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教養としての諸子百家③:陰陽家思想

鄒衍(すうえん):陰陽家。自然現象を、対立しつつ補完し合う陰陽と、全ての物質を構成する五行という概念によって説明し、さらに循環する五行の順序に従って王朝が変わるという陰陽五行説を唱えました。 陰陽五行説:五行思想は木・火・土・金・水の五元素で存在・生成・変化などを説明する理論で、エンペドクレスの火・土・空気・水からなる四元素論より緻密なものです。木生火(もくしょうか)、火生土、土生金、金生水、水生木という相生(そうしょう)理論と、木剋土(もくこくど)、土剋水、水剋火、火剋金、金剋木の相剋理論とがあります。さらに殷の甲骨文にも干支(十干十二支)が見られますが、五行に陰陽を当てはめれば十干になり、甲(きのえ、陽木)・乙(きのと、陰木)・丙(ひのえ、陽火)・丁(ひのと、陰火)・戊(つちのえ、陽土)・己(つちのと、陰土)・庚(かのえ、陽金)・辛(かのと、陰金)・壬(みずのえ、陽水)・癸(みずのと、陰水)が出てきて、十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)と合わせれば六十干支論となり、「丙午(ひのえうま)」という年号表記や60歳を還暦という概念はここから来ます。そして、『易経』に見られる太極→両儀(陰陽)→四象→八卦の理論と合わせて、東洋運命学の根幹(五行断易)を形成しますが、東洋運命学とは、天文暦学、兵法学、風水地理学などを含み、帝王学の一環とされてきたもので、東アジア世界全体に多大な影響を及ぼしてきました。例えば、伝統的な「五術」という分類では次のようになります。 (1)命(めい):生年月日時の四柱の干支(八字とも言います)を基にして命式をつくり、運勢・性格・吉凶・器
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教養としての諸子百家②:兵家思想

孫子:兵家。呉王闔閭(こうりょ)・夫差(ふさ)と2代にわたって補佐し、 小国呉をもって大国・楚(そ)を撃破し、春秋の覇者に導いた呉国の将軍孫武で、戦術・兵法を説きました。『孫子』は老子思想の影響を受けた兵法書とされますが、孫武は「軍律を正す」ことを重視しており、これはヨーロッパではクロムウェル以降に確立された思想で、法律重視の法家思想にも通じると言えます。また、孫武の子孫で約150年後に斉の将軍となった孫臏(そんぴん)も優れた戦略家で、「二人の孫子」と呼ばれましたが、『孫臏兵法』が発見されたことで、『孫子』の著者は孫武であることが確定しました。「戦わずして勝つ」「弱をもって強に勝つ」を理想とする考え方は『孫子』にも『孫臏兵法』にも共通しています。 「彼を知り、己(おのれ)を知れば百戦殆(あや)うからず」:毛沢東も『矛盾論』『中国革命戦争の戦略問題』『持久戦論』で引用しており、孫子を重視していたことが分かります。この後に、「彼を知らずして己を知れば一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦うごとに必ず殆うし」と続きます。 「その疾(はや)きことは風のごとく、その徐(しず)かなることは林のごとく、侵掠することは火のごとく、動かざることは山のごとし」:1つの状態に固定することなく、静と動、正と奇という具合に変幻自在、状況に応じた変化の必要性を言います。有名な武田信玄の旗印「風林火山」はこの言葉に由来します。 呉起:兵家。孔子の晩年の弟子曾子に学んでいますが、次第に法治主義によって富国強兵を図ろうとする法家思想による政治の実践に乗り出し、その著書『呉子』は法家思想の流れを汲むとされる兵法
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教養としての諸子百家➀:墨家思想と名家思想

墨子:墨家の祖。人類の行動を監視し、賞罰禍福を与える天帝、鬼神の存在を信じ、天志を奉じた一種の宗教的階級政治を理想としました。近親さを重視する儒家の説く仁を肉親の愛情に偏った差別的な愛(別愛)として批判し、無差別・平等の愛(兼愛)を説いていることは、キリスト教的な神の愛(アガペー)を思わせます。また、他者を自己と同じように愛し、利益をもたらし合うこと(交利)を説きますが、これも「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」というキリスト教の隣人愛を思わせます。さらに、門弟300人を引き連れて大国の侵略阻止に動くなど、行動的平和主義に立つ非攻説を説くと共に、儒家の礼は形式的で、儀式を行うために多くの出費を必要とすることを批判し、倹約(節用)を説きました。貴族の腐敗政治や世襲制に対する批判、儒家の礼楽尊重や非行動性に対する批判が社会の下層から支持されて、急速に信奉者を増やしたことは、バラモン教と仏教、あるいいはヒンドゥー教とイスラーム教との関係を思わせます。一時は儒家と二大勢力を形成するほどでしたが、漢代に儒教が国教として確立されると、思想界から消失します。公孫龍子(こうそんりゅうし):名家、詭弁家(きべんか)。「白馬は馬ではない」などの言葉で知られ、諸子百家の百家争鳴の中で安易に扱われがちであった名辞、論理について自覚的反省を促しました。ギリシア哲学における「ゼノンのパラドックス」(「アキレスは亀に追いつけない」など)で有名なエレア学派、あるいはソフィスト的存在だと言えます。名家の思想は儒家の「正名」(名を正す、名称と実質との一致を志向)の考えに発し、荀子や後期墨家によって論理
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教養としての法家思想:韓非子と法家思想

管仲:法家思想の淵源。経済を重視して民生を安定させ、人民の道徳意識を高めて教化するなど、利と徳を原則とする政治を行って、信賞必罰の原則を確立し、斉の富国強兵を推進しました。 商鞅:秦で変法を断行し、身分などに左右されない信賞必罰の原則を徹底して秦を強国にしますが、ここでヨーロッパでも中世まで見られない「立法」行為が行われていることが注目されます。これは時代の変化や現実の必要に応じて法律を作ることで、倫理規範は堯・舜・禹といった古代の聖王が作ったもの(先王の道)で新たに作り出すものではないとした儒家思想や、自然の理法を発見しようとするストア派の「自然法思想」とは対照的です。ちなみに、1970年代前半、文化大革命の末期に中国で展開された、林彪と孔子を批判する運動「批林批孔運動」では、法家系統の政治家の第一人者として商鞅の思想と行動を高く評価していました。 申不害:老荘思想に基づいて刑名の学を唱え、「法」の運用の仕方である「術」を説いて、韓の宰相として国力の強化に努めました。 刑名の学:行動の形(実質)である「刑」と行動の評価である「名」の一致を厳しく求めた一種の法律学。韓非子:法家。荀子の「性悪説」と老子の「無為」を学んだ上で、儒家の仁愛という考え方、徳治主義を無力であると批判し、「商君の変法」と呼ばれる政治改革を行って秦の富国強兵、中央集権化に成功した商鞅(しょうおう)の「法」(人民を制御する法律を作ること)と申不害の「術」(法律を施行するために行政官僚を駆使する統治技術)を総合して、法と刑罰による信賞必罰の仕組み(法術)でなければ社会秩序の維持や国家の統治はできないとする法治主
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教養としての道教③:道家思想と道教

『列子』:『老子』『荘子』と並ぶ道家の書で、「杞憂(きゆう)」「愚公、山を移す」など、古代寓話の宝庫です。 「杞憂」:中国古代の杞の人が、天が崩れ落ちてきはしないかと心配したという故事から、心配する必要のないことをあれこれ心配すること。取り越し苦労。 「愚公、山を移す(愚公移山)」:どんなに困難なことでも努力を続ければ、やがては成就するというたとえ。毛沢東が演説の中で引用したため、有名になりました。 竹林の七賢:魏から西晋にかけての3世紀頃、老荘思想の影響を受け、儒教倫理の束縛から離れた自由な議論(清談)を展開した阮籍ら7人。 道家思想:老荘思想、養生法(漢方医学、不老長生法、神仙道)、民間信仰(御札、おまじないなどの符呪)の3要素からなり、仏教の受け皿になると共に、仏教の影響によって整備が進み、宗教としての道教が確立しました。 漢方医学:西洋医学的な対症療法ではなく、「医食同源」「未病」などの思想を持ち、生命力・自然治癒力を目指す中国医学・東洋医学。狭義では漢方薬を投与する医学体系を指し、広義では経穴などを鍼や灸で刺激する物理療法(鍼灸医学)を含めた伝統医学を指します。 陰陽五行説に基づく医学理論及び鍼灸術を詳述した最古の医経『黄帝内経(こうていだいけい)』素問(医学理論)・霊枢(鍼灸術)、「医中の亜聖」「衆方の祖」と呼ばれた張仲景の『傷寒論』(傷寒=腸チフス及びその類の急性熱病)の二書が中国古代医学書の双璧です。さらに中国最古の薬物書『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』と併せて三大古典とされます。伝説的な名医としては、「漢方医で脈診を論ずる者は全て扁鵲(へんじゃく)の流
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教養としての道教②:荘子

荘子:全てのものが等しい存在であるとする万物斉同(ばんぶつせいどう)の立場に立ち、善悪や生死などの相対的な区別を超えるべきだと説きました。道教を国教とした唐では皇帝玄宗により神格化され、「南華真人」(なんかしんじん)の敬称を与えられ、「南華老仙」とも呼ばれました。著書『荘子』(そうじ)は『南華真経』(なんかしんきょう)と呼ばれるようになりました。また、禅宗の成立にも大きな影響を与えています。 万物斉同:対立や差別は人為的・相対的なものにすぎず(相対主義的な立場)、ありのままの世界は差別や対立がなく、全てが斉(ひと)しい価値を持つという考え。「胡蝶の夢」「朝三暮四」「無用の用」など、多くのたとえで語られています。 「胡蝶の夢」:荘周(荘子)が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだところ、夢が覚めました。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっていたのか、分からなかったというのです。 「朝三暮四」:朝にトチの実を3つ、夕方にトチの実を4つやろうと猿達に持ちかけると、怒り出したので、今度は朝に4つに夕方に3つやろうと言うと、猿はみんな頭を下げて喜んだという故事から、実質上は何らの差異もないのに、一方については喜び、他方については怒るのは自分の是とするところに縛られているからだという例です。 「無用の用」:一見無用とされているものが、実は大切な役割を果たしていること。不用の用。『老子』にも出てきます。例えば、西洋の油絵からすれば単なる塗り残しに見える水墨画の白い部分や、床の間なども当てはまります。 逍遥遊(しょうようゆう):人為的な価値観から解放され、あり
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教養としての道教➀:老子とタオイズム

老子:万物の根源である「道」(タオ)の働きに従う無為自然の生き方を説き、儒家が「道」を人為的・作為的な道徳や秩序として捉えたことを批判しました。『老子(道徳経)』。荘子と併せて「老荘思想」と呼ばれ、道家思想の淵源となり、その「無」の思想は仏教の「空」思想との接点になりました。道教(タオイズム)では神格化されて「太上老君」と呼ばれ、唐朝(李氏)でも老子(李耳)は同姓とされて尊重されました。 無為自然:儒家の礼や仁を人為的なものとして批判し、それらが不要な社会こそ理想であると説きました。古典派経済学の「自由放任(レッセ・フェール)」とも通じる考え方です。無為の政治は秦末の混乱を経た前漢初期の政治で採用され、安定と繁栄の基を築き、第7代武帝はこれを土台に積極政策に転じました。無為の政治は法家思想と組んで君主独裁制の確立に寄与したとされます。また、力の濫用を避け、戦わずして勝つことを眼目とするその軍事論は、『孫子』の兵法との関連性が指摘されています。 (1)古典派経済学:「自由放任(レッセ・フェール)」を中心教義とするので、老荘思想・道教の「無為自然」に対応します。 (2)ケインズ経済学:適切な経済政策により失業を無くそうとするのもで、儒教の「善政主義」に対応します。 (3)社会主義:計画経済・統制経済を指向するので、法家思想に対応すると言えるでしょう。 小国寡民(しょうこくかみん):老子は、小さな共同体の中で、何ものにも拘束されることなく、質素に生きるべきだと説きました。老子の説く理想世界は村落共同体のような世界だと言えます。 柔弱謙下(じゅうじゃくけんげ):水のように柔和で謙虚な生
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教養としての儒教⑦:明学と陽明学

陸象山:陸九淵。心を分析してその中に性・情や天理・人欲を弁別することを良しとせず、心そのものが「理」であると肯定し、「心即理」を基本原理とする心学を創始します。これは程明道の「善悪みな天理」「万物一体の仁」という考えを展開したもので、「六経、みなわが心の注釈なり」と述べて、権威ある六経よりも自らの心を上位に置き、六経や孔子・孟子に先験的な価値を置かない姿勢を打ち出しました。 王陽明:宋学・朱子学と共に新儒学に位置づけられ、「心学」「陸王学」とされる明学・陽明学を確立しました。朱子学が世界を導く規範である「理」を事物の内に求める傾向にあると批判し、朱子の論敵であった宋の陸象山の心即理の立場に立ち、外界の事物に「道」を追い求めるべきではなく、心の中の「道」のままに生きる(致良知)であるべきとしました。これは孟子の良知良能説を引き継ぐものでもあります。『伝習録』。 良知:人間の心の中に生まれながらに存在する「道」、良心。 心即理:「道」とは天地万物に内在する客観的なものではなく、心の働きがそのまま「理」であるとする考え。自己の心が事物や行為に即して理を生み出すことが本当の知になると考えました。 致良知:心の中の「道」のままに生きること、良心に従って生きること。 知行合一(ちこうごういつ):知ることは行いの始めであり、行いにより知ることが完成するとしました。したがって、陽明学は行動主義的で、かつ不合理的な現実に対して否定的になるので、江戸時代の日本では体制維持のイデオロギーとして採用された朱子学に対して、在野の学にして倒幕のイデオロギーの1つとなりました。 事上磨錬:行動や実践を通じて
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教養としての儒教⑥:宋学と朱子学

朱子:朱熹(しゅき)。理気二元論、性即理の立場に立ち、儒教・仏教・道教を総合して「理学」と呼ばれる宋学を大成し、壮大な体系である朱子学を確立し、新興地主層(形勢戸)から科挙を経て官僚となった士大夫の指導理念になると共に、東アジア全体に影響を与えました。朝鮮王朝では国教化し、江戸幕府の統治イデオロギーともなりました。『四書集注(ししょしちゅう)』『資治通鑑綱目(しじつがんこうもく)』『近思録』『宋名臣言行録』。私欲によってその発露が妨げられているので、心を慎み、事物の理を究める居敬窮理によって「道」を発揮しなければならないと考えました。 性即理:「道」「天理」とは万物の根源であるだけでなく、人間の心の中にも「本性」として備わるものであるという考え。『中庸』が「天人一理」の典拠とされ、ここから「性即理」の思想が導出されました。ストア派の自然法思想(宇宙の理法=人間の理性)とも通じます。 居敬窮理:自己の欲望を抑え、理を窮めるという朱子学の修養法。感情や欲望に動かされることを慎むこと(居敬)、客観的な法則としての理を窮めること(窮理)。居敬窮理によって、人が本来の知に至ることを格物致知と言います。 八条目:『大学』に示された修己治人のための実践原理。「近代中国の父」と呼ばれる孫文も、この八条目を世界に誇るべき政治哲学の宝として、新しい中国の政治の根本とすべきだと述べています。 (1)格物:事物の理を窮める。朱子は「事物に格(いた)る」と読み、王陽明は「行為を格(ただ)す」と考えました。 (2)致知:知識を極限まで広げる。朱子は「知を窮(きわ)める」ととらえ、王陽明は「良知を実践する」
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教養としての儒教⑤:儒仏道の三教一致

三教一致(合一):魏晋南北朝時代から、中国知識人は公的には政治的男性原理に立つ儒教世界(善政志向、詩も志を述べるもの)に生き、私的には生活的女性原理に立つ道教世界(養生法、不老長寿法、民間信仰)に生き、哲学的には仏教的真理を学ぶことが伝統的に行われており、三教一致(合一)が成立していました。これは東洋のエキュメニカル運動と言え、西洋のエキュメニカル運動が挫折していることと対照的です。こうした伝統の中で、仏教の「空」や神通力が老荘思想の「無」の思想や道家思想の呪術信仰を土台として受容され、仏教の組織的体系の影響で宗教としての道教が確立され、荘子思想の強い影響で禅宗が興り、道家思想の呪術信仰の影響で念仏による浄土教が興りました。また、儒教でも禅宗の影響で宋学が興り、儒教・仏教・道教を総合した新儒学(ネオ・コンフューシャニズム)が誕生しています。 (1)西洋宗教・思想の位置づけ:人間原理(キリスト教)、家庭・社会原理(ユダヤ教・イスラーム教)、自然・世界原理(ギリシア哲学・近代科学) (2)東洋宗教・思想の位置づけ:人間原理(仏教)、家庭・社会原理(儒教)、自然・世界原理(道教)
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教養としての儒教④:荀子と法家思想

荀子:斉王の優遇策で学者が集まり、「百家争鳴」の中心となった「稷下(しょくか)の学士」の祭酒(学長)で、諸子百家の説を批判的に吸収して古代思想を集大成しました。「中国のアリストテレス」的存在です。性悪説に立ち、人間の本性は欲望に傾きやすく、悪に陥ってしまうので、礼による後天的な矯正によって、人間の行動を規制していく必要があると考え、礼の実践によって人民を治める礼治主義を唱えました。天性という点では聖人も凡人も変わらないという「聖凡一如」という立場から、凡人でも努力によって聖人になれるとして、後天的努力を評価しました。 礼治主義:社会規範としての礼によって人々の行為を規制する立場。 「出藍(しゅつらん)の誉(ほま)れ」「青は藍より出でて藍よりも青し。」(『荀子』):弟子が努力を続けて学問に励み、その結果、師よりも優れること。 韓非子(かんぴし):荀子の弟子。礼治主義から法治主義へと進んで法家思想を完成させ、それを採用した秦王政は辺境の地にあった秦を戦国七雄(西方の大国秦、北方の大国燕、東方の大国斉、南方の大国楚、周王朝由来の中原の晋から分かれた韓・魏・趙)の最強国にして中国統一を成し遂げ、始皇帝となりました。この中国統一はEUに先立つこと二千二百年の超国家中央集権帝国実現の大事業であったと言えます。始皇帝は儒家思想に対して否定的で、焚書坑儒で思想統制を行いました。 陽儒陰法:孟子以降の儒家思想(儒教)は前漢時代に国教となりましたが、実際には理想主義的儒家思想(儒教)によって中央集権帝国を統治することは難しく、現実主義的法家思想(法教)に依らざるを得ませんでした。これを「陽儒陰法」
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教養としての儒教③:孟子

孟子:孔子の孫の子思の門人の下で学び、聖人とされる孔子に次ぐ「亜聖」と称されます。孔子の仁の思想を発展させ、「仁は人の心なり、義は人の路なり」として、仁義を特に重視しました。性善説→良知良能→四端・四徳説→五倫の道→浩然の気→王道政治→天人相関説・易姓革命。「中国のプラトン」的存在です。孟子が一生の間、行った遊説や論争、弟子達との問答、および語録の集成が『孟子』です。 性善説:人間の本性を善とする考え。 良知良能:人間に生まれながらに備わっている道徳的判断能力(良知)と行為能力(良能)。良知は四端説へ、良能は四徳説へと連結され、孟子心理学が体系化されますが、後に王陽明が良知(良心)説を引き継ぎ発展させ、心即理に基づく致良知の理論(陽明学)を完成させます。これらは後のカントの「実践理性」に通じます。 四端説:四徳(仁・義・礼・智)の端緒となる心を四端としました。なお、四徳に信を加えて五常の道としたのは、五経博士を置くなどして儒教を官学化した前漢の董仲舒によります。五倫の道と共に「五倫・五常」として、儒教の重要な徳目となりました。 (1)惻隠の心:他人の苦しみや悲しみ、不幸を見過ごせない心。仁(思いやり)の徳の芽生え。(2)羞悪の心:自分や他人の正しくない点(悪)を恥じて憎む心。義(正義の心)の徳の芽生え。(3)辞譲の心:自らへりくだり、他人に譲る心。互いに譲り合い、他人を尊重する心。礼(礼儀作法)の徳の芽生え。(4)是非の心:善悪を見分ける心。智(道徳的判断力)の徳の芽生え。五倫の道:人間関係において守るべき5つの道徳。孟子は、愛は人間関係に応じて示されるべきであると考え、墨子の
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教養としての儒教②:孔門十哲と七十子

孔門十哲:「四科十哲」とも言われ、門徒三千人と言われた孔子の弟子の中でも最も優れた10人の弟子を指します。 顔淵(顔回): 徳行科。孔子が「顔回ほど学を好む者を聞いたことがない」(雍也第六、先進第十一)と述べ、子貢が「私は一を聞いて二を知る者、顔回は一を聞きて十を知る者」(公冶長第五)、と述べており、孔子から後継者として見なされていましたが、早世したため、孔子の落胆は激しく、「ああ、天われをほろぼせり」(先進第十一)と慨嘆しています。 閔子騫(びんしけん):徳行科。孔子からも孝行者であると賞賛されています(『論語』先進第十一)。閔子騫の子孫だと自称する驪興閔氏(れいこうびんし)から朝鮮王朝最後の王である高宗の妃が選ばれ、閔妃(明成皇后)となっています。 冉伯牛(ぜんはくぎゅう):徳行科。ライ病にかかった冉伯牛を見舞った孔子は、窓からそっと伯牛の手を取って、「このような人物を失うのも運命なのか。よりによってこの人にこの病気とは。よりによってこの人にこの病気とは」と言って大いに嘆いたと言われます。下村湖人の『論語物語』中の「伯牛疾あり」はこの箇所を描いた作品です。 仲弓(ちゅうきゅう):徳行科。その人格の高さから「南面すべし」(君主は南を向いて座ることから、君主たる器量があるという意味)と孔子が称えました。 宰我(さいが):言語科。弁論の達人で、孔門の中では最も実利主義的な人物で道徳を軽視したため、礼とともに道徳を重んじる孔子からよく叱責を受けていました。 子貢(しこう):言語科。弁舌に優れ、衛や魯でその外交手腕を発揮し、たびたび「子貢は孔子を超えている」と言われたほどで、「過ぎた
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教養としての儒教➀:礼学文化と孔子

孔子:周王朝時代の政治(礼楽文化)を理想とし、特に周王朝の祖文王の子で、初代武王の弟、第二代成王の摂政であった周公旦を尊敬しました。仁の基礎として忠恕(忠=純粋なまごころ、恕=他人への思いやり)を唱えました。内面的な仁の心を礼に表すべきであり(克己復礼)、その実現を目指して励む者を「君子」と呼んで、理想的人間としました。「道」とは人間の従うべき道徳の規範だと考えました。「中国のソクラテス」的存在です。その言行録は『論語』にまとめられました。孔子思想を淵源とする儒教は、孔子主義(コンフューシャニズム)とも言われます。 五経:『詩経』『書経』『礼記』『易経』『春秋』。孔子以前に編まれた書物を原典として、孔子の手を経て現在の形になったと考えられています。元々、『楽経』も入って「六経」でしたが、これは早くに失われたので、「五経」となりました。 (1)『詩経』:中国最古の詩篇。『史記』孔子世家によれば、当初三千篇あった膨大な詩編を、孔子が311編(うち6編は題名のみ現存)に編成し直したと言います。孔子は「詩に興り、礼に立ち、楽(がく)に成る」(詩を学んで人としての心をふるい起こし、礼を学んで人としての行いを確立し、 音楽を学んで人間を完成させるのである。『論語』)と述べているように、詩・礼・音楽の3つを君子に必須の教養としました。『万葉集』の編集も『詩経』を参考にしたと言われています。また、四言句を基本とする『詩経』が北方詩の代表的源泉で、六言句を基本とする『楚辞』が南方詩の代表的源泉となっており、これらが融合し、漢代の賦(ふ)、魏晋南北朝の四六駢儷文を経て、中国・東洋文学の精華とも言う
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1月29日 干支(えと)の関係

四柱推命や風水、陰陽五行で出てくるのが、干支(えと)。「干支(えと)」は兄と弟の様な関係木きのえ甲きのと乙火ひのえ丙ひのと丁土つちのえ戊つちのと己金かのえ庚かのと辛水みずのえ壬みずのと癸陰と陽を表すけれど、男女表現よりは兄弟表現の方がしっくりくる。漢字が多いけれども、イメージができれば解読しやすいです
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