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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜山奥シェアハウス編②

基本、僕はシェアハウスで、派手なこと何もせずゆっくり過ごしていた暇になったら、自然をぼーっと眺めたり、近くを散歩したりしていた。娯楽といえば、YouTubeとたまに見るNetflixくらいだった。その時は、ゆったりと過ごしているのが一番心地よく、僕の身体もそれを欲していたのがわかっていた。そんな僕に、特に何かを言ってくる人もおらず、みんないい距離感でそっとしておいてくれた。住人さん同士も、お互いを必要以上に干渉することなく、それぞれ自由に過ごしていた。自分で野菜を育てたり、アコギを弾いたり、プログラミングを書いている人もいた。僕の楽しみは、食事の時間だった。できるだけ、安く美味しく作ることを目指していた。付近にはコンビニすらなかったので、週一回、オーナーが隣町まで買い出しに連れて行ってくれた。他にも、自分たちが育てた米やサツマイモがあり、また、知り合いの農家さんが野菜をくれることもあった。米とサツマイモは食べ放題だったので、最悪、お金が無くなっても餓死することはなかった。とにかく食べ物は1番大事で、体温維持のためにも欠かせなかった。冬は、豪雪地帯になるので、家の中まで寒くなることが多く、しっかり食べないと耐えられなかった。また、寝る時は、布団の中があまりにも冷たいので、自作の湯たんぽを使っていた。ただ、正規品の湯たんぽがなかったので、500mlのペットボトルに熱湯を入れて代用した。とりあえず、足が暖まると落ち着いて眠ることができた。しかし、プラスチックなので、直接触れると熱すぎて飛び起きることもあった。他にも、シェアハウスの電気が急に止まったことがあった。原因は、近くの電線が切
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜山奥シェアハウス編

僕の心は、今までよりも正直になってきた。以前よりも、やりたいことが明確にわかるようになり、逆に、やりたくないことを拒否する感覚も強まってきた。メンテルヘルス的には、とても良い兆候だと思った。しかし、その影響で心のストッパーが外れ、今まで何年も溜め込んできた「我慢や疲労」が一気に溢れてきた。やりたく無い事をやろうとすると、全身がとてつもないだるさと無気力に支配され、体が言うこと聞かなくなった。考え事をすると、頭にモヤがかかったように思考できなかった。今までのように、無理矢理に自分を奮い立たせて頑張るようなやり方は通用しなくなった。力が湧いてくるのは楽しいと感じる時だけで、基本的には無気力だった。初めは、自分に甘えているのかと思い自己嫌悪に陥ったが、カウンセラーの先生に話を聞くと、どうやらそうでは無いことがわかった。これは心理学的にはアパシーという状態らしく、僕の心は「今は何にもしないで、とにかく休んで。」というメッセージを「無気力」という形に変換して体へ伝えていたようだった。これは想像以上に強力で、当時は、どんなに気合を入れても力が出てこなかった。1度、この状態になると、もはや自分の意思ではどうすることもできず、素直に回復するまで休息を取るしかなかった。仕方ないので、とにかくゆっくり休めそうな場所を探した。自分の気持ちとしては、自然の中で誰にも干渉されずに過ごせる場所を求めていた。その方向性でしばらく探していると、山奥シェアハウスというものを見つけた。そこは、名前の通り山奥にあるシェアハウスで、オーナーごとに色々なコンセプトを掲げて運営されていた。僕が見つけたところは、「山の中で
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僕が、僕の本音を見つけるまで。〜脱サラ編

初めまして。心理カウンセラーのもっくんです。このブログでは、僕はどんな人間で、どんな経験をしてきたのかをまとめていこうと思います。もし、興味が湧いた方は、覗いていってみてください。1年前、僕は会社を辞めた。毎日、満員電車に揺られ、好きでもない仕事をこなす事に限界がきたからだ。また、社長とも仲が悪く、毎日会うのが苦痛だった。それらの理由が積み重なり、僕は会社を辞めた。レールから外れ、路頭に迷った僕は、未来への不安と恐怖で押しつぶされそうだった。辞めた日の夜は、強烈なめまいに襲われた。次の日から、焦って次の職探しをしていたが、どうしても決まらなかった。正社員だけでなくバイトも見てみたが、あまりピンと来なかった。僕は、一人で考えるのに限界を感じ、少し前から良くしてもらっているカウンセラーの先生に相談した。先生によると、僕の中に、「やりたくないことを頑張るキャパ」が残っていないようだった。学生時代からたくさんの我慢を続けてきた僕の体は、次の仕事を決めないことで、僕に危険信号を出していたようだ。イメージすると、僕の体が、「もうやりたくないことはやらせないよ!これ以上、我慢させたら病気になっちゃうからね!」と言っているような感じだ。続けて先生は、「君の対人恐怖や希死念慮も、今までの我慢の積み重なって吹き出したものだよ」といった。実は僕は、中学生の時から、希死念慮や対人恐怖を持っており、大人になってもそれらに苦しめられていた。そうだったのかと。先生の言葉が腑に落ちた。今までは、嫌なことを我慢して頑張らないといけないと思い込んでいたが、その時に初めて、「やりたいことをやってみよう」と思えた。僕
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対人不安・恐怖から抜け出す!

コロナ生活が続いていたから 人と関わるのに不安を感じるのは 当たり前なのかもね まずは、 その緊張・・不安・・があることをよしとしましょう。 なくそうとしても なくならないものだから・・ だから、 緊張や不安を抱えながらも 人と関わればいいんです 余計に緊張や不安を抑え込もうとするから、ぎこちなくなるんですよセルフイメージが低くなってくると 人と関わる怖さが出てくる セルフイメージっていうのは 自分のことを自分が どう思っているのかということ 自分のことを・・ 情けない奴 ダメな奴 なんて風に思ってたら、 そりゃ、人と接するのが怖くなるのは当然だよね だから、自分の思い込みを変えることは大切なことなんだよ人に対する怖さって セルフイメージが関わっているんだ でも、 セルフイメージを書き換えるには 時間がかかるものなんだよ そのために大切なことは・・ 【自己対話】 普段、自分が自分に対して どんな言葉がけをしているかが、 今のあなたのセルフイメージを 作っているんだよ 奥が深いでしょ対処療法的なものになるけど・・ 自分が見られていると思うから 人と関わるのが怖くなるんです だから・・ 「見られている」 ↓ 「見ている」 に変えてあげればいいんです でも、 どうやって見られている状態から、見ている状態にするのかというと、長くなるので・・ またの機会にあなたは自分のことを 認めてあげられていますか?こんなことを感じては・・ こんなことを思っては・・ こんなことをしては・・ こんな自分では・・ ダメだこういう風に 自分のことを認めてあげずに 自分のことを否定ばかり していると・・ あな
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「人が怖い」と感じるあなたへ

「人が怖い」と感じるその理由は… これまで、「どれだけ人に傷つけられてきたか」が関係します。もしもあなたが、信じていた人から傷つけられたり、裏切られたりした経験を重ねてきたのなら…「人が怖い」と感じるのは自然な反応です。 あなたのせいではありません。 あなたに必要なことは、 「人間にはいろんな人がいて、怖い人もいるけれど、信じられる人もいる」 という経験です。 これから、上書きしていけばいいのです。 傷が深ければ深い分だけ、「怖い」という思いがやわらぐまでに、時間が必要だと思います。それでも、上書きすることはできるはずです。「信頼できる人」は必ずいます。あなたが、信頼できる人と出会い、抱えている傷がやわらぐことを、心から願っています。
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言いたい事が言えない

言いたい事が言えないだから言えるようになりたい誰もが一度は体験する道ですよねみなさんこんにちは京都・大阪心理セラピスト@カナコですこんなお悩みに直面する時言いたい事が言えるようになったら本当に解決か?となると多くの場合言えたあとモヤモヤするんです言いたい事が言えない時おそらく人は我慢していますそして行き着く先はああ、今日も言えなかったああ、ムカつく!ああ、私ってダメだなあああ、自分ってしょうもないなあああ、またやっちゃったああ、やっぱりね繰り返し自分の中で出てくる感情や感覚の方程式がありますここに自分の前提が隠れていますこの自分の前提、セルフイメージとも言いますが人は前提の通り前提に沿って生ききます前提と違う事が起きると何だかザワザワ、ゾワゾワして違和感!違和感!と脳が危険信号を出し前提に戻ると安心して危険信号が止まりますなので、例えば自分の前提が言いたい事を言うと捨てられるという前提を持っていたりすると言いたい事を言うと捨てられるんじゃないか嫌われるんじゃないかハブられるんじゃないか無視されるんじゃないかとザワザワザワザワーっと不安や恐怖が無意識の中で作動し始めますこれが浮き上がらないように言いたいことは言わない出さないと毎回自分が選択をしています言いたい本音と捨てられる嫌われる恐怖がいつも隣あわせで天秤なんですねそしてこの前提を放置したまま言うてしまえ!!とドライブをかけて言った後にはあー言ってしまったあーあの言い方はまずかったあー悪い事したかもあー言うんじゃなかったかもあー私がダメかもと罪悪感や不安や後悔や自分責めがグルグルともこもこと出てくるんですよねそりゃいいわない、
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首が震える あがり症 『黒板が見れない』

こんにちは、クロです。思春期の話をさせて下さい。 高校生時代、黒板が見れませんでした。 顔を上げると『首が震える』からです。 特に、苦手な人が近くにいると そうなりました。 当時、気性の激しい女の子が 近くにおり、とにかく緊張しました。 「悪口を言われるんじゃないか」 「おかしいと思われるんじゃないか」 「攻撃されるんじゃないか」 そのため、震えないようにすることだけに 全神経を使っていました。 全く無駄な時間でした.. 自分ではコントロールできないことに 振り回され続けました。 周りには、 やる気がない奴、 勉強ができない奴のフリをして 何とか学生生活を誤魔化していました。 (かといって成績がよかったわけではありません汗) 本当は、 人の目を気にせず、 ただ皆と同じように勉強したかっただけでした。 もっと友達を作りたかったし、 もっと広い世界を見たかったし、 もっと自分に挑戦したかった、 でも、そうさせなかったのが 首の緊張(あがり症)です.. もちろん、そんな自分が嫌いだったので あらゆる手段で解決法を探りました。 当時はインターネットの普及途上で ここまでなく、藁をもすがる気持ちで 出てきたサイトに、片っ端から 通い続けていました。 心療クリニックはおろか、 カウンセラー、 セラピスト、 催眠療法、 鍼灸、 整体、 漢方薬、 気功.. 全て無駄とは思いませんが、 当時、8割以上のことは効果が 『続き』ませんでした。 恐らく上記の方たちも 一生懸命施術されていたと思いますし、 ただ合わなかっただけかもしれません。 そんな状況から、今は少し、 過去を肯定できるようになりました
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ブログ執筆で得られる効果

私がココナラブログを始めようと思ったのは、電話相談の宣伝以外にも理由がある。 カウンセラーに勧められたからだ。 ブログを書くということはカウンセラーに相談するとも、日記をつけるとも違う効果がある。ブログを書くためには客観的視点が必要になるから回復には効果的、と教えて貰ったのだ。 実際、買い物依存の直し方、身近な人の死の乗り越え方を書いたことで一つの大きな山を乗り越えた感覚がある。 発達障害のグレーゾーンの診断を書いたときは、一人で抱えきれないものを開示できたことで「向き合うしかない」と開き直れることができた。 きっとブログに書かなかったら、その後友達に伝えることもできなかっただろうし、発達障害関連を商材にしようとも思えなかったと思う。 それに日記に書くだけだったら、愚痴やら文句やらネガティブな言葉しか出てこない。 カウンセラーに話すと客観的な視点で話すこともでき、第三者の感想も聞け、スッキリするがお金もかかる。 だがブログを書くことは自分の考えを整理できるうえにお金もかからない。 ブログ内容は、人それぞれ違うが、私の場合はこれまで感じていた解決できていないモヤモヤや、本を読んで考えたこと、自分の経験などを載せている。 今まで自分の胸の内に秘めていた考えを整理して記載する。 ずっと自分が考えていたことがおかしいと思い表現できなかったことにいいねがつくと、共感してくれる人が何人もいることを知り、それだけで承認欲求が満たされ共同体感覚を育むことができる。 私にしてみればブログを書くことがコミュニケーションなのだ。 通常、コミュニケーションというと話すことを想像すると思うが、私のように
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人の怒りを見る時

こないだ近所の1年生が外でお父さんに大きな声で怒鳴られてました。ぶちキレされていました。たった2分くらい朝の準備が遅れただけで。心が痛みました。準備が遅れてこまるのは子供。お父さんが困るみたい。お父さんの感情にふれるみたい。子供には自分で失敗する権利も与えられていないのね。お父さん 怒ってた。怒ってる人を見ると心が動揺する。怒ってる人が怖い。反応してしまう。まるで自分も評価をくだされているみたい。びくびくする。小さくなる。怖い人は怖いよ。人の気持ちのわからない、自分の感情しか見えていない人は怖いよ。怒られている側の気持ちも考えられない人間が脅威怖すぎる。目の前に人がいるのにその人の感情が存在していない人間への脅威。なぜ見えないの?私の親もその部類なんだ。他人に心が存在していないような生き方をする。自分はいつも感情を訴えるくせに。変なの。他人の心が見えないなら、他人は存在しないのと同じなんだ。自分だけ
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怒りをぶつけられること

怒りを持っているのは自分だけじゃない。私の感覚では2割くらいの人は怒りに動かされてる。その怒りを敏感に察知してしまう私は、どれくらいの怒りを持っているのだろう。怒りを持っているから他人の怒りが怖いのだろうか。私は怒りを抑圧しているのだろうか。認められているのだろうか。怒りとはしつこい感情だ。それくらい出しづらい感情ということだ。人間とはどうしてここまでに内面の状況の違うものなのか。怒りの度合いによって顔つきまで変わってくる。現実認識まで変わってくる。怒りとは・・・自分の怒りを認めよう。怒りと恐怖は絡み合ってる。怒れば、おいていかれる。怒れば、人は離れていく。怒れば、怒られる。怒れば、一人になる。
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自分が他人にどう絡むことがデフォルトなのか

これ命題ですね。どういうゴールを想定して絡んでいるのか。これによってすべてが決まるといっても過言ではない。他人との関わりで自分がどんな気持ちを感じるかは、もはやコミュニケーションをとる前から決まっているのである。なにが起ころうと他人が誰であろうと感じる感情が決まっている。それが喜びなのか怒りなのか不安なのか安心なのか。怖いですね、コミュニケーションを取る前から、コミュニケーションを取ったあとの感情は決まってる。怖いですね、コミュニケーションする必要ないですね。コミュニケーションからは何も得られないってことですね。感謝の意図からは感謝を遅かれ早かれ体感する。うひょーって感じ。ポジティブな人はどんなに頑張ってもポジティブな感情を結果的には手に入れるし、ネガティブな意図のある人はどう逃げ回ってもネガティブな感情が迎えに来る
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---傷つくことを恐れすぎて対人恐怖を患った過去---

こんにちは!自称「8年かけて自力で対人恐怖を克服した」やまだ。です。さて人によっては「対人恐怖」とは言わないまでも、「人見知り」「恥ずかしがり屋」など他者に対して一定の緊張を覚えることがある性格の人がいますよね。人見知り、くらいであれば誰でも持っていそうな性格なので大した問題にならなそうですが対人恐怖、との違いは何か?どちらも他人に対して緊張を覚える。そこは共通してると思いますが根本は「他者から変に思われたくない。嫌われたくない」という気持ちが強いかどうか、だと自分は思っています。対人恐怖、といっても様々なのであくまで私個人が経験して思ったことをつらつらと書かせていただくのですが、 私の場合はとにかく「他者に嫌われたくない。ほんの少しも嫌に思ってほしくない」が根っこにありました。 たとえ誰かから99%好意を持たれていたとしても、1%自分を嫌っている部分があるならば、 その1%が気になって気になって仕方がない… そんな神経質な人間でした。 こんな性格だったので、当然誰かと仲良く、なんて出来ません 仲の良い友人は幸いながらいます。しかし、 たとえ、仲の良い友人が相手でも。 完全に気持ちを楽に、心を落ち着かせて接することは難しかったです。 それは私が常に「1%でも嫌われること。変に思われること」を恐れていたからです。 もう文章読んでるだけで「変だな」と思いますよねw だって「たった1%を気にして怯えながら生活している」のですから 「そんなの99%好意持たれてるんだからOKじゃん!」ってなりますよね? それがですね、 私の場合は、99%OKだから大丈夫!とは、ならなかったんですね。 ホ
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神経質について

おはようございます!あなたは神経質と言われたことはありますか?神経質が原因で本来やるべきことができない状態を神経質症と呼びます。神経質症に陥る人は、自分自身が周りからどう思われているかということばかり考え、本来考えないといけない大事な部分を考えれていません。自分に向かう注意を1つ1つの行動に尽くし、外に向けることで本来やるべきこと、考えるべきことに意識を向けられます。そうすることで神経質の方の良さが出て好かれる人になっていきます♪もし神経質症や社会不安障害、適応障害でお悩み、ご相談などがあればまずはメッセージにてご相談ください。今日も良い一日を(^^)/
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人の目って誰の目

自分からの冷たい目
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否定される恐怖

否定されることって怖くありませんか?私はこの気持ちがとても強い。いや、四六時中その恐怖に怯えている。この気持ちが他人の100倍くらいは強い。むしろこの気持ちに常に悩まされている。否定されることが怖い・怖い・怖いなぜなら、否定されたら私の価値が無くなるから。否定されたとき、自分て価値がないんだって気持ちに苛まれるから。なんでこんなにも否定されることが怖いんだろう。たった一つ否定されることだよ?否定されることがなぜそんなに怖いの?なにに怯えているの?これは過去の記憶なんです。否定された過去なんです。向き合えていない過去の気持ちなんです。だからいつまでも成仏できずにうろうろしているんです。
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