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【後編】心のなかの小さな会社と、私たちが「無価値」を感じる理由

私たちを追い詰める「現代社会」の影 生物学的な理由だけでなく、私たちが置かれている「環境」もまた、無価値感という洗脳を植え付ける原因になっています。 現代は、あらゆるものが「点数」で管理され、測られる社会です。数値によって人間の優劣が決めつけられてしまう環境では、劣等感ばかりが募り、「自分に価値がある」と思える体験に出会えなくなってしまいます。 かつての社会は「〜してはいけない」という抑圧的な場所でした。しかし現代は「何でもやれる、自己実現すべきだ」という、過度な主体性を求められる「疲労社会」へと変化しました。 自由の裏側で、私たちは常に「何者かにならなければならない」というプレッシャーに晒されています。 さらに、かつて心の拠り所であった宗教や地域コミュニティが消え去った「真空社会」のなかで、私たちは孤独に立ち尽くしています。 SNSの普及は一見つながりを生んだようですが、皮肉にも私たちの感覚を麻痺させ、本当の意味での「承認」を枯渇させてしまいました。 傷つくことを恐れるあまり、私たちは他者との「摩擦のある深い関係」から逃避し、結果として誰からも必要とされていないような孤立感を深めていくのです。おわりに自分が無価値に思えるとき。 それは、あなたの心が弱いからでも、人間として劣っているからでもありません。 脳内の部署が少し疲れてバランスを崩しているだけであり、現代社会の構造そのものが、あなたにそう思い込ませているだけなのです。 まずは、自分のなかで懸命に働いている脳の部署に「いつもありがとう」と声をかけるように、静かに自分を労わってみませんか。                  
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悲しいときの、脳の暴走

返信がこない。表情が少し冷たかった。いつもより言葉が短かった。そんな小さな出来事だけで、心の中では壮大な物語が始まることがあります。「嫌われたのかな」「もう必要ないのかもしれない」「きっと何か悪いことをしたんだ」けれど、その物語には証拠がありません。ただ、不安というインクで書かれているだけです。そして人は、その物語を何度も読み返しては、自分で涙を流してしまうことがあります。悲しいときの脳は、空白を一番つらい物語で埋める名人だから...。本当は相手が忙しかっただけかもしれない。体調が悪かっただけかもしれない。何も考えていなかっただけかもしれない。それなのに心は、いちばん苦しい結末を勝手に選んで上映してしまう。まるで映画館で、チケットを買っていないのに悲劇だけがエンドレス上映されるようなものです。だから、苦しくなったときは「この物語、本当に事実かな?」と問いかけてみてください。その一言だけで、心の霧が少し薄くなることがあります。もし、一人では整理できないなら、誰かに話してみるのもひとつの方法です。声に出した瞬間、頭の中で暴れていた物語が、ただの「考えすぎだったかもしれない」というサイズまで小さくなることもあります。絡まった糸を一本ずつほどくように、一緒に心の中を整理していけたら嬉しいです。言葉にならないモヤモヤでも大丈夫。あなたの気持ちに寄り添ってお話し聞きます。今日も穏やかな1日で過ごせますように...【電話相談はこちら↓】
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