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性差別発言と儒教精神

昨日取り上げたムーギー・キ〇氏の文章についてもう少し書きます。彼はデートの相手の男性について、以下のように述べています(要約して引用)。-一方、女性視点でいえば、相手の男性が、何かにつけて「自慢話」ばかりをするような人は要注意だ。二流の男性に限って、「小さな自分をより小さく見せる自慢話」ばかりするものだし、そういう男性はTPOをわきまえないバカでかい声で、本人以外永遠に笑わない「セルフ笑い話」に花を咲かせがちである。-これは自分自身のことをいっているんじゃないかなぁ。上から目線で他人を「二流」だなんだと決め付けるのは、要するに自慢話でしょう。 俺は一流だといいたい。 多分、彼のジョークも「セルフ笑い話」なのでしょうね。 この手の人間は自分のことがまったく見えてませんから。 そして、こう続けます。-女性の「対人依存度」が露呈するのが、最初のデートの食事の際の「お会計タイム」である。 付き合っている恋人関係ならまだしも、最初のデートからお会計タイムで、カバンの中の財布を探すふりをして、「あっ、ここは僕が払うよ」という一言を心待ちにするのは、二流の所業であろう。 ちなみに、欧米の人ないし欧米で長らく過ごした女性に、安易に自分がおごろうとすると、「セクシスト(性差別者)扱い」される危険があることも知っておいてほしい。ちなみに、これは余談だが、海外の標準から考えると恐ろしいくらい、日本では「女性を軽視したセクシスト(性差別者)発言」がまかり通っていることに警鐘を鳴らしたい。先日、日本のテレビ番組を見ていて驚いたのは、某有名お笑いタレントが、「あの女」「女の扱い方」という言葉を連発していた
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教養としての日本儒教④:国学

国学:古学派の古典研究に影響を受け、日本の古典に日本固有の精神(古道)を見出そうとする学問。儒学に対する一大学派となりました。 契沖:江戸中期の国学の先駆者、『万葉代匠記』(『万葉集』の注釈書)。『万葉集』を古の遺風を伝える書物と考え、儒学や仏教の解釈によらずに文献学的・実証的に研究すべきだと主張しました。古来の為政の理想である古道を見出す学問を始め、国学の祖と言われます。そもそも水戸藩において第2代藩主光圀の志により、『万葉集』の諸本を集めて校訂する事業を行っており、下河邊長流(しもこうべながる)が註釈の仕事を託されまたしが、長流が病でこの依頼を果たせなくなった時に同好の士である契沖を推挙し、契沖に引き継がれます。契沖は『万葉集』の正しい解釈を求める内に、当時主流となっていた定家仮名遣の矛盾に気づき、歴史的に正しい仮名遣いの例を『万葉集』『日本書紀』『古事記』『源氏物語』などの古典から拾い、分類した『和字正濫抄』を著していますが、これに準拠した表記法は「契沖仮名遣」と呼ばれ、後世の歴史的仮名遣の成立に大きな影響を与えました。かくして完成した『万葉代匠記』は、鎌倉時代の仙覺や元禄期の北村季吟に続いて画期的な事業と評価されており、仏典漢籍の莫大な知識を補助に著者の主観・思想を交えないという契沖の註釈と方法が最もよく出ている代表作です。 荷田春満(かだのあずままろ):賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤と共に「国学の四大人(しうし)」の一人とされます。古語の理解によって古代精神を明らかにしようとしました。契沖の『万葉代匠記』などを学び、古典・国史を学んで古道の解明を試み、古道の意義を強調し
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教養としての日本儒教➀:朱子学

朱子学:形式的な秩序を重視する学問で、中世に伝来し、禅宗寺院で学問として研究されてきました。藤原惺窩(ふじわらせいか)→林羅山と伝わった朱子学(京学)が本流となり、上下定分の理に従う身分道徳を説く林羅山が徳川家康の顧問となったことから、封建社会の秩序と安定を維持する価値規範として幕府公認の官学となり、幕藩体制の精神的支柱となります。ただ、中国や朝鮮王朝では科挙のため、朱子学一辺倒となり、その中で学派に分かれて政争が起きましたが、近世日本では朱子学以外に陽明学、古学、実学が起こり、古学から国学、実学が接点となった蘭学・洋学なども起こり、さらにこれらを折衷した心学などの学問も普及して、思想の百花繚乱状態でした。これが中国・朝鮮王朝に先んじて明治維新以降に近代化が急速に進展していった背景となったとされます。 京学:「東方の小朱子」と呼ばれた李退渓(りたいけい、イテゲ)らによって純化された朝鮮朱子学が姜沆(カンハン、きょうこう)によって藤原惺窩に伝わり、惺門四天王の一人である林羅山が打ち出した「上下定分の理」が江戸幕府の統治イデオロギーとして利用されます。しかしながら、朱子学には「大義名分論」もあり、なぜ本来臨時職である征夷大将軍とその戦地での軍営たる幕府が恒久化され、本来天皇が行うべき天下の政治(大政)の実権を握っているのかという問題が生じていき、江戸中期に寛政の改革を実行した老中松平定信は「大政委任論」によってこれを説明しましたが、幕末に開国・貿易問題に後継者問題や改革の不手際が加わって幕府の危機管理能力・対応能力に疑問符が突きつけられ、700年間続いた幕府政治に終わりを告げる「大
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教養としての儒教⑦:明学と陽明学

陸象山:陸九淵。心を分析してその中に性・情や天理・人欲を弁別することを良しとせず、心そのものが「理」であると肯定し、「心即理」を基本原理とする心学を創始します。これは程明道の「善悪みな天理」「万物一体の仁」という考えを展開したもので、「六経、みなわが心の注釈なり」と述べて、権威ある六経よりも自らの心を上位に置き、六経や孔子・孟子に先験的な価値を置かない姿勢を打ち出しました。 王陽明:宋学・朱子学と共に新儒学に位置づけられ、「心学」「陸王学」とされる明学・陽明学を確立しました。朱子学が世界を導く規範である「理」を事物の内に求める傾向にあると批判し、朱子の論敵であった宋の陸象山の心即理の立場に立ち、外界の事物に「道」を追い求めるべきではなく、心の中の「道」のままに生きる(致良知)であるべきとしました。これは孟子の良知良能説を引き継ぐものでもあります。『伝習録』。 良知:人間の心の中に生まれながらに存在する「道」、良心。 心即理:「道」とは天地万物に内在する客観的なものではなく、心の働きがそのまま「理」であるとする考え。自己の心が事物や行為に即して理を生み出すことが本当の知になると考えました。 致良知:心の中の「道」のままに生きること、良心に従って生きること。 知行合一(ちこうごういつ):知ることは行いの始めであり、行いにより知ることが完成するとしました。したがって、陽明学は行動主義的で、かつ不合理的な現実に対して否定的になるので、江戸時代の日本では体制維持のイデオロギーとして採用された朱子学に対して、在野の学にして倒幕のイデオロギーの1つとなりました。 事上磨錬:行動や実践を通じて
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教養としての儒教⑥:宋学と朱子学

朱子:朱熹(しゅき)。理気二元論、性即理の立場に立ち、儒教・仏教・道教を総合して「理学」と呼ばれる宋学を大成し、壮大な体系である朱子学を確立し、新興地主層(形勢戸)から科挙を経て官僚となった士大夫の指導理念になると共に、東アジア全体に影響を与えました。朝鮮王朝では国教化し、江戸幕府の統治イデオロギーともなりました。『四書集注(ししょしちゅう)』『資治通鑑綱目(しじつがんこうもく)』『近思録』『宋名臣言行録』。私欲によってその発露が妨げられているので、心を慎み、事物の理を究める居敬窮理によって「道」を発揮しなければならないと考えました。 性即理:「道」「天理」とは万物の根源であるだけでなく、人間の心の中にも「本性」として備わるものであるという考え。『中庸』が「天人一理」の典拠とされ、ここから「性即理」の思想が導出されました。ストア派の自然法思想(宇宙の理法=人間の理性)とも通じます。 居敬窮理:自己の欲望を抑え、理を窮めるという朱子学の修養法。感情や欲望に動かされることを慎むこと(居敬)、客観的な法則としての理を窮めること(窮理)。居敬窮理によって、人が本来の知に至ることを格物致知と言います。 八条目:『大学』に示された修己治人のための実践原理。「近代中国の父」と呼ばれる孫文も、この八条目を世界に誇るべき政治哲学の宝として、新しい中国の政治の根本とすべきだと述べています。 (1)格物:事物の理を窮める。朱子は「事物に格(いた)る」と読み、王陽明は「行為を格(ただ)す」と考えました。 (2)致知:知識を極限まで広げる。朱子は「知を窮(きわ)める」ととらえ、王陽明は「良知を実践する」
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教養としての儒教⑤:儒仏道の三教一致

三教一致(合一):魏晋南北朝時代から、中国知識人は公的には政治的男性原理に立つ儒教世界(善政志向、詩も志を述べるもの)に生き、私的には生活的女性原理に立つ道教世界(養生法、不老長寿法、民間信仰)に生き、哲学的には仏教的真理を学ぶことが伝統的に行われており、三教一致(合一)が成立していました。これは東洋のエキュメニカル運動と言え、西洋のエキュメニカル運動が挫折していることと対照的です。こうした伝統の中で、仏教の「空」や神通力が老荘思想の「無」の思想や道家思想の呪術信仰を土台として受容され、仏教の組織的体系の影響で宗教としての道教が確立され、荘子思想の強い影響で禅宗が興り、道家思想の呪術信仰の影響で念仏による浄土教が興りました。また、儒教でも禅宗の影響で宋学が興り、儒教・仏教・道教を総合した新儒学(ネオ・コンフューシャニズム)が誕生しています。 (1)西洋宗教・思想の位置づけ:人間原理(キリスト教)、家庭・社会原理(ユダヤ教・イスラーム教)、自然・世界原理(ギリシア哲学・近代科学) (2)東洋宗教・思想の位置づけ:人間原理(仏教)、家庭・社会原理(儒教)、自然・世界原理(道教)
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教養としての儒教④:荀子と法家思想

荀子:斉王の優遇策で学者が集まり、「百家争鳴」の中心となった「稷下(しょくか)の学士」の祭酒(学長)で、諸子百家の説を批判的に吸収して古代思想を集大成しました。「中国のアリストテレス」的存在です。性悪説に立ち、人間の本性は欲望に傾きやすく、悪に陥ってしまうので、礼による後天的な矯正によって、人間の行動を規制していく必要があると考え、礼の実践によって人民を治める礼治主義を唱えました。天性という点では聖人も凡人も変わらないという「聖凡一如」という立場から、凡人でも努力によって聖人になれるとして、後天的努力を評価しました。 礼治主義:社会規範としての礼によって人々の行為を規制する立場。 「出藍(しゅつらん)の誉(ほま)れ」「青は藍より出でて藍よりも青し。」(『荀子』):弟子が努力を続けて学問に励み、その結果、師よりも優れること。 韓非子(かんぴし):荀子の弟子。礼治主義から法治主義へと進んで法家思想を完成させ、それを採用した秦王政は辺境の地にあった秦を戦国七雄(西方の大国秦、北方の大国燕、東方の大国斉、南方の大国楚、周王朝由来の中原の晋から分かれた韓・魏・趙)の最強国にして中国統一を成し遂げ、始皇帝となりました。この中国統一はEUに先立つこと二千二百年の超国家中央集権帝国実現の大事業であったと言えます。始皇帝は儒家思想に対して否定的で、焚書坑儒で思想統制を行いました。 陽儒陰法:孟子以降の儒家思想(儒教)は前漢時代に国教となりましたが、実際には理想主義的儒家思想(儒教)によって中央集権帝国を統治することは難しく、現実主義的法家思想(法教)に依らざるを得ませんでした。これを「陽儒陰法」
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教養としての儒教③:孟子

孟子:孔子の孫の子思の門人の下で学び、聖人とされる孔子に次ぐ「亜聖」と称されます。孔子の仁の思想を発展させ、「仁は人の心なり、義は人の路なり」として、仁義を特に重視しました。性善説→良知良能→四端・四徳説→五倫の道→浩然の気→王道政治→天人相関説・易姓革命。「中国のプラトン」的存在です。孟子が一生の間、行った遊説や論争、弟子達との問答、および語録の集成が『孟子』です。 性善説:人間の本性を善とする考え。 良知良能:人間に生まれながらに備わっている道徳的判断能力(良知)と行為能力(良能)。良知は四端説へ、良能は四徳説へと連結され、孟子心理学が体系化されますが、後に王陽明が良知(良心)説を引き継ぎ発展させ、心即理に基づく致良知の理論(陽明学)を完成させます。これらは後のカントの「実践理性」に通じます。 四端説:四徳(仁・義・礼・智)の端緒となる心を四端としました。なお、四徳に信を加えて五常の道としたのは、五経博士を置くなどして儒教を官学化した前漢の董仲舒によります。五倫の道と共に「五倫・五常」として、儒教の重要な徳目となりました。 (1)惻隠の心:他人の苦しみや悲しみ、不幸を見過ごせない心。仁(思いやり)の徳の芽生え。(2)羞悪の心:自分や他人の正しくない点(悪)を恥じて憎む心。義(正義の心)の徳の芽生え。(3)辞譲の心:自らへりくだり、他人に譲る心。互いに譲り合い、他人を尊重する心。礼(礼儀作法)の徳の芽生え。(4)是非の心:善悪を見分ける心。智(道徳的判断力)の徳の芽生え。五倫の道:人間関係において守るべき5つの道徳。孟子は、愛は人間関係に応じて示されるべきであると考え、墨子の
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教養としての儒教②:孔門十哲と七十子

孔門十哲:「四科十哲」とも言われ、門徒三千人と言われた孔子の弟子の中でも最も優れた10人の弟子を指します。 顔淵(顔回): 徳行科。孔子が「顔回ほど学を好む者を聞いたことがない」(雍也第六、先進第十一)と述べ、子貢が「私は一を聞いて二を知る者、顔回は一を聞きて十を知る者」(公冶長第五)、と述べており、孔子から後継者として見なされていましたが、早世したため、孔子の落胆は激しく、「ああ、天われをほろぼせり」(先進第十一)と慨嘆しています。 閔子騫(びんしけん):徳行科。孔子からも孝行者であると賞賛されています(『論語』先進第十一)。閔子騫の子孫だと自称する驪興閔氏(れいこうびんし)から朝鮮王朝最後の王である高宗の妃が選ばれ、閔妃(明成皇后)となっています。 冉伯牛(ぜんはくぎゅう):徳行科。ライ病にかかった冉伯牛を見舞った孔子は、窓からそっと伯牛の手を取って、「このような人物を失うのも運命なのか。よりによってこの人にこの病気とは。よりによってこの人にこの病気とは」と言って大いに嘆いたと言われます。下村湖人の『論語物語』中の「伯牛疾あり」はこの箇所を描いた作品です。 仲弓(ちゅうきゅう):徳行科。その人格の高さから「南面すべし」(君主は南を向いて座ることから、君主たる器量があるという意味)と孔子が称えました。 宰我(さいが):言語科。弁論の達人で、孔門の中では最も実利主義的な人物で道徳を軽視したため、礼とともに道徳を重んじる孔子からよく叱責を受けていました。 子貢(しこう):言語科。弁舌に優れ、衛や魯でその外交手腕を発揮し、たびたび「子貢は孔子を超えている」と言われたほどで、「過ぎた
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教養としての儒教➀:礼学文化と孔子

孔子:周王朝時代の政治(礼楽文化)を理想とし、特に周王朝の祖文王の子で、初代武王の弟、第二代成王の摂政であった周公旦を尊敬しました。仁の基礎として忠恕(忠=純粋なまごころ、恕=他人への思いやり)を唱えました。内面的な仁の心を礼に表すべきであり(克己復礼)、その実現を目指して励む者を「君子」と呼んで、理想的人間としました。「道」とは人間の従うべき道徳の規範だと考えました。「中国のソクラテス」的存在です。その言行録は『論語』にまとめられました。孔子思想を淵源とする儒教は、孔子主義(コンフューシャニズム)とも言われます。 五経:『詩経』『書経』『礼記』『易経』『春秋』。孔子以前に編まれた書物を原典として、孔子の手を経て現在の形になったと考えられています。元々、『楽経』も入って「六経」でしたが、これは早くに失われたので、「五経」となりました。 (1)『詩経』:中国最古の詩篇。『史記』孔子世家によれば、当初三千篇あった膨大な詩編を、孔子が311編(うち6編は題名のみ現存)に編成し直したと言います。孔子は「詩に興り、礼に立ち、楽(がく)に成る」(詩を学んで人としての心をふるい起こし、礼を学んで人としての行いを確立し、 音楽を学んで人間を完成させるのである。『論語』)と述べているように、詩・礼・音楽の3つを君子に必須の教養としました。『万葉集』の編集も『詩経』を参考にしたと言われています。また、四言句を基本とする『詩経』が北方詩の代表的源泉で、六言句を基本とする『楚辞』が南方詩の代表的源泉となっており、これらが融合し、漢代の賦(ふ)、魏晋南北朝の四六駢儷文を経て、中国・東洋文学の精華とも言う
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