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動けるようになった私を振り返ってみた

前回の記事で、「ちゃんとしてから動く人」から、「動きながら育てる人」になっていたことに気がついた。でも、ふと疑問が湧いた。私は、どうして動けるようになったんだろう? 昔は、本当に動けなかった。「完璧じゃなくてもいい。」そう言われても出来なかった。 出来るなら、とっくにやっている。そう思っていた。だから私は長い間、「私は完璧主義なんだ。」と思っていた。でも、今振り返ると私は完璧を目指していたわけじゃなかった。本当に避けたかったのは、負の感情を感じることだった。正解が必ずあった学生時代。間違えたら怒られる。恥ずかしい。責められる。嫌われる。そんな感覚が積み重なって、私は、負の感情そのものを感じるのが怖くなっていた。でも、この数年。私は「感じる」ということを何度もやってきた。悲しい。悔しい。恥ずかしい。怖い。感じないようにしていた感情を、そのまま感じてみた。嫌な気分になるし、避けたいし、気を逸らしたくなるけど、感じていくと不思議な感覚があった。 感情は確かにある。でも、今の現実を見てみると、「あれ?それ、本当に起きてる?」と思うことがあった。思い込みだったこともあれば、違う見方が出来ることもあった。感情は、現実そのものじゃなかった。「恥ずかしい」がある。「怖い」がある。「悲しい」がある。ただそれだけで、私が消えることもなかったし、負の感情と一緒に存在してる今ある安心も見えるようになってきた。昔は、負の感情=危険だったけれども、負の感情=ある。になった。だから最近、改善点を見つけた時も、「なんでこんなミスしたんだろう。」とは思わなかった。 「あ、ここ直そう。」そう思っただけだった。外側
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咲くことだけが、自然じゃなかった。

最近知った「極楽RADIO」というお気に入りのプレイリストを聴いていた。苦しくて当たり前泣いて当たり前それでも朝はまたくるからそのまま貴方でいいんだよ泣きたいなら泣いていいただそこにいてくれたらいいんだよふと流れてきた歌詞に、心が止まった。私はこれまで、「どんな感情があってもいい。」そう感じられるようになってきた。でも、“当たり前”だっただろうか。「あってもいい。」その言葉には、どこか「なくてもいいんだけどね。」そんな気持ちが残っていた気がした。以前書いたドット絵 の記事では、「黒があるから、この絵なんだ。」そんな言葉になっていたけど、でも今思うと、「あってもいい」は、どこか許可を出している感覚だったのかもしれない。本当は、もっと自然に、どんな状態の自分も受け入れたかったんだなと思った。セッションで「たんぽぽ」の話をすることもあった。「私、バラがかっこいいと思ってたんです。でも、雑草かもしれないし、観葉植物かもしれない。冬をダメな季節にしていたんですよね。」言葉では理解したつもりだったけど、今回気づいた。私はまだ、『咲くこと』を特別にしていた。「ただ時が来たから咲いただけ。」その言葉の奥には、“咲く時は来るもの”そんな期待や評価が、まだ少し残っていたのかもしれない。全てただそうなんだ。というだけで泣く日も笑う日も咲く日も冬の日も全部、ただ、その時なんだな。そんなことを考えながらこの記事を言葉にしていると、頭の中で小さな声がした。「前も同じような言葉で記事、書いてなかった?」「え…確認してみようかな……。」そう思った、その瞬間。極楽RADIOから、「未完成で完成〜♪」という歌が流
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脇汗は出なかった。

なんじゃこりゃー!笑そんなことがあった。私は手作業が好きで、編み物をすることが多い。BGM代わりにYouTubeを流していたら、たまたま“ユング心理学”の動画が流れてきた。その内容が、まるで「私」の話なのかな?と思えるくらいしっくりきて、夢中でいくつか続けて聞いていた。すると、私が好きで使っていた言葉や表現が、いくつも出てきた。「還る」「羅針盤」自然界に例える表現。それを聞いた瞬間、何とも言えない感覚になった。「えっ!何これ!!私が真似してると思われる!」まずそう感じた。でも、同時に「私、よく正解を探しにネットを彷徨って、同じ考えを見つけると安心してたよね?」とも思った。なんじゃこりゃ!案件だった(笑)娘も、お友達とおそろいを楽しんだかと思えば、「真似された!私の方が先だもん!」とプンプンすることがある。おそろいは嬉しいのに、真似されるのは嫌。何が違うんだろう(笑)そんな感覚が、今の私の中にもある。静かに観察していると、どっちにしたって、私を外の情報次第にしてるのよね?ちゃんと自分の体感から出てきた言葉だと思っていたのに、「真似した人」というふうに見られて、私が薄まったように感じるのが嫌なのかもしれない。でも、惹かれるものは、もともと同じ感覚の発信だし、同じ感覚の人と話すのも好き。似ていることと、真似って、何が違うんだろうね…そんなことを考えていたら、だんだんどうでもよくなってきた(笑) ただ一つだけ、しっかり確信できたことがある。脇汗が出なかったこと(笑)昔だったら、「こう思われる!」と思った瞬間、ヒュッ!と冷や汗と一緒に脇汗も出ていたと思う。私の発信がオリジナルじゃない気が
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同調と共鳴

昨日の記事を書いていて、「同調」という言葉が浮かんだ。「みんなと同じように感じる」「みんなと同じように反応する」集団から外れることへの不安から、同調しなければという癖がある気がした。どこかで、私自身の感覚を置いてきぼりにしていたのかもしれない。私は子どもの頃から、「普通にして。」と言われることが多かった。何が普通なのかよくわからないまま、周りに合わせることを覚えていった。そうすれば間違わないと思っていた。だから私は、自分の感覚よりも、周りに意識を向けるようになった。でも、それを続けていると、少しずつ私の輪郭が薄くなっていった。世界がぼんやり見えていた理由も、そこにあったのかもしれない。最近、少しずつ、自分のネガティブな気持ちも含めて「ある。」と言えるようになってきた。嫌な感情も、嬉しい感情も、全部、私から湧いてきたもの。そう思えるようになって、自分を感じていると、自然と人との繋がりを感じられるようになった。そこで気がついた。私が求めていたのは、「同じになること」じゃなかった。違うまま、響き合うことだった。楽器は、みんな同じ音を出さない。違う音色だからこそ、重なった時に美しい。人も同じなのかもしれない。自分の音を消して合わせることは、同調。自分の音を持ったまま響き合うことは、共鳴。最近は、「変わる」というより「還る」という感覚がある。新しい自分になるんじゃなくて、ずっと鳴っていた自分の音に、もう一度耳をすませているだけなのかもしれない。───────答えを出すというより、一緒に「ほんとの気持ち」を見つけていく時間が好きです。
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愛ちゃん観察図鑑

今日、あることを始めるボタンを押そうとした時、「怖い。」そんな気持ちがふっと出てきた。「え?いつもやってることなのに?」そう思いながら、「怖い」があることだけ感じてみた。そして、「そのまま、一緒にやってみよう。」そう思ってボタンを押した。すると「怖い」はすぐ消えていた。でも今度は、別の心配が出てきた。「また私は、自分を置き去りにしてない?」「ちゃんと感じてた?」その心配も、そのまま感じてみる。 すると気づいた。あの時の「怖い」は、もう知っている怖さだった。怖いはある。でも、一緒にいても怖くない。そんな「怖い」だった。そこで、ふと思った。私、いつの間にか自分の反応を、図鑑みたいに見てるかも…笑⸻🌊 怖い生息地人と深く関わる直前。特徴責任や相手の反応を想像すると現れる。⸻🐍 普通トラップ生息地新しいことを始める時。特徴「みんなこうしてるよ。」「ちゃんとしなきゃ。」と、そっと囁いてくる。⸻👻評価モンスター生息地仕事関係・社会的場。特徴肩書き数字で自分を飾りたくなる。「もっとすごく見せた方がいいよ。」と、近づいてくる。⸻『愛ちゃん観察図鑑』には、他にもたくさん登録されてた。前なら、どれも倒さなきゃいけない敵だった。でも今は違う。感じて図鑑に登録すると、少しずつ「知っている」が増えていく。知っていると、怖さは消えなくても、一緒に歩ける。揺れることはあっても戻ってこられることも知っている。もしかしたら私は、新しい自分を見つけるたびに図鑑へ登録して、「大丈夫。」という信頼を、遊びながら探索しているのかもしれない。───────気づいたら少し心が軽くなってた。そんな時間を一緒につくれたら嬉しい
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