ふとした会話の中で、相手が発する「ね」と「よ」。
このたった一文字の違いに、胸がざわついたり、言葉にできない違和感を覚えたりすることはありませんか?
繊細な気質を持つあなたは、相手が放つ言葉の温度や、その裏にある微妙なニュアンスを、まるで高性能なアンテナのようにキャッチしてしまいますよね。
「そうだね」という同意の言葉。
そして、「そうだよ」という教示の言葉。
この二つの違いから、相手が自分を対等なパートナーとして見ているのか、それとも無意識のうちに自分を「導くべき対象」として下に置いているのかを、あなたは無意識に分析し続けているのかもしれません。
心理カウンセラーとして、僕はその繊細さは決して「考えすぎ」ではなく、あなたが自分自身の心を守るために磨いてきた、とても大切なセンサーなのだと感じています。
「そうだね」という言葉には、お互いの視線を同じ高さに合わせるような、横のつながりの温かさがあります。
あなたの意見を肯定し、同じ景色を見ようとする「共感」の響きがそこには含まれていますよね。
一方で、「そうだよ」という言葉は、時に正解を教えるような、上から下へと流れる縦のエネルギーを帯びることがあります。
もちろん、相手に悪気はないことがほとんどでしょう。
それでも、何度も「そうだよ」「こうなんだよ」と教えられるような話し方をされると、なんだか自分が幼い子供のように扱われているような、そんな寂しさを感じてしまうのは、あなたが相手と対等な魂の交流を求めているからに他なりません。
誰かに合わせるのが得意なあなたは、相手が「よ」の口調で来れば、無意識に「教えを請う側」の役割を演じてしまうこともあるでしょう。
相手を立てて、その場の空気を壊さないように振る舞うあなたの優しさは、本当に素晴らしいものです。
けれど、心の中では「どうして私はいつも、教えられる側なんだろう」「どうして私の言葉は、そのまま受け止めてもらえないんだろう」という小さなトゲが刺さったままになっていませんか?
心理カウンセラーとして、僕はそんなあなたの心のトゲを、一つひとつ丁寧に、優しく溶かしてあげたいと願っています。
相手の語尾に敏感になってしまうのは、あなたがそれだけ「相手との心の距離」を大切にしようとしている証拠です。
分析してしまう自分を責めないでくださいね。
「あ、今の語尾は少し強かったな」とか「この人は今、私を導こうとしているんだな」と気づけることは、人間関係の地図を正しく読み解くための強力な武器になります。
もし、相手の「……だよ」という言葉に心が沈んでしまったときは、まずは心の中で「私は今、対等じゃない感じがして寂しかったんだね」と、自分自身に「ね」の言葉をかけてあげてほしいのです。
あなたは、誰かの下に置かれるような存在ではありません。
あなたの感じる違和感は、あなたがあなたらしく、誇りを持って生きていくための道標です。
ほんの少しの語尾の違いに気づけるその繊細な感性を、これからはあなた自身の心を守り、愛するために使っていきましょう。
僕も、あなたのその繊細なアンテナを大切にしながら、いつもここで寄り添っていますね。