小学校生活4

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小学校生活は、楽しい思い出というものは存在しなかった。

運動会はビリになった私を責める父
お弁当は二人…
車の中で食べた。

それでも唯一、父の自慢できるところは、お弁当、毎日のご飯は全て手作りだった。

カップラーメンなど食べたことがなかった。

家では無言か怒鳴られているか…
学校では無視されてバイキン扱い。

そんな小学校生活に転機が訪れた。

突然の「母親」と名乗る女性から電話がきたのだ。

「もしもし?誰かわかる?」と…
私は、聞いたことのない声だった。
「お母さんだよ」
……。

私はなぜか、「お母さんはもういらない」と思った。
その直感を無視しなければよかったと今でも思う。

私は「会いたくない」といったが、母親と名乗るその人は食い下がった。
「お母さんに会いたくないの?寂しいでしょ?なんで?お母さんはこんなに会いたいのに!」と…

それでも、その時の私には塾があった。
それを言い訳にしたが、「5分だけでいいから」とあきらめない…。

そんなやり取りをして結局会うことになった。

近くのパチンコ屋さんで会うことになった、
そこで母親という人は私に会うなり、抱き着いてきて号泣した。

私は、ただ茫然と立っていた。
感動などありえなかった。
会いたいと思っていなかったからだ。

それから、母親と名乗る人は毎日のように電話をしてきた。

私が小学5年生のころだった…。

ある日、「家にこないか」と言われた。
もちろん私は断った。
しかし、それで終わる相手ではない、
行く、というまで電話をかけてきた。
「なんで来ないの?」「お母さんが住んでるところを知りたくないの?」「来いって言ってるんだから来い!」だんだん口調も荒くなってきた。

当時まだナンバーディスプレイという機能がなかった時代、誰から電話がきているかわからなかったから出るしかなかった。

そして、家に行くことに…

その家はとある団地の一角だった。

私の家は戸建ての家だったので、衝撃を受けた、

着いたら、それまで怒鳴ってまで「家に来い!」といっていたのがウソのように満面の笑みで家の前に立っていた。

一瞬恐怖を感じた。

そして、促されるままに家に入った。

居間と呼ばれる場所は、決してお世辞にも綺麗とも広いとも言えないような場所だった。
小さい子供の服などがあったから子供がいるのはわかった。

母親という人は、一人で何か話していたような気がするが、あまり覚えていない。
興味がなかった。

その日は、私が家に来たことで満足したのか、すんなり帰してくれた。

その日を境に、頻繁に家に来ることを強要させられた。

もちろん、父に母親のことは言えなかった、
隠れて会っていた。

学校から帰ったら母親の家に行く、というのが習慣になりつつあった。
母親の家族は再婚した旦那と子供が二人いるらしい。

なにか私にはないものを感じていた。



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