教養としての諸子百家➀:墨家思想と名家思想
墨子:墨家の祖。人類の行動を監視し、賞罰禍福を与える天帝、鬼神の存在を信じ、天志を奉じた一種の宗教的階級政治を理想としました。近親さを重視する儒家の説く仁を肉親の愛情に偏った差別的な愛(別愛)として批判し、無差別・平等の愛(兼愛)を説いていることは、キリスト教的な神の愛(アガペー)を思わせます。また、他者を自己と同じように愛し、利益をもたらし合うこと(交利)を説きますが、これも「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」というキリスト教の隣人愛を思わせます。さらに、門弟300人を引き連れて大国の侵略阻止に動くなど、行動的平和主義に立つ非攻説を説くと共に、儒家の礼は形式的で、儀式を行うために多くの出費を必要とすることを批判し、倹約(節用)を説きました。貴族の腐敗政治や世襲制に対する批判、儒家の礼楽尊重や非行動性に対する批判が社会の下層から支持されて、急速に信奉者を増やしたことは、バラモン教と仏教、あるいいはヒンドゥー教とイスラーム教との関係を思わせます。一時は儒家と二大勢力を形成するほどでしたが、漢代に儒教が国教として確立されると、思想界から消失します。公孫龍子(こうそんりゅうし):名家、詭弁家(きべんか)。「白馬は馬ではない」などの言葉で知られ、諸子百家の百家争鳴の中で安易に扱われがちであった名辞、論理について自覚的反省を促しました。ギリシア哲学における「ゼノンのパラドックス」(「アキレスは亀に追いつけない」など)で有名なエレア学派、あるいはソフィスト的存在だと言えます。名家の思想は儒家の「正名」(名を正す、名称と実質との一致を志向)の考えに発し、荀子や後期墨家によって論理
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