『ココナラ新時代/タイミング』
先日、こんな言葉に出会った。喜多川泰さんの小説『おいべっさんと不思議な母子』に登場する、妙さんという母親の言葉。下に引用する。「あのようなものは怪我のうちに入りません。 一生残る傷ひとつない男の子に育てるなんて、母として恥ずかしくてできません。 体に傷ひとつない綺麗な男など、傷つくことを恐れて肝心なときに逃げてきたという証を見せつけて歩いているようなものでございますから。 体を張ってでも、正義を通すべきときに、怪我することを恐れて無関心を装い、逃げるような大人になってもらっては困ります《引用『おいべっさんと不思議な母子』著:喜多川泰(サンマーク出版)》「肝心なとき」人生には、さまざまな肝心なタイミングがある。勇気を振り絞って、声をかけるべきタイミング。手を差し伸べるべきタイミング。あとになって気が付くことが本当に多いけれど、そこで踏み出せるかどうかで、その後の自分が少しだけ変わってしまうような、あの瞬間のこと。そのタイミングに、うまく応えられなかった記憶が、誰にでもあると思う。誰かが困っていた。助けを必要としていた。でも、足がすくんだ。あるいは、自分には関係ないと、自分自身に言い聞かせて無関心を装って逃れた。気づいたらそのタイミングは、静かに過ぎ去っていた。そういう場面のあのモヤモヤした気分を、覚えている。でも、その記憶が今も胸に残っているなら…それはあなたがちゃんと優しい証拠だと思う。本当に無関心な人は、痛まない。逃げたことをいつまでも覚えていない。タイミングを逃した自分を、どこかで悔やんでいるなら、その感覚こそが誠実さの根っこ。だからあなたは、自分を責めなくてよい。今の時代
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