豊かであるということ
何かを作るときに、余りを考えてつくりますか?例えば、今日のご飯は何人分だから、一人分多めに作ろうかな。とか、イベントの時に今日の参加人数は何人だから、何人か余計に来ても良いように作っておこうかな。とか。デザインする時もそうです。何かを作成するときに考えるのは「余白」なんです。レストランなどで、料理自体は大量にあるわけじゃないのに、器がやけに大きいこと、ありませんか?フランス料理や懐石料理などよくあることで。あの様子が「豊かである」という表現だと思うのです。つまり、余分にある。それを分けてシェアすることが出来る。そういう状況を「豊かである」というのだと私は思っています。例えば、大金持ちの方がいらっしゃっても、何か世の為人の為に慈善的なことをしていたら、「豊かな人」だと思うし、そんなことは無駄だとおもっているようであれば、「豊かな人ではない」と思うのですよ。経済的には豊かであったとしても、心は同なのだろうと。「豊かさ」とは、経済的にそうであることも大切ですが、精神的にも豊かでありたいと思います。困っている人がいたら、少しでも助けられるような余裕。話を聞いて欲しいという人がいたら、少しだけでも聞いてあげられる余裕。たいしたことをしなくとも、ちょっとしたことでその人が助かるなら、そうしてあげた方が幸せだろうなと思うぐらいのちょっとしたこと。それができるかできないか。先日東京へ行くバスに乗る前に、スリランカから来た人たちがバスに乗りたくて困っていました。誰に話してもダメだったようで、私の所へ話しかけてきました。その方たちのお話を聞きましたが、今のいまではどうにもならない状況でした。ですが
0