陸象山:陸九淵。心を分析してその中に性・情や天理・人欲を弁別することを良しとせず、心そのものが「理」であると肯定し、「心即理」を基本原理とする心学を創始します。これは程明道の「善悪みな天理」「万物一体の仁」という考えを展開したもので、「六経、みなわが心の注釈なり」と述べて、権威ある六経よりも自らの心を上位に置き、六経や孔子・孟子に先験的な価値を置かない姿勢を打ち出しました。
王陽明:宋学・朱子学と共に新儒学に位置づけられ、「心学」「陸王学」とされる明学・陽明学を確立しました。朱子学が世界を導く規範である「理」を事物の内に求める傾向にあると批判し、朱子の論敵であった宋の陸象山の心即理の立場に立ち、外界の事物に「道」を追い求めるべきではなく、心の中の「道」のままに生きる(致良知)であるべきとしました。これは孟子の良知良能説を引き継ぐものでもあります。『伝習録』。
良知:人間の心の中に生まれながらに存在する「道」、良心。
心即理:「道」とは天地万物に内在する客観的なものではなく、心の働きがそのまま「理」であるとする考え。自己の心が事物や行為に即して理を生み出すことが本当の知になると考えました。
致良知:心の中の「道」のままに生きること、良心に従って生きること。
知行合一(ちこうごういつ):知ることは行いの始めであり、行いにより知ることが完成するとしました。したがって、陽明学は行動主義的で、かつ不合理的な現実に対して否定的になるので、江戸時代の日本では体制維持のイデオロギーとして採用された朱子学に対して、在野の学にして倒幕のイデオロギーの1つとなりました。
事上磨錬:行動や実践を通じて、知識や精神を磨き上げること。
「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し。」(「与楊仕徳薛尚誠書」)
陽明学:王陽明後には、修養を重んじ、朱子学と折衷的な陽明学右派(漸進的な漸悟禅、北宗禅と通じます)と、現状肯定的な陽明学左派(瞬時に悟れるとする頓悟禅、南宗禅と通じます)に分かれ、左派から李卓吾が出ました。李卓吾は福建省の泉州出身で、その先祖は儒教・仏教・道教から天主教(カトリック)・イスラーム教徒に至るまで多彩であり、自らも儒仏道の三教に通じる求道精神の持ち主で、南京でイエズス会のマテオ・リッチと会見しています。妥協のない思想を展開した『焚書』は禁書となり、獄死しますが、日本の陽明学者吉田松陰が高杉晋作に送った手紙でこの『焚書』を激賞したことは有名です。また、「童心」(真心)を理想として、男女平等の論を展開するなど、時代に先んじた思想は近代中国で高く評価されるようになりました。