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すべては自分のせいである

何かが起きた時、いいことも、嫌なことも、それはすべて自分のせいです。そんなことないと思って生きている人がとても多いのですが、本当に「すべて」自分のせいです。会社で嫌なオツボネと同じ部署になったのも、それを決めたのは上司ですが、その会社を志望したのは私。夫の義両親がおかしな人達だった。彼を選んだのは私。今日ネズミのいる夢の国に行くのに台風。今日にしようと決めたのは私。あえて批判を覚悟で書くと、何かの事故や災害で亡くなった人も、それを知らず知らずのうちに選んでいるのです。(これだけはあちらの世界に行ってみないとわからないし、まだこの世界にいる私達がとやかく言うことではないのですが。)もちろん、この世に今生まれてこようと決めたのも、この親から生まれてこようと決めたのもすべて私。ここからが福寿の言いたいこと。だから私が変われば世界が変わる。これから先の人生は自分の考えや行動でなんとでもなる。ということ。誰かのせいにして思う通りの人生にならないと文句を言っている間は何も変わりません。それどころか見ている方向が悪い方なので、どんどんそっちに向かって進んでいきます。いい方向を見て、いい行動を重ねて行くしか前に進めないんです。「あ~部屋散らかってる。」と嘆いても部屋はきれいになりません。立ち上がって一つ一つ物を片付けるか、お金というエネルギーを使ってお掃除に来てもらうか、とにかく片付く方向へ行動をしなければ部屋はきれいにならないのです。そして、この部屋をそれほどひどい状態にしたのも私で、私以外の誰でもないのです。
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認知症への理解!

皆さんこんにちは!ゆき夫婦問題専門アドバイザーです。夫婦問題の原因の1つとして【親の介護問題】があります。元気で長生きしてほしい。そう思っても、認知症になったら大変ですよね。そもそも認知症のお年寄りってどういう方をいうかご存じですか?認知症は、脳の活動が衰え、知的活動(記憶、見当識(けんとうしき)、思考判断)の4つが障害されていることを認知症のお年寄りと呼ばれています。人は【知的活動】のみで生きているのではありませんよ。【精神活動】があります。(精神活動とは 悲しい、ドキドキする、気持ち悪い、気持ちいいといった感情の事)認知症のお年寄りといわれる方は精神活動は障害せれていません。 人間というのは、目が見えなかったら、耳でしっかり聞こうとする。手が動かなかったら、足が活発に動く、というように【知的活動】が障害されているから【精神活動】が過敏になっていく。弱りかけた知的活動を持ってこの精神活動で精一杯支え一生懸命生きている人の事を認知症のお年寄りといいます。そうは言っても、いざ親が認知症になってしまったら、どう対処していいかわかりませんよね。そんな時こそココナラだったり違うプラットホームで相談してみると気持ちが緩和しますよ!もちろん私も出品者の一人です。もう介護問題の事で夫婦仲が悪くなるといったことがなくなりますように全力でご相談を受けさせていただきたいと思います。一組でも多くのご夫婦の方々が幸せな日々を過ごしていたでければと願っております。
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昔の私は、居場所をなくした人でした

今でこそ「あなたは大丈夫」とお伝えしていますが💦20代の頃の私は自分の居場所を見失っていました💦結婚して相手(元旦那)のご実家のある地方へ東京から移住、転職。その町は閉鎖的で、元旦那のご両親や、転職先や、ご近所の空気は、移住者の私を受け入れてはくれませんでした。「東京から来た人」その一言で距離を置かれ、どれだけ努力しても溶け込めない感覚。味方のいない孤独。元旦那も親の言いなり。5年交際して結婚した元旦那とは2年と言う短い期間で結婚生活は終わり、離婚。あの頃の私は自分を責め続けていました。「私が悪かったのかな」「もっと我慢できたのでは?」でも・・・離婚をきっかけに、私は止まっていた『本当の自分』に戻りました。もともと趣味で好きだった占い。カードを引く時間だけが不思議と心を整えてくれていたことを思い出したのです。そこから、本格的に学び始めました。最初は、自分を救うため。でもいつしか思うようになりました。「あの頃の私みたいにひとりで泣いている人を救いたい✨」孤独を知っているからこそ、不安の重さがわかる。居場所を失った経験があるからこそ、「あなたは間違っていない」と本気で言える。占いは、未来を当てるものではなく心を整え、人生を動かすもの。あの離婚は、失敗ではなく私がこの道に進むための分岐点でした。今もし、居場所がないと感じているなら。それは終わりではありません✨人生が、次の扉を開こうとしているサインです。あなたの物語も、ここから変わります。
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日本人はお金に名前をつけたがる

変わったタイトルだと思いましたか?SNSに「誰かに何かを頼むことができない」という言葉をみかけました。その原因を考えた時、原因としてこの仕組みを思いついたのです。私達は海外諸国に比べて、出ていくお金に名前をつけたがる傾向があります。例えば、結婚のお祝い。葬式の香典。入学祝い。お年玉やちょっとしたプレゼントなどなど・・・どれもちゃんと自分の名前を書いてお渡しします。これについて異論はありません。しかしそこには知らず知らずのうちに「名前を書いて出しているのだから、それに見合ったお返しが自分に帰ってくること」を無意識の間に期待している自分がいます。反面、災害への寄付を始め、路上パフォーマンスなどに対しては、やっている方も多いのですが、その金額はやはり海外に比べてさほど大きくないようです。これは宗教感の違いもあると思いますし、日本人の性質や性格も影響しているように思います。どうでしょうか?一度思い切って万札をどこかに寄付してみませんか?勇気がいりますが、お返しを期待しない善意というものを経験しておくのはいいことだと思っています。それを経験すると、あなたが名前を書いてお渡ししたものに対して、相当するお返しがなくても腹が立つ割合が減るのではないかと思います。お祝いや寄付などの「善意」は、そこに見返りを期待しないというのが基本です。だから本来は名前など書かなくてもいいのです。あなたが誰かに何かをしてあげてもお礼はなくてもいいという気持ちが出てきますし、最初に書いたSNSのように、何かをしてもらってもお礼をしなきゃいけないとストレスに感じるから誰かに何か頼むのが苦手というような、ややこしい考え
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家族としてできること

今回は義両親の話しをします。 3ヵ月前、お義父が天国にいきました。 2年前に胃がんが見つかり、胃を3分2切除。 その後すぐに肺に転移し、肺を半分切除。 そこから、体力低下、食欲低下になり、1年後にはほぼ一日中に寝ている状態でした。 自宅にいながら、免疫も下がり肺炎に。 2週間前に病院で肺炎治療していましたが、本日意識レベル低下し、血圧も脈もとれず、 この世を去りました。 お義父さんは本当によく頑張ったと思います。 この2年間、充実したものだったのか?と思ってしまいました。 そこにはお義母さんの存在が。 ガンになれば全て悪いのは切り除くと言っていた為、お義父さんの意思はなく、言われるままでした。 その後も、お義父さんの為に何かすると言うよりは、自分はこんな辛い、大変と愚痴をこぼしていました。 お義母さんも本当に大変だったと思います。 しかし、そこにお義父さんの意思はあったのか?と疑問に思ってしまいます。 離婚しないで長くいるのが、文化だ、常識だと言われているかもしれませんが、一緒にいたことによって、お義父さんが辛い思いだったことを、お義母さんに言えない状況が続いたことを見て、 何十年一緒にいても、お互い心を寄り添い、コミュニケーションをとっていなければ、他人と変わらないのだと思ったことです。 反対に、少ない時間だったとしても、お互い相思相愛で心寄り添っていれば、 ・相手が何を望んでいたのだろう? ・何をしたいのだろう? と気づいてあげることができ、後悔がない時間を作っていけると思います。 私も相手が望んでいることは何だろう? と気にしながらお互い年を重ねていきたいなと
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