小学生活2

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そういえば、書き忘れていました…

私が保育園児のころ、祖父はガンにより逝去しました…
葬儀は親戚や知らない人で溢れかえっていました。

祖父は、私を「無条件」で愛してくれたと思います。

葬儀やさまざまな儀式が終わり
普段の生活にに戻っていきました…

私と祖母と父の3人。

私は小学3年生になりました。

その当時、「給食袋」というのもが存在して、巾着の中に
「箸、おしぼり」を各自で持ってくる制度でした。

その箸を忘れてきた女の子が私に
「箸忘れてきたから、だれかから借りてきて!」
と頼まれたのです。

うん、とは言いましたが…
私に箸を貸してくれる人なんているんだろうか…

そう思いながらも必死で声をかけて歩きました。

なかなか見つかりません…

とうとう給食時間開始のチャイムが鳴り、私は職員室に行き、担任ではない先生から箸を借りることにしたのです。
借りる箸は「来客用」の箸でしたが、返す時は、給食室に返し、先生に「割りばし」を返すシステムでした。

私はもちろん給食なんて食べてません…

給食時間も半分過ぎていたので、走ってその子に箸を渡そう…

……!!
…食べてる…

その子は友達と笑いながら給食を食べていました。

その子に箸を渡すと「遅いよ!箸をあんたが返しておいて、箸は他の人に借りたからもういらない!」
と吐き捨てられました。

担任の先生には「今まで何やってたの!!」と怒鳴られ
私は何も言えず、自分の席に座り給食を食べ始めましたが…
時間がない…

急いでも食べれたのは半分以下でした…。

それから何度も何度も、「命令」をされるようになりました。

なぜ断れなかったのか…

その理由は1つしかありせんでした

嫌われたくなかった

その頃には、遊んでくれる友達おろか、話しかけてくれる人もいませんでした。話しかけても「無視」…

私は、話しかけてくれる人なら誰でもなんでもよかったのかもしれません…

そんな生活でも帰ってくると祖母が待ってくれています。
買い物に一緒に行くのが好きでした。
ほしいものは買ってはもらえないけど、荷物を持ったり、祖母の話を歩きながら聞くのが大好きでした。

そんな12月のある日
秋田の5時過ぎはもう暗いです。
祖母が買い物に行くというので一緒にいくと言ったら、物凄い勢いで、今日だけはダメだ!家にいろ!というのです。

私は、家で待つことにしました…

ところが、何時間経っても帰ってこず…
父の職場の電話番号も知らなかったので連絡も取れず、とうとう父が帰ってきました。
時間は夜の8時頃だったと記憶しています。

父と顔を合わせるのは、何か月ぶりだろう…
「お父さんって、こんな顔だっけ…」
と、なぜか不思議な感覚があったのを覚えています。

父は何かを察したように、どこかに電話していました。

そして一言…
「おばあちゃんは事故にあった。病院いってくるから〇〇ちゃんの家にいろ」と…。

もちろん〇〇ちゃんとは仲良くはありません。

ですが、父がその子の親に説明をし、私は預けられることになりました。

さすがにその子も察したのか、意地悪いことは言ってきませんでしたが、それどころではありません。

けれど「きっと大丈夫」と自分に言い聞かせるしか方法はありませんでした。

翌朝…

〇〇ちゃんはいませんでした、平日だったので学校へいったそうです
私は、ランドセルも持ってきていなかったので、家にとりに戻ろうとしたとき、その子のお母さんから、「もう少しでお父さん帰ってくるから迎えに来るまで家にいて」と言われたので、待つことに…

しばらくして父が帰ってきた…

その子の親と何か話していたが聞き取れなかった

車に乗り、父が発した言葉は

「おばあちゃん、死んだよ」
でした。
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