「今、誰もが抱える不安とは⁈💜」🎾🚴‍♀️⚔️🏓⛳😎😍

記事
コラム
💎心療内科に通う女性たち💎
色々な人たちが心療内科に行っています。
編集者であったり、学校の先生であったり、
テレビのアシスタント・ディレクターであったり、ブティックの店員さんであったりです。
昔は、「心療内科」という言葉が、これほど頻繁に使われることはありませんでした。その代わりに「精神科」「精神神経科」がありましたが
これらは患者側でもあまり自慢げに気軽に口にできる言葉ではなかったように思います。
それに対して、いま診療内科に行く人たちは、そのことを声を潜めて言う事はありません。まるでエステティックサロンに行ったかのように
「昨日治療を受けたおかげで、今日は随分楽です。」と、ごく普通の口調で話するのです。
聞くと、大きな病院には、ほとんど心療内科があるそうです。
患者に対して、医師がどんな指示の仕方をするのかというと
「そんなに頑張らなくてもいいんですよ!」
「そういう事に気が付くのはすごいですね!」とか
なかなか上手に褒めてくれるらしいのです。
そして、もちろん「精神安定剤」などの処方はするけれども
「あまり薬に頼らない方がいいですよ」というアドバイスもあるらしい。
それを聞いてちょっとびっくりしました。
医師にもいろいろ専門分野があって、かつては心臓外科が花形だった時代がありました。
脳外科がエリートコースだったこともあります。
最近では、これまであまり日が当たらなかった分野が注目を集めたりもしています。
その中で、こうした心療内科というような心の病気の分野に
優秀な医師が集まるというのも、時代の動きに沿った変化に違いありません。
それだけ患者の数も増えているのでしょう。

私が聞いた限りでは、心療内科に行くという事は、その人が他人に言えない
内面の話を聞いてもらいたくて通っているようにも考えられます。
医者の対応が人間的であればあるほど、どうしても話が長くなるため
一人一人の患者の診察に時間がかかってしまう。
その結果、予約してもいっぱいで、人気レストランのように
何週間も先の順番待ちをしている患者さんもいると聞きます。
とにかく、それくらい心療内科に患者が殺到しているというのは意外でした。
面白いことに心療内科に行ったら会社の同僚に出会ったという人もいました。
「あなたも来ているの⁈」
「いや、わたしは、かなり前からきているのよ!」という調子で
別にまずい所を見られたという感じではなかったといいます。
むしろ自分が長く通っていることを
自慢げに話すケースさえあるらしいのです。
こういう現象があるのを興味深く思いました。
ちなみに、これが精神科の病院で治療を受けたとなると
昔だと世間の受け止め方はかなり歪んでいました。反省点です。

「パニック症候群」あるいは「パニック障害」という言葉があります。
いわゆる「恐慌障害」のことです。
これという理由もないのに突然、、
心臓発作のような息苦しさや動悸を繰り返し、心臓が止まるのではないかという恐怖に襲われます。
多く見られる現象は、過呼吸で、息を吸いこむばかりで吐くことができなくなる症状です。酸素のとり過ぎ状態という事です。
応急処置としては、口を手で覆って、自分が吐いた息の二酸化炭素をもう一度吸うといいのだそうです。
それで、ヘアーキャップみたいなビニール袋をいつも持ち歩いている人がいるらしいという事です。
だいたい、このパニック症候群という病気自体がよくわかっていないのです。
薬を飲んだからと言って決定的な治療ができるわけでもないのです。
しかし、本人にとってはものすごく苦しいのです。
重症の人は、そういう発作がしょっちゅう起こるわけです。
しかも、原因は、わからないのです。
いつ発作が起こるのか予測がつきません。
という事は、これが不安という事になるのです。
阪神・淡路大震災が起こった時以来、心に深い傷を受ける
「心的外傷後ストレス障害」という病があります。
その時の光景が頭の中でパッと閃いてそのたびに起き上がってしまうという事です。2001年のアメリカでの同時多発テロ事件でもしかりです。

(体の不自由さと心身の不自由さ)
体の不自由さというのは、本人のように感じることはできないものなのです。
いくら想像力を使ってもです。
苦しみというものは、最終的には、その人にしかわからないものなのです。
人は、苦しみを他人に変わって背負ってもらう事はできません。
肉体的不自由というものは、他人も同情心をもって想像力を持って理解できます。

では、心の不自由とは、目に見えない不自由です。
その人が心の中に抱えているものです。
えてしてそういう人に限って、自分一人で黙って内心抱えている大きな
問題点を他人には、気取られないようにします。
心の不自由さ、自分の心をコントロールできない悩み、
心の問題から発するパニック、それによって起こる様々な苦しみ。
こうしたことは身体的なハンディーキャップを持つ人たちの
悩みや痛みを充分に考えたうえでも
ひょっとしたら、さらに輪をかけて深いものかもしれません。
ですから、心の不自由さを抱える人たちが最近はそれほどの抵抗もなく
心療内科に通います。それはいいことだと私は思います。
日本では、精神分析というシステムが社会的に定着していませんし、
ある種の不信感を持つ人も多いのです。
キリスト教徒を除けば、教会に通う人もわずかしかいません。
そうなると相談相手として考えられるのは、
学校の先生、職場の上司、親友、親、兄弟姉妹くらいの者でしょう。
けれども今は、個人主義の時代で、そういう悩みを表に出すことが
憚(はばか)れる時代だというところが問題点なのです。
悩みを外に出せない時代。
それは今の世の中が競争社会になっているからです。
さらに、企業社会は、リストラが進んでいます。
私、ブログでも投稿していますが
お寺の住職つまり、僧侶の出番なのです。というより
昔の僧侶さんみたいに人のため、社会の為に行動すべき時と考えています。
特に、相談相手としては、最適と思っている次第です。
僧侶が世の中を変える存在なのですから。


(不安は、人間を支える大事な力なのです。)
風邪をひけば早めに寝ますし、下痢をすれば食事を制限します。
あるいは、頭痛がひどい時は、じっと静かにします。
こういう事で人間はどれだけ大きな危険を回避できているかわかりません。
そう考えると「風邪の効用」というのは、
”確かにその通りだな” と思います。
私が思うに、不安という事もまたそうだと思います。
不安は、人間の優れた大事な警報の働きなのです。
不安という警報機が鳴らないのは、泥棒が入っても警報機が作動しないのと
同じで非常に困ったことなのです。
要するに不安というのは、人間が本来持っている強い防衛本能なのでは
ないでしょうか⁈
不安をたくさん抱えているという事は、
体に警告を発する優れた警報機をそれだけ多く持っているのです。
自分は、こんなに、柔軟さとバランスのとれた心を持っているのだと
むしろ喜ぶべきことなのです。

現代の社会は、これまでとは違ってきわめてグローバル化(国際化)
しています。
通信やインターネットの発達で、地球上のどこかで起こった出来事が
瞬時にして世界中に影響を及ぼします。
たとえば、コソボやアフガンで起こったことが明日は日本にも影響を
及ぼしてきます。
もし、日本がかつてのような孤立した鎖国社会であったならば、
世界の動きなどは関係ありません。
眠ったように暮らしていてもなんとかなるのです。
しかし、今は一瞬にして、朝鮮半島で起こることが、日本人の生活にも
直接響いてくるのです。
今は、そういう時代ですから、様々な不安の原因や人間における困難な
状況は、昔の百倍、千倍にもなってきているといえると感じています。
私たちが不安を感じるのは、当たり前のことなのです。
私たちは、そこからスタートしなければならないのです。

ちなみに、
今の街中ホットステーションは、
女性は、心療内科、 男は、お寺の住職との話と座禅を組むことです。
以上です。


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