教養としての儒教➀:礼学文化と孔子

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孔子:周王朝時代の政治(礼楽文化)を理想とし、特に周王朝の祖文王の子で、初代武王の弟、第二代成王の摂政であった周公旦を尊敬しました。仁の基礎として忠恕(忠=純粋なまごころ、恕=他人への思いやり)を唱えました。内面的な仁の心を礼に表すべきであり(克己復礼)、その実現を目指して励む者を「君子」と呼んで、理想的人間としました。「道」とは人間の従うべき道徳の規範だと考えました。「中国のソクラテス」的存在です。その言行録は『論語』にまとめられました。孔子思想を淵源とする儒教は、孔子主義(コンフューシャニズム)とも言われます。

五経:『詩経』『書経』『礼記』『易経』『春秋』。孔子以前に編まれた書物を原典として、孔子の手を経て現在の形になったと考えられています。元々、『楽経』も入って「六経」でしたが、これは早くに失われたので、「五経」となりました。

(1)『詩経』:中国最古の詩篇。『史記』孔子世家によれば、当初三千篇あった膨大な詩編を、孔子が311編(うち6編は題名のみ現存)に編成し直したと言います。孔子は「詩に興り、礼に立ち、楽(がく)に成る」(詩を学んで人としての心をふるい起こし、礼を学んで人としての行いを確立し、 音楽を学んで人間を完成させるのである。『論語』)と述べているように、詩・礼・音楽の3つを君子に必須の教養としました。『万葉集』の編集も『詩経』を参考にしたと言われています。また、四言句を基本とする『詩経』が北方詩の代表的源泉で、六言句を基本とする『楚辞』が南方詩の代表的源泉となっており、これらが融合し、漢代の賦(ふ)、魏晋南北朝の四六駢儷文を経て、中国・東洋文学の精華とも言うべき五言・七言の絶句・律詩を中心とする唐詩が完成します。

(2)『書経』:中国古代の歴史書で、伝説の聖人である堯(ぎょう、五帝の第四)・舜(しゅん、五帝の第五)・禹(夏王朝の祖)から夏・殷・周王朝までの天子や諸侯の政治上の心構えや訓戒・戦いに臨んでの檄文などが記載されています。天命に従い、有徳者を尊び、徳によって民を安んずるという儒家の政治理念を最もよく示しており、古来、「政治の紀(のり)」として尊ばれてきました。

(3)『礼記(らいき)』:礼に関する注記。礼は慣習に基づく規範なので、インドのマヌ法典に相当すると言えます。後に朱子によって『大学』と『中庸』の2篇は独立した経書として見なされ、『論語』『孟子』と共に四書の1つに数えられるに至りました。宋学の大成者朱子は『大学』『中庸』を、陽明学の創始者王陽明は『大学』を、清末公羊学の康有為は「礼運編」を再解釈することによって自己の思想を確立したのです。

(4)『易経』:殷の時代から蓄積された卜辞を集大成したもの。伝説では伏羲(三皇の第一)が八卦を作り、さらにそれを重ねて六十四卦としました。次に周王朝の祖文王が卦辞を作り、文王の子での周王朝の礼楽思想を確立し、孔子が尊敬して止まなかった周公が爻辞を作りました。そして、孔子が「伝」(注釈)を書いたので、この『易経』作成に関わる伏羲・文王(周公)・孔子を「三聖」と言います。『史記』孔子世家によれば、孔子は晩年、易を愛読し、「易を読んで竹簡のとじひもが三度も切れてしまった」(「韋編三絶」)と言います。

(5)『春秋』:孔子の母国である魯国の年次によって記録された、中国春秋時代に関する編年体の歴史書。現存しているものは全て「伝」(注釈書)に包摂されているもので、『春秋左氏伝』『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』の「春秋三伝」と呼ばれます。例えば、『春秋公羊伝』に基づく公羊(くよう)学では、『春秋』の簡潔な表現(春秋の筆法)から孔子の「微言大義」(微妙な言葉遣いの中に隠された大義)を探ろうとしました。後の清末近代化改革運動の指導者で公羊学者の康有為(こうゆうい)は、春秋公羊学の三世説に従って、歴史は「拠乱の世」から「升平(小康)の世」を経て、「大同の世」に進化するものであるとし、大同世界への第一歩として日本を模範とした立憲君主制を打ち立てようとする変法運動を指導しています。

仁:根源的な愛。親や兄弟への自然な愛情としての孝・悌、自分を偽らない忠、他者の気持ちになって考える恕、他者を欺かない誠実な心としての信など、様々な形で表現されます。

忠:自分の心に忠実であること。仁の表現の1つ。

恕(じょ):他人を思いやること。仁の表現の1つ。

孝:親に尽くすこと。仁の表現の1つ。

悌(てい):年長者に従うこと。仁の表現の1つ。

信:他者を欺かないこと。仁の表現の1つ。

礼:社会的に通用している規範。孔子は礼の形骸化が社会の混乱につながったと考え、上下の序列を守ることを重視し、形式的な礼ではなく、仁が形となって現れた礼を実践することで伝統的な社会秩序を回復しようとしました。

克己復礼:自己に打ち勝って礼に立ち返ることが仁であるとしました。
正名(しょうみょう)思想:孔子は「君(くん)君たり、臣(しん)臣たり、父(ちち)父たり、子(こ)子たり」と述べているように、礼の実践はそれぞれがその名にふさわしく行動し、名に与えられた天分を全うし、名分(めいぶん)を正すことにほかならないとしました。

君子:仁と礼を兼ね備えた理想的人間像⇔小人。孔子は「人知らずして慍(いか)らず。また君子ならずや」「君子にして不仁なる者あらんか。未だ小人にして仁なる者あらざるなり」「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩(さと)る」(『論語』)と述べています。

徳治主義:為政者が徳をもって人民を治めるべきだとする政治観。⇔法治主義:為政者が法律や刑罰によって人民を治める立場。

「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。」(『論語』):儒家では「道」は人が人として守るべき規範(人倫)でしたが、道家では「道」を自然に本来備わる根本原理(万物の根源)と捉えました。

「孝悌なる者はそれ仁の本たるか。」(『論語』)
「巧言令色、鮮(すく)なし仁。」(『論語』):言葉巧みで見かけをよくしているだけの人は仁が乏しい。⇔「剛毅木訥(ごうきぼくとつ)、仁に近し」(『論語』)

「故(ふる)きを温(たず)ね、新しきを知る。」(温故知新、『論語』):故事(古い事柄や学説)を研究して新しい知識や現代的意義を見出すこと。

「学びて、時にこれに習う。また説(よろこば)しからずや」(『論語』):学んだことを、機会があるごとに復習し身につけていくことは、何と喜ばしいことでしょうか。

「学びて思わざれば、則(すなわち)ち罔(くら)し、思いて学ばざれば、則ち殆(あや)うし」(『論語』):学ぶだけで思考しなければ、知識を生かすことができず、思考するばかりで知識を学ばなければ、賢明な判断ができない。

「過ちて改めざる、これを過ちと謂(い)う。」(『論語』):本当の過ちは、過ちを知りながら、それを認めずに改めないことであるとしています。

「子曰く、吾(われ)十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。」(『論語』)
(1)志学:15歳を表わします。
(2)而立(じりつ):30歳を表わします。
(3)不惑:40歳を表わします。
(4)知命:50歳を表わします。
(5)耳順(じじゅん):60歳を表わします。
(6)従心:70歳を表わします。
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