という思い込みを一度手放してみませんか。
「映像が綺麗だったね」「あなたがこれを好きだと言った理由が分かった気がするよ」といった、嘘のない範囲での感想だけでも、十分すぎるほど相手への誠実さは伝わります。
大切なのは、作品を評価することではなく、それを届けてくれた相手の気持ちを、あなたが受け取ったという事実そのものです。
「まだ見れていない」という自分を責めるエネルギーを、どうか「それだけ相手を大事に思っている自分」を労わるエネルギーに変えてあげてください。
あなたは、相手の心に土足で踏み込まないように、ずっと気を遣ってきた、本当に心の温かい女性です。
少しずつ、自分の感性に「違ってもいいんだよ」という許可を出してあげられるようになるといいですね。
その一歩が、あなたをもっと自由で、もっと深い人間関係へと連れ出してくれるはずだと僕は信じています。