イデア界のかけらを持って産まれた女の子をずっと探している。

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うーん、自由って最高!
自由に書けるってとても良いですね! 形式が定められておらず、思ったことを思ったままに書いていい。
いつもいつも気取った文章ばかり書いているので、非常に楽しいです。
美しい文章を書きたいという欲求を昇華するには時間がかかるし、苦しいばかりですが、こういう好きに書いていい場所というのは良いです。
やっぱり文章を書くのは楽しいなぁと思えます。
文章を書く苦しみというのも気に入っているのですが、たまには発散したくもなります。

時刻は25:00。お酒を飲みながら文章を書くのに相応しい時間です。
今日は人と話していて退勤が23:00になったのですが(本題)、緊急事態宣言も明けた金曜日ということで帰り道では酔っ払いをたくさん見ました。

というか、今まで見てきた酔っ払いの中でも特上にヤバイ人を上野駅のホームで見ました。
酔っ払いが閉まりかけの可動式ホーム柵をするりと抜けて、電車の車体に引っ付いたんですよね。
そのまま電車が発車しかけたので駅員さんが慌てて緊急ボタンを押していて「ひえ〜」って感じです。
あのまま発車していたら、私は人体が高速で擦り切れていくところを見ていたんだなあと思うとゾッとします。
そういえば今日は上野駅で人が刺されたらしいので、上野駅にとっては厄日でしたね。

話を聞いてもらうということ

さて本題。
人に話をする時って、ほとんど真剣じゃないです。
大体いつも適当なこと言ってます。その人が聞いて納得しそうなことを言うのに終始しています。

でも、今日はネタのつもりで言った真剣なことがネタではなく真剣に捉えられてしまったせいで、盛大に真剣に口を滑らせてきてしまいました。

私の話は想像と現実が等価に語られるし、抽象的だし、こういった話をするのに言語というのは全く力不足なこともあって非常にわかりにくい。
こういう話はしたところで誰も興味がないし、変な奴だと思われるのが必至なので、真剣には話さず、人を笑わせるネタとしてたまーに使ってます。

今日はオフィスに私含めて4人が残って残業していたので、ちょっとなんかネタを出すかと思って適当なことを言ったんですが、めちゃくちゃ突っ込みを入れてくる先輩がいてですね……普段なら適当に煙に巻くんですが、もうめっちゃ質問される。自分が理解するまで質問し続ける! って感じで質問攻めにあって、適当な理由付け言ってしまったやっべと思うと同時に嬉しく、驚きました。

こんな話をちゃんと聞いてくれる人がいるんだなぁと。

私の話は様々な本を読んだり、それを元に膨らませた想像でできているので、おそらく本を読んで、そういう想像をしたことがある人でないと面白くありません。

私自身そんな大した読書家ではないんです。
本当にネットとか見たらゴロゴロいるレベルの読書好きです。
それでも読書家とリアルで会うことって少ないんですよね。
だから、今までちゃんと人に話を聞いてもらったことや理解してもらったことはないよなぁと思っていました。

そんな矢先にこんな人が出てくるからびっくりします。
私と同じように現実と想像が等価の世界で生きている人ではありませんでしたが、生まれてきてから初めて人に思ってることをちゃんと聞いてもらえて、しかも私の言ってる内容を理解してくれた(受け入れるとか承認するとかではな
い)というのがもう驚きすぎてめちゃくちゃ眠い中この文章を書いています。

イデアと谷崎

で、何を話したんじゃい、と言うと、本当にいろんな話をしたんですが、今日は一個抜き出して「イデアと女の子」の話をします。
私は女の子が好きなんですが、世に言うレズビアンではありません。
付き合うのは男性です。
女の子ともおそらく付き合えると思うけど……今の所そのような機会には巡り合っていないために、まあ男性と付き合ってきているわけですね。

女の子って最高の存在だと思いません? 
生物として人間の女が完全に好みなんです。
恋とかそういう不純物なしに好きなんです。とってもピュアな気持ち。
柔らかな曲線、長い睫毛、真っ白な肌、高く澄んだ声、大きく輝く瞳……男性でも持ってる人はいるんですが、理屈でなく女の子が好きです。
私はおそらく私のイデアとしての女の子を愛しています。
その女の子のかけらを現実の女の子に探してるんですよね。

谷崎の小説に『青塚氏の話』ってのがあります。
めっちゃ簡単に言うと、女優・由良子を愛するファンが素材を集めて由良子を作り出してしまって、それを由良子の旦那に自慢する、旦那は憔悴して死ぬ、と言うお話です。
いやー意味わかんねーよなーと思うんですが、今は話の筋は関係ないので省略します。(気になる人は原作をどうぞ。しかしスカ○ロ描写とかラブドールとか出てくるので注意。スキモノの性癖に突き刺さる小説です。)
「この世の中には君や僕の生れる前から、『由良子型』という一つの不変な実態があるんだよ。そうしてそれがフィルムの上に現れたり、君の女房に生れて来たり、いろいろの影を投げるんだよ」 (『美食倶楽部』谷崎潤一郎,1989年, ちくま文庫)
引用したかったのはこれ。
由良子は理想の女性というイデアに置き換えられます。
完璧な女としての由良子があって、そのかけらを持った女たちが産まれてくる。
この小説では由良子は実際に存在していて、女優として活躍しているわけなんですが、私は今だに現実世界でイデア・由良子とは会えていません。
(イデアについて知っている人であれば分かるでしょうが、イデアはイデア界に存在しているので、現実として知覚はできません。厳密なのは調べてください)
おそらく一生会うこともないでしょう。

谷崎の描くような美しい女は想像と現実の狭間に生きています。
この現実しか映せない二つの目玉ではきっと由良子には会えません。
でも、由良子は確かにイデア界にいます。
想像の中でいつでも由良子に会えるのですが、私は想像の世界ではなく、現実の世界に身をおいています。
だから、現実の世界でも由良子の存在を見たいと思ってしまうわけです。

私は由良子を探しています。
でも、由良子は想像の中と現実に同時に存在する必要があります。
それが私のイデアの条件だからです。
私にとっての究極の理想の存在は現実と想像の二つが混じり合ったものです。
現実と虚構は相反するものではなく、全く同じものだと思っているんです。
美しい虚構は美しい現実に匹敵します。

……とつらつら言ってきましたが、おそらく誰もここまで読んではいないでしょう。
私の悪文のせいもあると思うんですけど。
今日、19:30すぎからずーっとこんな話をしていました。
この話に質問とか普通ないと思うんですけど、その人は思ったことをどんどん投げてくるんですよね。
話してみると自分でもふわふわしていた部分が無理やり言語化されて引き出されていくのが面白かったです。
でもやっぱり、言語というのは不自由なものだなぁと思います。

※書き終えた後、投稿せず寝落ちしていました。
 まぁいいや、ってことで特に日付関連の修正はせずに投稿します。









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