おやすみスランプ

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小説
スランプです。
長期スランプは脱せたのですが、一ヶ月の間に何度も来るスランプとは月経のように落とし所を見つけて付き合うしかありません。

文章を書くスランプから逃げるためにブログを書きに来るというのは滑稽ですが、発散になればなんでも良いのです。
書くことを一度やめてしまえばなかなか戻れなくなります。
どんなことでもそうだとは思いますが……

ココナラブログという少しマイナーな場所で文章を書くというのは程よく力が抜けて楽しいです。
普段なら決して言わないようなことも書けてしまいます。
多分、私以外の人間が見たらとってもどうでも良いことなんでしょうけどね。

という訳で(?)今日はスランプを脱するために初心に戻って、文章を書き始めたきっかけと、ここまで文章を書き続けている理由を考えてみようと思います。

二次創作と羞恥心

今時の文章書きだと二次創作から出発している人が少なくないのではないかと思うのですがどうなんでしょうね? 
権威ある純文学だって海外作品からのオマージュが多いので、物書きなんてみんな何か好きなものがあって、それを自分なりに書き直すところから始まるものだと思っています。
私は純文学な人間ではないので、おしゃれな海外文学ではなく、コテコテにアニメの二次創作から出発して今も文章を書いています。
おそらく初めて小説(というか二次創作)を書いたのは小学3年生の時です。
大好きだったカードキャプターさくらを、筋もそのまま小説にしました。
なので最早創作でもなんでもないのですが……でも、漫画という絵を文章に落とし込むのがとても楽しかったのを覚えています。
そのためかどうか分かりませんが、私の文芸活動は頭の中にある美しい1シーンのために物語を作り上げるというのが定石になっています。
それから中学生になり、なんとなーく「萌え」を感じたアニメの二次創作小説を書いたりして、それが作品人気のおかげもあり、多くの人に読んで貰えたりして、人に自分の文章を読んでもらえる喜びも感じられるようになりました。

でも、二次創作やアニメを好むのは高校2年生ぐらいのタイミングでやめちゃいました。
高校生になり、大学生になると二次創作をやったり、アニメやライトノベルに親しんでいる自分が恥ずかしくなってきたんですよね。

まだまだ作品に対する愛はあった筈なのに、無理やりそういうものを封じ込めて、代わりに名作と呼ばれる純文学を無理やり詰め込み始めました。
今は純文学も好きだし、良さも分かるんですけどね。
多分あの頃の自分はまだまだアニメや漫画、ライトノベルを愛していたと思います。

勿体無いことをしたなぁと思います。
純粋にエンタメを楽しめる時期というのは短いです。
それをきちんと味わってから大人になれば良いものを、くだらない見栄のために自身の感情を押し殺してしまいました。

そんでもって、こんなことがきっかけでスランプが6年も続くなんて、思わないじゃないですか。

美しい感想文

無理やりアニメ・漫画、ライトノベルの摂取を拒否し、二次創作をやめた私はオリジナルの小説を書くようになります。
でももう本当に苦しくて、書いても書いても書いてもそれが二次創作のような気がして、「恥ずかしい」ライトノベルのような気がして、いつも完成させられませんでした。
「好き」を封じ込めて、自分に嘘を吐いた代償です。
自分が愛したものを恥ずかしいなんて思った罰です。

それに気付いて慌てて昔愛したエンタメの世界に戻ってきた時、私はすでにそれらを楽しむ感性を殺してしまった後でした。

好きを丁寧に育ててあげれば自然とその時の自分に相応しい作品が書けたんでしょうにね。

私はもう長編小説を書くことを諦めて短編小説を書く方向にシフトしました。
書けば書くほどみっともない文章が生産されるので、できる限り綺麗な文章だけを詰め込んでとっとと終わらせてしまおうという訳です。
そうしてなんとか書き上げた短編小説をどこでもいいから発表してみようと思って、あるWebサイトに投稿しました(非常にマイナーなサイトで、おそらく今はもう存在していない)。

この時に二人の読者の方から頂いた感想が今も小説を書く原動力になっています。
これは私の宝物なので引用することはしません。
どのようなものかだけ説明するとすれば、非常に丁寧に作品を読み解いて、小説のように文章が編み上げられた感想が送られてきたんですね。
私の好きな文章というのは月の光のように静かで、洗練された文章なのですが、最早感想文の方がその域に達している。
あまりにも嬉しくて、スクショを撮ってバックアップも取ったのを覚えています。
もちろん今も大切に保存してあります。

私が愛して作り上げた世界が、それを好ましいと思う読者の方と共有される。
丁寧な感想を送りたいと思ってもらえる程愛して貰える。
これほど嬉しいことがこの世の中に存在するのかと思いました。

読者ありきの小説なんて芸術とは呼べない、不完全な理想だと言われるかもしれませんが、こればかりは仕方ないと思います。
だって、嬉しいですから。
私は自分が愛せる小説を作ると同時に、それを読んだ読者の方が「死にたくなる程好き」と思えるようなものを作ることを目標に文章を書き続けています。

おやすみスランプ

なんかお二人の感想でスランプ抜けられた感じするじゃないですか。
そんなことは全然ないんですよ。
この後もずーっと呪いのようにスランプは続いて、書いても書いてもどの一文も気に入らないっていう状態が続いていました。
じゃあどうしたっつーねん、と言えば最終的に他人の力を借りました。

講座に通ったりはしなかったんですけど、小説作りの本を読んで、批評の勉強もしました(批評の勉強はおそらくしなくても良い)。
あとは少しずつアニメや漫画も見られるようになったので、軽く見てきゃっきゃと楽しんだりしてました。
それでも中高生の時のように、粗とかそういうものが目につかないレベルで没頭することはできないんですが。

感性の上に覆い被されていた布を剥ぎ取って、車のエンジンの掛け方を習った私は、少しだけ納得のいく文章を書けるようになりました。
二次創作をやめた高校2年生から、少し納得できる文章が書けるように戻るまで6年ぐらいかかりました。
納得というのも少し違うかもしれません。
クオリティの話ではなく、ただ自分の書いた文章を愛せるかという次元の話です。
本当に馬鹿なことをしたなぁを思います。
好きなものを好きなまま書いて、成長に合わせて成熟させていけば良かったのにな、と。

まぁ今はそこそこなんとかなっているから、これでいっか、と思っています。

スランプを抜けたら悪徳小説の栄えだった
うーん。やっぱり「こんな現実は捨てて、この小説の世界に逃げたい!」と思ってもらえるような悪徳小説が書きたいなぁ。
現実からの逃避行が私の小説のメタテーマです。
宮崎駿とか、そういうちゃんとした人とは一生分かり合えない創作意欲なんだろうなぁ。
これはもう仕方がない。
よーし、今日も悪徳小説を目指してコツコツ書くぞいっと。おしまい。






















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