喜びは深い悲しみを見つめることを助けてくれる
入り口は広く低く、出口は高く浄化されていなければならない去年、Xで見かけて、深く考えさせられた宮崎駿監督の言葉です。どのような話の流れで語られた言葉なのかは分からないけれど、私が癒しに向き合うなかで大切にしていることと共通するものがあるな、と感じました。「入り口は広く低く」というのはおそらく、監督が作品を作る上で、それがどれだけ大切なことであったとしても、入り口の段階からシリアスな深いテーマを掲げすぎると、近寄りがたくなってしまうから、ということなんだろうな、と解釈しています。どれだけ大切なメッセージを訴えたくても、それは少しずつ少しずつ観客の心を解きほぐしながら、心を開かせながら、でなければいけない。でなければ、そもそも「高い浄化力」が上手く作用することもないのだと思います。でも物語が一貫して、浅いところに終始していたら誰の心にも残らないのだと思います。物語、作品というのは人が一人では辿り着けないような深みに誘えてこそ、価値を持つものだと思います。私は心の癒しにおいては、喜びというものの要素もすごく大切だな、と感じています。今、私は前よりも深く自分の人生を見つめて向き合ってみようと思っているところなのですが、それもそもそも自分にもっと喜びを許そうと思えたから。喜びというのは逃げではなく、心をほぐし、開かせ、リラックスさせるものです。深い悲しみに向き合うのも、この世界の辛い社会問題に向き合うのも、喜びを許してあげる優しさがないと、それはただの重たい義務のようになってしまいます。生きる喜びを味わうことを通して、その対極にあるものをより深く理解できるようにもなります。そして何より遊
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