僕は、何かに悩んだとき、いつも両親や家族の生き方を思い出します。
あの人だったらどう生きただろうか。
あの人の生き方は、筋が通っていたな。
そんな問いが、僕の判断の基準になっています。
今日は、少しだけ個人的な話をさせてください。
僕の母は、障害とまでは言いませんが、病気を抱えていて、社会生活にうまく溶け込めないところがありました。
子どもの頃の僕は、そんな母を受け入れられず、バカにしたり、ふざけておちょくったりしていました。
反抗期には、勉強で母に反発しました。
母が行けなかった大学に進学し、どこかで自分を誇示していたのだと思います。
そんなある日、母は僕に一冊のアルバムをくれました。
幼い頃からの写真が、丁寧に整理されたアルバムです。
当時は特別うれしいとも思いませんでしたが、家を出るときにそれを手渡されたことは、今でも覚えています。
今になって思います。
あの状態でアルバムを作ることが、どれほど大変だったのだろうかと。
正直に言えば、今の僕は副業や資産形成に力を入れています。
将来は、できるだけ静かで余裕のある生活をしたいと思っています。
でも、母の生き方を振り返ると、
「自分の生き方は本当に正しいのだろうか」
そんなふうに立ち止まることがあります。
資産形成や副業は、人生の本質ではない。
むしろ、僕にとっては「邪道」だと思っています。
ただ、その邪道な役割を引き受ける人間がいてもいい。
一生懸命、正面から生きている人たちが、
もし病気や災難に遭ったとき、支えられるように。
そのためのセーフティーネットを張る。
それが、今の僕が選んでいる役割です。
人には、それぞれの生き方があります。
正解も、不正解もありません。
ただ、考えすぎて苦しくなる瞬間は、誰にでもあります。