孫子:兵家。呉王闔閭(こうりょ)・夫差(ふさ)と2代にわたって補佐し、 小国呉をもって大国・楚(そ)を撃破し、春秋の覇者に導いた呉国の将軍孫武で、戦術・兵法を説きました。『孫子』は老子思想の影響を受けた兵法書とされますが、孫武は「軍律を正す」ことを重視しており、これはヨーロッパではクロムウェル以降に確立された思想で、法律重視の法家思想にも通じると言えます。また、孫武の子孫で約150年後に斉の将軍となった孫臏(そんぴん)も優れた戦略家で、「二人の孫子」と呼ばれましたが、『孫臏兵法』が発見されたことで、『孫子』の著者は孫武であることが確定しました。「戦わずして勝つ」「弱をもって強に勝つ」を理想とする考え方は『孫子』にも『孫臏兵法』にも共通しています。
「彼を知り、己(おのれ)を知れば百戦殆(あや)うからず」:毛沢東も『矛盾論』『中国革命戦争の戦略問題』『持久戦論』で引用しており、孫子を重視していたことが分かります。この後に、「彼を知らずして己を知れば一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦うごとに必ず殆うし」と続きます。
「その疾(はや)きことは風のごとく、その徐(しず)かなることは林のごとく、侵掠することは火のごとく、動かざることは山のごとし」:1つの状態に固定することなく、静と動、正と奇という具合に変幻自在、状況に応じた変化の必要性を言います。有名な武田信玄の旗印「風林火山」はこの言葉に由来します。
呉起:兵家。孔子の晩年の弟子曾子に学んでいますが、次第に法治主義によって富国強兵を図ろうとする法家思想による政治の実践に乗り出し、その著書『呉子』は法家思想の流れを汲むとされる兵法書です。ちなみに曾子の弟子が孔子の孫である子思であり、その門人に学んだのが孟子でした。やがて、魏の将軍を経て楚の宰相となり、刑罰に身分差があったハンムラビ法典のごとく、「刑は士大夫にのぼらず」という伝統があった時代に、貴族にも平民にも同じ法律を適用し、信賞必罰の原則を徹底して中央集権化を強行し、楚の強大化に貢献します。
兵法学:単なる戦争技術ではなく、人間の本性に対する鋭い洞察に基づいて、勝負に関する行動の原則を探り出す学問であり、伝統的に帝王学の1つとされてきて、春秋戦国の諸子百家の時代には兵家思想として現れました。周王朝建国の功臣にして斉の地に封ぜられた太公望呂尚(りょしょう)の『六韜(りくとう)』、春秋時代斉の大司馬(だいしば、将軍)田穣苴(でんじょうしょ)の『司馬法』、孫武の『孫子』、呉起の『呉子』、秦の始皇帝に仕えた尉繚(うつりょう)の『尉繚子』、漢の高祖劉邦に仕えた軍師張良の『三略』、唐の太宗李世民に仕えた名将李衛(李靖)の『李衛公問対(りえいこうもんたい)』を特に「武経七書(兵法七書)」と言います。
「虎の巻」(『六韜』):六編の1つである虎韜(「韜」は「秘訣」)のこと。門外不出の秘伝が書かれている書、転じて、教科書などに対する解説書のことも指すようになりました。
「柔よく剛を制す」(『三略』):老荘思想に基づくとされ、柔術や柔道の理念ともなりました。