教養としての仏教⑤:後期大乗

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後期大乗:身密・口密(くみつ)・意密の「三密加持」で「即身成仏」を目指す密教(秘密仏教)。それまでの仏教諸派を釈尊が公に説いた顕教であるのに対し、大日如来(法身)が秘密裏に明かした教説と位置づけました。『大日経』『金剛頂経』が代表経典。実践論が中心。「苦」の克服というテーマに関しても、上座部系が「逃避」(出家によって苦の原因から遠ざかる)、浄土系が「来世救済」(死んだら救われる)、法華系が「発想の転換」(例えば「死」は悲しいものですが、墓掘り人夫にとってはメシの種になります)といったそれぞれの解決法を持っていましたが、密教のそれは「原因の打破」ということになります。日本には当初「雑密」(雑部密教)として伝わり、山岳信仰と合わさって修験道のルーツとなりましたが、空海が唐から当時最先端の「純密」(正純密教)を伝えました。修行法などを仏に見立てて曼荼羅(マンダラ)で表現したりしましたが、空海以降、形式化・形骸化が著しくなりました。

(1)初期密教:「雑密」段階。

(2)中期密教:代表経典である『大日経』『金剛頂経』成立。『大日経』では法身「毘盧遮那如来」(大日如来)の説法という形式で悟りの世界が語られ、これを曼荼羅化したものが「胎蔵(界)曼荼羅」です。『金剛頂経』では即身成仏の技法が語られ、これを曼荼羅化したものが「金剛界曼荼羅」です。また、男女の愛について論じた『理趣経』が成立しています。中国唐密教の最高峰恵果阿闍梨(あじゃり)が空海に伝えたのは中期密教ですが、その後、中国では衰退します。

(3)後期密教:曼荼羅に見られるような形式化・形骸化が進む一方、ヒンドゥー教の影響やイスラーム教の浸透でインドでは絶滅。チベットでは後期密教が独自の発達を遂げて、チベット密教を形成しました。
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