教養としての日本儒教④:国学

記事
学び
国学:古学派の古典研究に影響を受け、日本の古典に日本固有の精神(古道)を見出そうとする学問。儒学に対する一大学派となりました。

契沖:江戸中期の国学の先駆者、『万葉代匠記』(『万葉集』の注釈書)。『万葉集』を古の遺風を伝える書物と考え、儒学や仏教の解釈によらずに文献学的・実証的に研究すべきだと主張しました。古来の為政の理想である古道を見出す学問を始め、国学の祖と言われます。そもそも水戸藩において第2代藩主光圀の志により、『万葉集』の諸本を集めて校訂する事業を行っており、下河邊長流(しもこうべながる)が註釈の仕事を託されまたしが、長流が病でこの依頼を果たせなくなった時に同好の士である契沖を推挙し、契沖に引き継がれます。契沖は『万葉集』の正しい解釈を求める内に、当時主流となっていた定家仮名遣の矛盾に気づき、歴史的に正しい仮名遣いの例を『万葉集』『日本書紀』『古事記』『源氏物語』などの古典から拾い、分類した『和字正濫抄』を著していますが、これに準拠した表記法は「契沖仮名遣」と呼ばれ、後世の歴史的仮名遣の成立に大きな影響を与えました。かくして完成した『万葉代匠記』は、鎌倉時代の仙覺や元禄期の北村季吟に続いて画期的な事業と評価されており、仏典漢籍の莫大な知識を補助に著者の主観・思想を交えないという契沖の註釈と方法が最もよく出ている代表作です。

荷田春満(かだのあずままろ):賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤と共に「国学の四大人(しうし)」の一人とされます。古語の理解によって古代精神を明らかにしようとしました。契沖の『万葉代匠記』などを学び、古典・国史を学んで古道の解明を試み、古道の意義を強調して国学の学校創設を8代将軍吉宗に進言します。弟子に賀茂真淵がいます。

賀茂真淵(かものまぶち):江戸中期の国学者、「国学の四大人(しうし)」の一人、『国意考』『万葉考』『歌意考』。日本固有の道である「古道」を知るには『万葉集』を研究すべきであると考え、国学の方法を確立しました。儒学や仏教の影響を受けていない日本人の素朴な自然のままの境地の重要性を主張し、「高く直き心」を理想としました。本居宣長は伊勢神宮の旅の途中、伊勢松阪の旅籠に宿泊していた真淵を訪れ、生涯一度限りの教えを受けていますが(「松阪の一夜」)、この時、宣長は33歳、真淵は66歳で、22歳の時に契沖の古典研究に触れて国学を志した宣長が『古事記』の注釈がしたいと言うと、真淵は「私は国学の基礎は『古事記』にあるとしながら、その前段階の『万葉集』の研究に人生の多くを費やした。あなたなら記紀の解明はできるでしょう」と励ましたとされます。その後、宣長は真淵に入門して学問の志を受け継ぎ、文通を続けながら『古事記』の研究に着手し、約35年を費やして精密、詳細な『古事記伝』を完成させるのです。

古道:人為を加えない、自然のままの感情を重んじる日本古来の道。真淵は、偽りや技巧を排した古代人の精神にこそ古道があるとし、それが神のはからいに他ならないとしました。

ますらをぶり:『万葉集』の男性的で大らかな歌風。真淵は、天地自然のままに素直に大らかに生きる古代精神の基調「高き直き心」によって歌われた和歌を高く評価しました。これに対して、儒教・仏教の影響があるさまを「からくにぶり」として排しました。

たをやめぶり:『古今和歌集』以降の女性的で優雅な歌風。真淵は批判していますが、弟子である本居宣長は、『源氏物語』を高く評価し、「たをやめぶり」も日本の文化の大切な流れであるとしました。

高き直き心:『万葉集』研究によって理想とされた、自然のままに素直に雄々しく生きる古代人の精神。

塙保己一(はなわほきいち):和学講談所、『群書類従』。全盲ながら賀茂真淵に学び、実証主義的な史料研究を行い、全てを耳で聞いて覚えて、国学・国史を主とする一大叢書『群書類従』666巻を出版しました。その版木を製作させる際、なるべく20字×20行の400字詰に統一させていますが、これが現在の原稿用紙の一般様式の元となっています。また、平田篤胤や『日本外史』を著した頼山陽なども保己一に学んでいますが、『群書類従』はイギリスのケンブリッジ大学をはじめ、ドイツの博物館、ベルギーの図書館、アメリカの大学等に寄贈されたため、三重苦で知られるアメリカのヘレン・ケラーも幼少時より「塙保己一を手本にしなさい」と母親より教育され、来日時には真っ先に渋谷にある塙保己一資料館「温故学会」を訪れて保己一の座像や机に触れ、「日本訪問における最も有意義なこと」と述べています。

本居宣長:「国学の四大人(しうし)」の一人、国学の大成者、『古事記伝』『源氏物語玉の小櫛』『玉勝間』『馭戒慨言(ぎょじゅうがいげん)』。契沖の文献考証、賀茂真淵の古道説を継承し、約35年を費やして当時の『古事記』研究の集大成である注釈書『古事記伝』を著し、一般には正史である『日本書紀』を講読する際の副読本としての位置づけであった『古事記』が、独自の価値を持った史書としての評価を獲得していく契機となりました。言語学的にも係り結びの法則を明らかにしたり、「上代仮名遣い」は母音の違いに対応するとして、奈良時代には「イ・エ・オ」がそれぞれ2種類(甲類と乙類)に分かれていて母音は合計8個あったことが明らかになり、画期的な業績となりました。その後、甲乙の区別が無くなって今日の5母音となったのであり、こうした研究から上代日本語の復元が進みました。また、『源氏物語』の研究から注釈書『源氏物語玉の小櫛』を著していますが、宣長は「もののあはれ」という感情を重視し、儒学が素直な感情よりも道理を優先して、人間の自然な感情を抑圧しているとして批判しました。そして、善悪などの価値観、作為的な観念は儒学や仏教によってもたらされたものであり、これに影響された漢意を排除して真心に従い、古代日本の神々の道に従う生き方を理想としました。私塾鈴屋(すずのや)で500人近い門人を育てていますが、平田篤胤などは死後に夢中で対面して入門を許されたとしています。

漢意(からごころ):儒学や仏教に感化された心。うわべをつくろうさまを「唐土風(もろこしぶり)」として排しています。江戸時代以前の日本外交史に関する『馭戒慨言(ぎょじゅうがいげん)』も漢意の批判・排除を目的としています。

惟神(かんながら)の道:『古事記』『日本書紀』『万葉集』に見られる日本古来の道「古道」のこと。

真心:良くも悪くも生まれつきたるままの心。本居宣長は和歌や物語文学を通じて歌道を研究する中で、漢意を捨てて、悲しむべきことを悲しみ、喜ぶべきことを喜ぶ、ありのままの心の働きを知ることこそが大切であると説きました。

もののあはれ:人が物や事に触れた時、しみじみと素直に感じる心のこと。真心の現れで、この心を知り、身につけた人を「心ある人」と評価しました。

平田篤胤(ひらたあつたね):「国学の四大人(しうし)」の一人、復古神道、『霊能真柱(たまのみはしら)』『仙境異聞(せんきょういぶん)』。宣長の没後2年目にその著書を読んで国学に目覚め、夢の中で宣長より入門を許可されたとしており、「宣長没後の門人」を自称しました。篤胤は死後の魂の行方と救済をその学説の中心に据え、人は死ぬと皆、黄泉国に往くという『古事記』の主張に立った宣長に対し、死者の霊魂は幽冥界に行き、神の下で子孫を見守る存在になるとしました。また、国学を基礎に日本固有の古代の神の道を説き、幕末の尊王攘夷運動に影響を与えましたが、国学の実証的性格は薄れていきました。私塾気吹舎では塾教育と連動して、多種多様な出版物を刊行していましたが、篤胤の死後も含めて門人は約4200人に上ったとされます。

『霊能真柱』:「霊の行方の安定(しづまり)」を知るならば「大倭心(やまとごころ、大和心)」を堅くすることができ、「真道(まことのみち)」を知ることができるという死後安心論の意図をもって著述され、人は生きては天照大神が瓊瓊杵尊に命じて治めさせ、それを引き継いだ天皇が主宰する「顕界(うつしよ)」(目に見える世界)の「御民(みたみ)」となり、死しては大国主神が主宰する「幽冥(かくりよ)」(目には見えない世界、冥府)の神となって、それぞれの主宰者に仕えまつるのだから、死後は必ずしも恐怖するものではないと説きました。

『仙境異聞』:神仙界を訪れ、呪術を身に付けたという少年寅吉(とらきち)からの聞書きをまとめたもの。以前から異境や隠れ里に興味を抱いていた篤胤は、寅吉の話により幽冥の存在を確信したとされます。

復古神道:国学者達により学問的な立場で突き詰められていった国学的神道。賀茂真淵や本居宣長らが古道説を体系づけ、さらに平田篤胤らが儒教や仏教を強く排斥して日本古来の純粋な信仰を尊んで大成しました。そして、仏教・儒教・道教・蘭学・キリスト教など様々な宗教教義なども進んで研究分析し、八家の学とも称しされた平田派国学から明治期の古神道が生まれ、篤胤の弟子本田親徳(ほんだ ちかあつ)は神道における霊的側面を理論化し、さらにその流れを汲む大本教の出口王仁三郎らは人間の心は根源神の分霊である「直霊(なおひ)」が「荒魂(あらたま、あらみたま)」、「和魂(にぎみたま)」、「奇魂(くしみたま)」、「幸魂(さきみたま、さちみたま)」の4つの魂を統御するという日本古来の「一霊四魂」説を体系化しました。今でも出雲大社や出雲大社教などでは、神語「幸魂奇魂守給幸給」(さきみたま、くしみたま、まもりたまえ、さきはえたまえ)を唱える伝統があり、これは浄土系仏教徒が「南無阿弥陀仏」を唱えたり、日蓮宗系仏教徒が「南無妙法蓮華経」と唱えたり、キリスト教徒が「アーメン」と唱えたりすることに通じます。

直霊:天とつながる霊的部分で、4つの魂の働きをコントロールし、良心のような働きをします。本居宣長の『古事記伝』にも「直毘霊(なおびのみたま)」が収められ、その古道論を論じていましたが、後に独立した一書となりました。後に五行思想が取り入れられ、中央の土に該当とするとされました。

荒魂:「勇」の機能、前に進む力。五行思想では南方の火に相当するとされました。

和魂:「親」の機能、人と親しく交わる力。五行思想では北方の水に相当するとされました。

幸魂:「愛」の機能、人を愛し育てる力。五行思想では東方の木に相当するとされました。

奇魂:「智」の機能、物事を観察し分析し、悟る力。五行思想では西方の金に相当するとされました。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す