実学:天理を追求する朱子学の窮理の精神が自然科学的な実学を生み、後の西洋知識の受容を準備しました。明末清初の中国でも、顧炎武(こえんぶ)・黄宗羲(こうそうぎ)・王夫之(おうふうし)らが学問は現実の社会問題を改革するために用いられなければならないと主張して経世致用(けいせいちよう)の学を興し、朝鮮王朝後期の朝鮮半島でも、事実に基づき真理を求める「実事求是」と物を役立てて用い生活を豊かにする「利用厚生」を基礎にした実学が興っています。
貝原益軒(かいばらえきけん):『大和本草』『養生訓』『和俗童子訓』『女大学』。元々は朱子学者ですが、和算から陽明学に至るまでの幅広い読書とフィールドワークを重ね、木下順庵、山崎闇斎ら朱子学者と交流すると共に、農業学者宮崎安貞『農業全書』編集を手伝い、動植物への関心から博物学的な知のあり方を追究する一方で、日用の道徳を分かりやすく説くなど、朱子学を日常に活かす試みを行いました。70歳で役を退いてからは著述業に専念するようになり、60部270余巻に及ぶ著書を残して、本草学(薬学)の発展に貢献すると共に、教育、養生、経済、農業など幅広い領域で実績を残しました。ちなみにシーボルトは実証的博物学者益軒を「日本のアリストテレス」と称しています。養生法の達人でもあり、83歳にして抜歯が1本も無かったとされます。
本草学:植物や鉱物などの効用を研究する学問。
西川如見(にかわじょけん):江戸時代前・中期の天文暦算家・地理学者。明・琉球・オランダなど世界各国から日本からの道程や気候・風俗・物産などを記した、日本初ての世界商業地誌『華夷通商考』を著します。
横井小楠(よこいしょうなん):熊本藩校時習館塾長を経て、後に教育勅語を起草する元田永孚(もとだながざね)らと実学党を結成し、「大義」を世界に行き渡らせ、「民富」を図る実学を提唱しました。小楠は儒学に基づきつつ、西洋の技術と知識の積極的な受容を説いて和魂洋才論・積極的開国論の立場に立ち、幕府・藩を越えた統一国家の必要性を説いています。ちなみに小楠の第一の門弟は徳富蘇峰と蘆花の父親である徳富一敬でした。その後、福井藩の松平春嶽に招かれて政治顧問となり、幕政改革や公武合体の推進などにおいて活躍し、明治維新後に新政府に参与として出仕しています。
「尭(ぎょう)・舜(しゅん)・孔子の道を明らかにし、
西洋器械の術を尽くさば、
何ぞ富国に止らん、
何ぞ強兵に止らん、
大義を四海に布(し)かんのみ」(小楠がアメリカに留学する甥の左平太・太平に贈った言葉)
熊本洋学校:肥後実党の建策により、明治維新後にアメリカの元軍人リロイ・ランシング・ジェーンズを招聘して開設された英学校。閉鎖後は同志社英学校に引き継がれます。
熊本バンド:明治期日本にキリスト教を広めた三大バンドの1つ。熊本英学校を母体として誕生し、金森通倫、小楠の息子横井時雄、小崎弘道、海老名弾正、徳富蘇峰らが輩出され、国権的キリスト教の流れができます。