「名前付け」は分離の世界の象徴?
原因不明の体調不良を感じた時。病院へ行き、病名を告げられると安心しませんか? 分離の世界を考えていたら、そんな問いが浮かんできて、結果的に、こんな図が出来上がりました☟ 例えば、この世界に生まれて、「太郎」と名付けられたとします。その瞬間に、周囲の存在が「太郎以外」になります。また、「安心」という言葉が生まれたら、それ以外が「安心以外」と認識され、「不安」という対極的な存在(言葉)が生まれます。『分離、境界、裏表、陰陽、2元的、2極』
もっと最小化するならば、ある音を「あ」と定義したら、それ以外の音が「あ以外」と認識され、その他の音にも名前を付け始めます。名前付け=言葉の始まり。言葉は分離(裏表・境界)の世界の象徴。『○○をしたら安心 → ○○をしなかったら不安』『○○なものが勝ち → ○○でないものは負け』そんな言葉に、右往左往させられるのも、分離や2極の世界ならでは。未知のものを怖がる。見えないものを怖がる。それ故に、知っているもの・見えるもの(証明や補償)を欲しがる。これも、分離の世界ならでは。そして、『名前があることが当然』な世界に長く住んでいると、名前の無いものに意味や存在が感じられなくなる。故に、名前が在るもの(その中には権威とか肩書も含まれるのでしょうね)が全てだと思い込むのは、仕方のない事なのかもしれません。たとえ、それが、この世界のほんの一部にすぎず、真実では無かったとしても‥。SORA
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