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すぐ自分を許せる人は大した仕事をしない

宮崎駿監督は「すぐ自分を許せる人は大した仕事をしない」と仰っていたと記憶しています。自分を許せないものが、ありますでしょうか。自分の中で納得ができないもの、と言い換えてもいいでしょう。自分を許すことができないから、粘り強く仕事ができる。「もうこのへんで良しとしよう」という考えにならないのですね。私自身の経験からも、どんなに困難な状況でも目標に到達したいという情熱があれば、乗り越える力が湧いてくると感じています。そして、様々な働き方や生き方がある中で、目的や使命を持つことの大切さを実感しています。 大きな目標や夢を追い続ける人々にとって、宮崎駿監督の言葉は、自らの情熱や持続力を維持する上での重要なヒントとなるでしょう。もちろん、すべての人が同じように「自分を許さない」姿勢を持つ必要はありません。しかし、自分の中にある不完全さや不満を、前向きなエネルギーに変えることで、より大きな成果を上げることができると私は信じています。私自身は、どんな仕事の在り方でも構わないと考えていますが、大きなことを成し遂げる人には、宮崎駿監督のこの言葉は大きなヒントになるのではと思います。人の使命によって、仕事に対する在り方は様々です。使命を知りたい人は、こちらのサービスがおすすめです。自分探しをする必要が無くなります。
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宮崎駿監督の映画「君たちはどう生きるか」はなぜ難解なのか(ネタバレあり)

   宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」はストーリーがとにかく難しいと感じる人が圧倒的に多いようだ。なぜ難しいと感じるのだろうか。  戦時中の小学生の主人公は、空襲により病院にいた母を失う。そして、戦火を逃れるために父の再婚相手(主人公の母の妹)の田舎に引っ越すことになる。  その田舎の屋敷はたいそう立派なものだったが亡き母が子供の時、しばらくの間、神隠しにあったことがある場所だった。  ある日、ある奇妙な鳥が亡くなった母に会わせてくれるというので、近寄ってはいけないと言われていた奥の奇妙な屋敷に踏み込んだ主人公はそのまま異世界(霊界)に旅立ってしまう。  その異世界で危機にあった主人公は亡くなったはずの母に助けられる。しかし、その母は子供の姿をしており、主人公を生む前の子供の姿の母だった。つまり異世界(霊界)では時間が止まっており、以前、神隠しにあった母がそこにいたのである。  この映画を難しいと感じる人はまずこの設定に混乱するようだ。タイムトラベルものを知っている人でないと時空を超えた話と言うのは混乱しやすい。  その後、この異世界(霊界)は崩壊するのだが、霊界自体がすべて崩壊するわけではなく、肉体を持ったまま入れる特殊な霊界だけが崩れていくのである。肉体を持ったまま入れる霊界はきわめて不安定な世界だったのだ。 子供の姿をした母は、元いた時代に戻る扉を開き元の時代に戻っていく。  そして、母はその時代で成長し、やがて主人公を生むのである。  主人公もまた自分の時代の扉を開き、自分の世界に戻っていった。  母はやはり空襲によりその後亡くなることになる。 しかし、霊界が存在す
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宮崎駿監督の新作映画「君たちはどう生きるか」とスピリチュアリズム

   広告を一切使わず話題になっている宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」には主人公が霊界に行く描写がある。その霊界の描写が意外に正確なのでスピリチュアルを勉強している人たちからは驚きの声が上がっているようだ。以下にどこの霊界の描写が正確なのか記してみようと思う。    1. まず主人公はおばあさんといっしょに霊界に行くのだが霊界に行ったおばあさんが若返ってしまう。  これは、霊界では本人のイメージで外観を変えることができるため、たとえこの世ではおばあさんでも霊界に行ったらほとんどの女性が妙齢で魅力的になるのである。  これは男性もいっしょで死んだ時におじいさんであっても、霊界でおじいさんの姿でいる人は少ない。みな精悍な若者に変身してしまう。  この記述は「霊界探訪」の著者として有名なエマニュエル・スエーデンボルグの著作にある。    2. 生まれ変わる直前の魂は球体(人魂型)をしている。霊界に来たばかりの人たちはほとんどの人が若返りを楽しんでいるのだが、霊界での修行が進むと自分の姿形に無頓着になり人魂型になる人が増えるという。  このへんの記述は戦前のスピリチュアル研究家、浅野和三郎氏の「小桜姫物語」に詳しい。  霊界で修行が進まないと生まれ変わりは出来ないと言われている。    3. 霊界は時空を超えた世界なので、そこからどの時代にも行けるし、どの場所にも行ける。だから映画にあるように無数の扉はどの時代にもどの場所にも行けるのである。  この記述は量子力学で予言されているようだ。  21世紀で生きていた人が亡くなって、次に生まれ変わった時は室町の戦国時代ということもあるらし
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君たちはどう生きるか

こんにちは。暑いですね~。な~んもないひとときに寛いでいられるというのは豊かなことだなあと感じるこの頃です。久しぶりに、観てみたいなという映画があり足を運んできました。宮崎駿監督の 『君たちはどう生きるか』あまり詳しく書きませんが劇中の中に”我学ぶと死す”(細かい表現は少し違ってるかも)というような表現や、”真人”という主人公に”どうりで死の匂いがぷんぷんするな~”という表現・・・私たちは、生まれてあなたは○○よと名前を付けられ私と呼ぶのよと教えられ学校で教えられ本で学び・・・どんどん、私という知識の塊が強固になるにつれて”私”ではなく、いのちが生きてるということ自然の表現が私たちであることを忘れてしまうのですよね・・・人というのは頭を生きているというのか・・・その知識の世界を生きているというのか・・・今に寛いでいられるのも”私”という記憶の塊頭、思考から自由になっているときそのように感じられる自然と一体化してるときというのか・・・宮崎駿監督が伝えたかったことがどういうことなのかは真意はわかりませんが、人(知識)や我を超えていのちを生きることの大切さを伝えてくださってるのかな?と感じたのでした。
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(微ネタバレ有り)宮崎駿の新作"君たちはどう生きるか”を観てたら寝てしまった件

こんにちは!路上で100人の話を聞いた男のコウヘイです。本日は宮崎駿の最新作である"君たちはどう生きるのか"を観てきました。宮崎駿としては"風立ちぬ"以来、10年ぶりの新作であらすじやキャストなどの事前告知が一切無しという異色な作品。「このビッグウェーブに乗るしかない!!」という気持ちから公開初日に足を運んできました。しかし恥ずかしながら私は映画の中盤頃で寝落ちしてしまい、若干映画の内容を見落としてしまったのです。長年映画ファンをやっていますが、劇場で眠ってしまったことは初めての経験でした。今回はなぜ私が"君たちはどう生きるのか"で寝落ちしてしまったのか考察していこうと思いますので、お付き合いくださいませ。●主人公に感情移入しづらい映画の序盤、主人公の男の子はあまり感情表現をしなかった印象です。ほとんど言葉を発しませんし日常の行動から感情が微妙に染み出してくる部分もあるのですが、彼自身の内面が分かりやすく表現されている部分は個人的には感じられませんでした。近年の邦画界は説明過多な作品が多く、冗長な映画が蔓延している中でこれほど削ぎ落とされた表現が観れるとはびっくりです。もっと映像の中で主人公の感情の機微が表現されているとは思いますが一見しただけではよく分からなかったので、何度も観て考察する必要がある作品だと思いました。●メタファーが難しくて物語の置いてきぼりになる作中にはいくつかのメタファーが登場するが、分かりづらくてついていけない部分が多かった印象。例えばあるシーンで薔薇の花がガラス製品のように割れるシーンがあるが、何かを暗示しているような描写をしているので元ネタや込められて
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君たちはどう生きるか

「君たちはどう生きるか」( 漫画 )を読みました。著者 吉野源三郎原作は1937年に発表されています。多くの方々に読みつがれています。マンガでは2017年に発売され、大変話題となりました。そして最近、宮崎駿監督が10年ぶりの新作!!「君たちはどう生きるか」 2023年7月公開 と発表されました^^ポスターの画像は公開されましたが、ストーリーは未だ明かされていません。あの「となりのトトロ」「千と千尋の神隠し」など多くの名作を世に生み出してきた、宮崎監督がどのようにこの物語を描くのかとても楽しみです♪読みたいと思っていたのですが、なかなか機会がなく… 最近読みました。もっと早く読んでいれば良かった~!!子供時代に読んで考える機会があれば、今の生活や生き方が変わっていたのかな?とも思いました。本当に感動しました。心を動かされました。このような本が時代を超えて読み継がれていくことがわかった気がします。自分の生き方は自分で決めることができる!それは今も昔も変わらない。日常を、どう彩っていくかは自分次第。子どもから大人まで、生き方について考えることができる素敵な一冊です♫
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(58日目)目先のこと < 未来のこと。

目の前のことに忙殺されて我を忘れる日々が・・・まったくと言ってない亀岡です。ヒマかよ!と思われるやもしれませんが、暇ではありません。たぶん。かと言って『あー忙しい』と言うワケでもなく。時間は、「生まれてくるものじゃなくて作るもの。」そう思ってますから。と言っても、「やりたいこと」へ充てる時間を上手に作れない時はストレスを感じます。うまくやれない自分に腹たつ。そんな時は、一息ついて、コーヒーブレイク。ホットのブレンドをホッとするほど飲みながら、自分の未来を想像する。そんな晩は眠れなくなること間違いなし。そう、それはカフェインのせい。☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆さてさて。人間って目先のことばかり目が行きがち。そう思いませんか?しかし、大切なのはその先のことです。目先のことにばかり囚われていては結局は「その場しのぎ」でしか無いです。目先のことに追われていると『今は必要ないだろう』と思うことも。しかしその先を見据えた場合は見え方が変わります。『それ、やっておかないと!』ってね。そして、その行動が新しい利益・発見を生み出します。もちろん新しいことをやろうとしたり、周りの考えと違う意見を発信するとリスクがつきまといます。得をするかもしれないし損をするかもしれない。投資した費用をドブに捨てることになるかもしれません。しかし、失敗するかどうかそれは結果論です。「失敗を恐れて行動しない」のは愚策です。失敗から何かを学ばなければ、その人・その組織は進歩進化できません。前例がないから、とやらないのは「やらない言い訳」をしてるに過ぎません。進歩・進化ができない者はいずれ衰退あるのみ。心置
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おやすみスランプ

スランプです。長期スランプは脱せたのですが、一ヶ月の間に何度も来るスランプとは月経のように落とし所を見つけて付き合うしかありません。文章を書くスランプから逃げるためにブログを書きに来るというのは滑稽ですが、発散になればなんでも良いのです。書くことを一度やめてしまえばなかなか戻れなくなります。どんなことでもそうだとは思いますが……ココナラブログという少しマイナーな場所で文章を書くというのは程よく力が抜けて楽しいです。普段なら決して言わないようなことも書けてしまいます。多分、私以外の人間が見たらとってもどうでも良いことなんでしょうけどね。という訳で(?)今日はスランプを脱するために初心に戻って、文章を書き始めたきっかけと、ここまで文章を書き続けている理由を考えてみようと思います。二次創作と羞恥心今時の文章書きだと二次創作から出発している人が少なくないのではないかと思うのですがどうなんでしょうね? 権威ある純文学だって海外作品からのオマージュが多いので、物書きなんてみんな何か好きなものがあって、それを自分なりに書き直すところから始まるものだと思っています。私は純文学な人間ではないので、おしゃれな海外文学ではなく、コテコテにアニメの二次創作から出発して今も文章を書いています。おそらく初めて小説(というか二次創作)を書いたのは小学3年生の時です。大好きだったカードキャプターさくらを、筋もそのまま小説にしました。なので最早創作でもなんでもないのですが……でも、漫画という絵を文章に落とし込むのがとても楽しかったのを覚えています。そのためかどうか分かりませんが、私の文芸活動は頭の中にある美しい
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喜びは深い悲しみを見つめることを助けてくれる

入り口は広く低く、出口は高く浄化されていなければならない去年、Xで見かけて、深く考えさせられた宮崎駿監督の言葉です。どのような話の流れで語られた言葉なのかは分からないけれど、私が癒しに向き合うなかで大切にしていることと共通するものがあるな、と感じました。「入り口は広く低く」というのはおそらく、監督が作品を作る上で、それがどれだけ大切なことであったとしても、入り口の段階からシリアスな深いテーマを掲げすぎると、近寄りがたくなってしまうから、ということなんだろうな、と解釈しています。どれだけ大切なメッセージを訴えたくても、それは少しずつ少しずつ観客の心を解きほぐしながら、心を開かせながら、でなければいけない。でなければ、そもそも「高い浄化力」が上手く作用することもないのだと思います。でも物語が一貫して、浅いところに終始していたら誰の心にも残らないのだと思います。物語、作品というのは人が一人では辿り着けないような深みに誘えてこそ、価値を持つものだと思います。私は心の癒しにおいては、喜びというものの要素もすごく大切だな、と感じています。今、私は前よりも深く自分の人生を見つめて向き合ってみようと思っているところなのですが、それもそもそも自分にもっと喜びを許そうと思えたから。喜びというのは逃げではなく、心をほぐし、開かせ、リラックスさせるものです。深い悲しみに向き合うのも、この世界の辛い社会問題に向き合うのも、喜びを許してあげる優しさがないと、それはただの重たい義務のようになってしまいます。生きる喜びを味わうことを通して、その対極にあるものをより深く理解できるようにもなります。そして何より遊
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『君たちはどう生きるか』を観て ※ネタバレなし

先日、スタジオジブリ 宮﨑(崎)駿監督最新作「君たちはどう生きるか」を公開初日に観てきました。本作は、宣伝なしでの興行であるにも関わらずジブリ最大のヒット作である「千と千尋の神隠し」の初動の興行収入を既に上回っているということで注目度の高さが窺えます。まず、わたしにとってジブリ作品は2、3歳の頃から慣れ親しんでいるとても大切なものです。特に、「となりのトトロ」はVHSが擦り切れるほど繰り返し夢中になって観ていたと母親から聞かされました。初めて劇場で観たのは高畑勲監督の「平成狸合戦ぽんぽこ」。これは、ニュータウン開発計画によって住む場所を追われそうになる狸たちが、人間の計画を阻止しようとするファンタジー作品で狸側、人間側の両者の視点で描かれます。当初は、子供だったので内容はほとんど覚えていなかったのですが子供ながらに「人間は勝手だな、本当に動物が話せるとしたらこんなふうに思っているのかもしれない」「人間はこの地球上で決して偉い存在ではないのだ」と直感的に感じていたと思います。それ以来、ジブリは新作が公開されるたびに劇場に足を運んで鑑賞してきました。さて、本題ですが、最新作の「君たちはどう生きるか」の公開を最初に知ったのは1年以上前だったと思います。ジブリの公式SNSアカウントに、突然ポスターの画像があがりました。それは、そのまま公式ポスターになり、内容は一切明かされぬまま7月14日の公開日をむかえました。宣伝業界に携わっていた身としてはこの戦略に驚いた....ということは実はなくて、ただただ、宮崎監督が9年もの時をかけて作品を完成させてくれたことにとても感動しました。見に行く前か
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