絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む

すべてのカテゴリ

4 件中 1 - 4 件表示
カバー画像

あちこちの神社で大祭があります。

この連休は、あちこちの神社で夏祭りが開催されています。年に1回の大きなお祭りであったり、半年の区切りのお祭りであったりします。毎年、霊峰剣山の山頂に行って、夏祭りに参加していたのですが、今年は諸事情があって中止しました。山頂はお天気が良くて、良いお祭りだったそうです。神様もお喜びの事だと思います。来年は、体調もしっかり整えて、登頂したいと思います。皆様も、お近くの神社の夏祭りがあったら、ぜひとも参加してみてください。見てみるだけでも良いですよ~。
0
カバー画像

「今、誰もが抱える不安とは⁈💜」🎾🚴‍♀️⚔️🏓⛳😎😍

💎心療内科に通う女性たち💎色々な人たちが心療内科に行っています。編集者であったり、学校の先生であったり、テレビのアシスタント・ディレクターであったり、ブティックの店員さんであったりです。昔は、「心療内科」という言葉が、これほど頻繁に使われることはありませんでした。その代わりに「精神科」「精神神経科」がありましたがこれらは患者側でもあまり自慢げに気軽に口にできる言葉ではなかったように思います。それに対して、いま診療内科に行く人たちは、そのことを声を潜めて言う事はありません。まるでエステティックサロンに行ったかのように「昨日治療を受けたおかげで、今日は随分楽です。」と、ごく普通の口調で話するのです。聞くと、大きな病院には、ほとんど心療内科があるそうです。患者に対して、医師がどんな指示の仕方をするのかというと「そんなに頑張らなくてもいいんですよ!」「そういう事に気が付くのはすごいですね!」とかなかなか上手に褒めてくれるらしいのです。そして、もちろん「精神安定剤」などの処方はするけれども「あまり薬に頼らない方がいいですよ」というアドバイスもあるらしい。それを聞いてちょっとびっくりしました。医師にもいろいろ専門分野があって、かつては心臓外科が花形だった時代がありました。脳外科がエリートコースだったこともあります。最近では、これまであまり日が当たらなかった分野が注目を集めたりもしています。その中で、こうした心療内科というような心の病気の分野に優秀な医師が集まるというのも、時代の動きに沿った変化に違いありません。それだけ患者の数も増えているのでしょう。私が聞いた限りでは、心療内科に行くという
0
カバー画像

AIは褒めてくれる。だから怖い。——修行時代の喧嘩友達が教えてくれたこと

「いいですね!素晴らしいアイデアだと思います!」AIに何か相談すると、だいたいこう返ってくる。気持ちいい。自分が正しい気がしてくる。でも、それが一番危ない。■ 修行時代の、そりが合わなかった男私には、修行時代の友人がいる。仮にZ禅師と呼ぶ。大学時代からの同級生だが、正直に言うと苦手だった。コテコテの関西弁でよく喋る。お寺の生まれではなく、一般家庭から出家した人で、「食いっぱぐれないから」という理由で坊さんを目指していた。私は違った。高校を出てすぐ禅塾(修行の予備校のような場所)に入り、大学卒業後にそのまま修行に入った。いわば、僧侶のエリート街道のような歩み方だった。だから最初、彼の短絡的に見える姿勢が嫌いだった。そんな二人が、同じ修行先に、同じ時期に入ることになった。■ 衝突の先にあったもの喧嘩を繰り返しながら気づいたことがある。彼の打たれ強さ。効率を追い求める合理性。経験ゼロから飛び込んだポテンシャルの高さ。それは、素直に尊敬できるものだった。一方で、私が大事にしてきた「心」の部分も、彼は最終的に認めてくれた。自分と全く違う意見がある。正反対の価値観を持つ人間がいる。最初はぶつかる。腹が立つ。でも、手を取り合えば、一人では絶対に到達できない場所に行ける。最終的には同じだった。「誰かを幸せにしたい」という目標は、二人とも変わらなかった。今はそれぞれ歩む道は違うが、共に頑張っている。今でも、愛媛の恩師のお見舞いには一緒に行く。そのくらい、大切な友人になった。■ AIに足りないのは、このぶつかり合い話をAIに戻す。AIは基本的に「いいですね」と言う。ユーザーの意見に寄り添い、肯定し
0
カバー画像

意志力不要:住職が実践するAI自動化副業術

「今日こそは絶対に副業を進めるぞ」 朝の澄んだ空気の中では、そう力強く決意したはずなのに。 夜になると、疲れ果ててPCを開く気力さえ残っていない。 「また今日もできなかった」 暗い部屋で一人、そんな自己嫌悪の夜を繰り返していませんか。 私も、少し前までずっとそうでした。 「気合と根性さえあれば乗り切れる」 意志の力で副業を続けようと、必死にもがいていた頃があります。 家族のために少しでも収入を増やしたい。 その思いだけで、自分を奮い立たせていました。 ■ 意志力は当てにならない 私は長野県にあるお寺で、住職をしています。 お寺の仕事というものは、自分の予定通りに進むことがほとんどありません。 急な法要や葬儀が入れば、数日間はそちらにつきっきりになります。 突然の来客や、季節ごとの行事の準備にも追われます。 いまも、160名規模の行事の準備で日々走り回っています。 さらに私は、地元の消防団にも所属しています。 早朝のポンプ車訓練が入れば、朝の貴重な時間もあっという間に消えてしまいます。 泥まみれになって帰宅し、そのまま法務に向かう日もあります。 「時間ができたらやろう」 「やる気が出たら一気に進めよう」 そう思っていても、そんな都合のいい日は永遠に来ませんでした。 「やる気がある日」にしか動けない仕組みを作っても、多忙な日常の中では3日もすれば完全に止まってしまいます。 人間の意志の力は、驚くほど脆いものです。 意志力に頼る副業は、本業が忙しい人には根本的に向いていません。 私はある日、自分の意志力を一切信用しないことに決めました。 「頑張る」という発想自体を、手放すことにしたの
0
4 件中 1 - 4