小学校生活3

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…おばあちゃんが死んだ…

呆然としました。

なんであの時無理にでも一緒に行かなかったのか…
怒られても一緒に行けばよかった…
これからどうすればいい…

色々考えてみたけど、私にできることも、もうしてあげれることもない。

おばあちゃんの葬儀が行われた。
そこには、父の兄がいた…

父の兄は、結婚して県外に行ったきり、一度も家に来たことはない、私は初めて会った。

夜になり、怒鳴り声がしてきた
どうやら「遺産」で揉めているようだった。

よくドラマでみる、あの喧嘩。
子供ながら、すぐに遺産争いだ、ということはわかった。

怒鳴り声とたまに聞こえてくる何かをたたく音…
それにおびえながら夜を越した…。

朝になると兄はもういなかった。

葬儀がまだ完全に終わっていないのに、だ。

それ以来、私もその兄のことが憎くなった。

そして、父と二人の生活が始まった…。

そもそも「父」という存在は私の中では、私の生活の中にあまり存在しない人だった。

その父との生活
想像もできなかった

父は、祖母の死後、職を辞め、私の生活リズムに合わせれるような仕事についた。

それから、毎朝、顔を合わせるようになったが、お互いがぎこちなかった。

父は、私が食物に対して「苦手だ」とわかると、毎朝苦手な食べ物を出してきた。それを食べ終わるまで学校には行かなくていい、とまで言われた。
ごはんが苦痛になっていった

そして父は、私に対して冷たく当たるようになった。

テレビも見せてもらえない
夜ごはんが済んだらすぐ勉強
漫画は読むな
など、規則ができた。
そして、父が趣味でやっているマラソンなどに強制的に連れていかれた。
結果を見て怒鳴る。

もちろん、学校での出来事など聞いてもらえるはずもなく

だんだん自分の居場所が無くなっていった…

それでも、私には逃げる場所などない。

そんな毎日をやり過ごすしかなかった。
誰にも相談する人も、頼れる人もいなかった。

もちろん登下校も一人

一人なのを見られたくないのと父と一緒にいる時間を減らしたいので朝は誰よりも早く学校にいった。
帰りは、みんなが帰るのが落ち着いてから一人で帰った。

家に帰っても
一人だった。

父はだんだん私に「習い事」をさせるようになった。
ピアノは続けていたが、私の意見や相談なしに
「学習塾申し込んだから毎週火曜日と木曜日にいけ」
「アスレチック申し込んだから水曜にいけ、道具は用意した」
そのうえに週に二日、父の趣味の「空手」のようなものに付き合わされた。
毎度のことながら、結果が悪いと怒鳴られた。

結果、毎日なんらかの「習い事」が入っていた
習い事で友達を…
と、思ったが、なぜかみんな知ったかのように「無視」
をする。

…そう、その時には「全校生徒」からイジメの対象となっていた。

小学4年生だった。
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