先日、こんな言葉に出会った。
喜多川泰さんの小説『おいべっさんと不思議な母子』に登場する、妙さんという母親の言葉。
下に引用する。
「あのようなものは怪我のうちに入りません。
一生残る傷ひとつない男の子に育てるなんて、母として恥ずかしくてできません。
体に傷ひとつない綺麗な男など、傷つくことを恐れて肝心なときに逃げてきたという証を見せつけて歩いているようなものでございますから。
体を張ってでも、正義を通すべきときに、怪我することを恐れて無関心を装い、逃げるような大人になってもらっては困ります
《引用『おいべっさんと不思議な母子』著:喜多川泰(サンマーク出版)》
「肝心なとき」
人生には、さまざまな肝心なタイミングがある。
勇気を振り絞って、声をかけるべきタイミング。
手を差し伸べるべきタイミング。
あとになって気が付くことが本当に多いけれど、そこで踏み出せるかどうかで、その後の自分が少しだけ変わってしまうような、あの瞬間のこと。
そのタイミングに、うまく応えられなかった記憶が、誰にでもあると思う。
誰かが困っていた。助けを必要としていた。
でも、足がすくんだ。
あるいは、自分には関係ないと、自分自身に言い聞かせて無関心を装って逃れた。
気づいたらそのタイミングは、静かに過ぎ去っていた。
そういう場面のあのモヤモヤした気分を、覚えている。
でも、その記憶が今も胸に残っているなら…
それはあなたがちゃんと優しい証拠だと思う。
本当に無関心な人は、痛まない。
逃げたことをいつまでも覚えていない。
タイミングを逃した自分を、どこかで悔やんでいるなら、その感覚こそが誠実さの根っこ。
だからあなたは、自分を責めなくてよい。
今の時代は、そのタイミングに応えるということは、武力で戦うことじゃない。
一言声をかけること。あとから連絡をとること。ただ、そばにいること。
あるいは、逃げてしまったことを、静かに悔やんで、次は違う自分でいようと思うこと。
強く、優しく、そして美しい自分でいようと思うこと。
今はそれだけで、十分。
実は世界は、本当はけっこう優しいのかもしれない。
同調圧力があるから、あるいは詐欺が潜んでいるかもしれないから、見知らぬ人に近づくのが怖い。
それは本当のこと。
でも例えば、そういうものが全部なかったとしたら…。
全部大丈夫だとしたら…。
もしも視界の中で転んだ人がいたなら、きっとみんな、なりふり構わず駆け寄ってゆく。
困っている人がいたら、手を差し伸べるはず。
そういう衝動を、本当は人はちゃんと持っている。
ただ現実では、周りの人の目を、振る舞いを気にしてしまって、
タイミングをつかむのが、少し怖いだけ。
逃げてしまったタイミングがあってもいい。
大切なのは、その痛みを忘れないこと。
そしてこれからを、強く、優しく、美しく生きようとすること。
世界はあなたが思うより、ずっと優しい。
そしてきっとあなたも、自分が思うより、ずっと優しい人間。
次のタイミングに、きっと応えられるから。
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本ブログは、『同じタイトル違うブログ』という企画にお誘いいただき制作しました。
前回の『やじるしの向き』と同じく、クセでブログというよりもエッセイのようになっております(笑)
私も思い返せばキリがないくらい逃げてきた人間だったと思います。
でもそのおかげで今の私はその種の胸の痛みが少しわかるのかもしれません。
自己を振り返り、改めようと感じることも、
誰かに寄り添うこともできるのかもしれませんね。
このブログを読んで、自分もそうありたいけどなかなか勇気が出ないというかたがもしいらっしゃいましたら、その気持ちを一度言葉にしてお話をしてみませんか?
私でよければお話を伺います☘️
なお、他にも同じタイトルで違ったブログがたくさん掲載されておりますので、
#タイミング
ぜひ他の方の記事も読んでいただけますと幸いです。
そしてもしよかったら、あなたも同じタイトルで投稿をしてみませんか☺️?