絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む

すべてのカテゴリ

17 件中 1 - 17 件表示
カバー画像

心を軽くしてくれる名曲の歌詞①

私はブラック企業に勤めていた時、真っ黒い社長から「走り続けられない奴はこの会社にいらない!走れ走り回って来い!」と毎日アドバイスという罵倒を頂いておりました。私達は競走馬かい!今ならその様に思うでしょう・・・・。ブラック企業に勤めていなくても、「頑張り続けなければ!走り続けなければ!」と自分に言い聞かせている方、多いと思います。否定しませんし、本当にすごい事だと思います。けれども走り続けていると、たまに躓く事があると思います。そこでまた無理して走り始めようとしても、どこかに怪我をしているかもしれない。また躓きやすくなっている状況になっているかもしれない。躓いてしまった理由があるのに、そこを理解していないまま、再度走り始めてしまう。私はブラック企業に勤めている時、そうでした。泣きながら走っていました。社長の根性論、部長の暴力だけが絶対でした。そんな時、出先のカフェで流れていた曲。B`zのBrotherhood。「BROTHER生きていくだけだよ ためらうことなど何もないよ今更 走れなきゃ 歩けばいいんだよ」この歌詞を聞いた途端に涙が出ました。走れなくなった時には歩けば良い。その様な考え、思いつかなかったからです。この曲に背中を押してもらった後に、社長と部長から暴力とパワハラがを頂戴したので転職を決めたという。何気なく耳にする曲、人の言葉、世の中には私達の心を軽くしてくれる魔法の言葉があるんだなあって思った昔。何故かAmazonのURLを貼った所、バグが出でしまったので、お手数ですがB‘zのBrotherhoodと検索してみてください。Youtubeにも曲があります。でわでわ!
0
カバー画像

10代の妊娠

10代の妊娠では、特に学生であれば妊娠継続したことによって学業が継続できるのか?ということや親に妊娠したことが言えないという問題が出てくると思います。学生であることや親へ妊娠したことを伝えなくてはいけないこと以外にも、出産・育児となった時の経済的な問題、パートナーに妊娠したことを告げたら別れを切り出されたや連絡が取れなくなったなど様々な問題も起こることもあります。望まない・意図しない妊娠が起こってしまう背景には、性教育が行き届いていないのも一つの要因だと思います。正しい避妊方法や避妊に失敗してしまった場合の対処方法、妊娠してしまった時にどうすればよいかなどの知識があるだけでも、その人の今後の人生は大きく左右されると思います。もし、中絶できる期間が過ぎてしまったとしても育児が難しいのであれば、養子縁組するなどの選択肢もあります。妊娠したことを親に言うことは、怒られると思うと怖かったりしてなかなか言い出せないことだと思います。言い出せないうちに中絶できる期間を超えてしまったということもあるかもしれません。親に相談できなかったとしても、妊娠してしまった場合や妊娠の可能性があるときには『にんしんSOS』という相談窓口もあるので、適切な対応をとってもらえます。 もし妊娠して中絶を選択したとしても決して中絶を選択した自分が悪かったと思う必要はありません。学校で『命を大切にしましょう』と教わり中絶は悪いこと思うかもしれません。ですが、経済的にも精神的にも安定していない状態で育児していくことが将来的に虐待や貧困につながることもあります。望んで中絶をしたかったわけではないと思います。中絶が原因で
0
カバー画像

理想とかけ離れた新婚生活

やっと手に入れた自分の家庭… そこが私の全てになっていた。 学校も仕事も辞めてしまえば当然の事。 学校の先生には休学を勧められたが子育て以上に意味があるとは思えずスッパリ辞めた。 まだ1年生だった。 妊娠8ヵ月までは会社に行ったが、後は家事と出産の準備だけが私の仕事になった。 テルは私と結婚した事でこれ以上私の気を引く必要が無くなり、優しくする必要がなくなった。 と判断するしか無い位、家にいない。 毎日会社の仲間と花札やパチンコをして楽しんでいた。 いくら赤ちゃんを産めるにしても黙ってはいられない。あまりにも思い描いていた生活と違いすぎる… しかし文句を言っても、お願いしてみてもテルの生活態度は変わる事は無かった。 そしていよいよ臨月に入り私は出産の為に実家に帰った。 だが、そこにもテルはほとんど顔を出す事は無かった…
0
カバー画像

18歳結婚

部屋探し… なかなか良い部屋が見つからない。 どんどんお腹は大きくなるし焦った。 テルの休みが少ないし不動産屋を回る時間もあまり無かった。 最後は 【貸してくれるなら何でもいいよ!】 的になり、えらい山奥の最悪の物件に新居は決まった。 買い揃える物も沢山あり、ある日テルと待ち合わせをして電気屋に行く約束をしていた。 しかしテルが来ない。 携帯なんて無い時代だし、いちかばちか会社の事務所に行ってみた。 なんとテルはそこで花札をやっていた。 バタンっとドアを閉め走って帰った。 泣きながら… 少しずつテルは変わっていった。 いや、変わったのでは無く本来の姿を出し始めたのであった。 そんなテルに不信感を抱きながらも見て見ぬふりをしたまま私とテルは入籍した。 【子供が生まれればテルは優しいパパになる。私に優しくしてくれたみたいに夢中で我が子を可愛がるに決まっている】 そんな風に勝手に思い込んで… そしてなんとか出産前に引っ越しも終わった。 私は遂に憧れていた自分の家庭を手に入れたのだ。 ワクワクしながら料理の本を見て晩ご飯を作る。 しかしテルは仕事が終わってもすぐには家に帰って来なかった。 暖かく食卓を囲む夢はなぜか叶わなかった…
0
カバー画像

強引な17歳妊婦

妊娠して情緒不安定になってしまった私の八つ当りをオカちゃんは受け止めてくれていた。 先輩なのに私にイライラされても我慢していた。 そして応援してくれていた。 親の方は、これ以上父に内緒にしておくわけにもいかないので妊娠を伝えた。 「参ったな…」 とは言っていたがテルさえ結婚する気があるならオッケーみたいな感じだった。 肝心なテルは… 相変わらず遠回しに中絶を勧めていた。 そして私は赤ちゃんを守る為とはいえ、してはならない事をした。 テルを脅したのだ。 「産めないなら別れる!」 と… そしてテルは仕方無く結婚に同意した。 仕方なく… とは認めたくなかったからその部分からは目をそらした。 【赤ちゃんさえ産ませてもらえるなら多少の事は我慢だよ】 そう思って私は納得した。 そして2人で私の親に報告しに行った。 私はものすごく浮かれていた。 親は 「テル次第…」 と言っていたし、そのテルが産む事に同意してくれたんだからそりゃあ浮かれる。 しかし父はそんな私が唖然とする様な事を言ってのけた…
0
カバー画像

車の免許

シゲが2歳になった頃、私は車の免許を取る事を決心した。 本当は18歳になったらすぐに取ろうと決めていて貯金もしていた。 しかしその貯金は全てシゲの出産費用に消えたのだった。 まぁそんな事は自分が望んだ事だから良かったのだが、テルの変貌は予想外だった。 17歳だった私にテルは 「教習所に行く様になったら俺が運転教えてあげるよ」 と言っていた。 教習所の教官の仕事をやりたがっていた位運転には自信があるテルだった。 しかし結婚後のテルは車の中でこう言った。 「乗せてもらってるくせにエラそうにするな!」 エラそうにしているつもりなど無かったが喧嘩になれば口では私の方が強かったせいもあってそんな風にとられていたのかも知れない。 しかし極力電車で移動していたにもかかわらずそんな事を言われるとさすがにカチンと来た。 テルばかりが好き勝手にやっていて… 【私が教習所に通う位いいじゃんか】 と思った。 そして 「教習所に通いたい」 とテルに話すと 「オマエみたいなバカには無理だよ」 と言われた。 【アンタに出来て私に出来ないわけ無いよ!】 と思ったが口には出さず黙ってマルイでローンを組み入校を決めた。 そして教習所の教官になる為に大型の免許まで取ったテルは1度も何かアドバイスさえもしてはくれなかった。(教官になるには大学を出ていないとダメだって調べもせずに大型免許をとった方がバカだと思う) 私は意地でマニュアル車のコースでなんとか自力で免許を取った。 シゲを教習所内の託児所に預け必至に頑張ったのだ…
0
カバー画像

金使いの荒すぎる旦那

退院後も1ヵ月は実家で過ごした。 シゲは手のかからない赤ちゃんで夜も良く寝てくれた。 ある日テルから電話が来て 「お金が無い…」 と言う。 必要な分のお金は渡してあったしボーナスが出てるはずだった。 「え?ボーナスもらったんじゃないの?」 「もらったよ」 「じゃあ、それで生活出来るでしょ?」 「…もぅ無いよ…使っちゃったから…」 あまりの事にめまいがした。 テルはボーナスをもらって1週間位の間に全部飲み食いやギャンブルで使ってしまったという… 息子が生まれた直後にもらったボーナスを… どんな言葉を返したのか全く思い出せない位に動揺した。 自分なら我が子の為に少しでも貯金するところだ。 自分の気持ちや考えとテルの気持ちや考えとの違いの隙間を埋める方法を私は知らなかった。 知ってたとしても埋められたかどうか… テルは私に 【子供を産ませてあげたんだから俺の役目は終わったよ】 的な態度だった。 そして出産後1ヵ月が過ぎ今度はそのままテルの実家でしばらくお世話になる事になった。 シゲの誕生を恥じていた人達のいる家へと向かったのである…
0
カバー画像

17歳での妊娠はそんなに悪い事なのか

「シンナーをやめてから1年も経っていれば問題無いです」 病院の先生は私の希望通りに答えてくれた。 先生のおかげで私の両親は結婚を認めた。 そして… テルの両親は… テルは私と違って家庭環境に恵まれていた。 ごく普通の家庭に超未熟児で生まれたテルは、かなり甘やかされて育っていた。 成人した息子が17歳の子を妊娠させた。 当然、産む事にも堕ろす事にも強く意見を言える立場では無かった。 そんなテルの両親の元にテルと2人であいさつに行った時、話は何でもなく終わりテルの両親も結婚を認めてくれたんだと思った。 しかし、テルが私を残し外出した途端に本音をもらした… テルの両親は私を居間に呼び、こう言った。 「マユちゃん。今回は赤ちゃん諦めてもらえないかしら…」 正直むかついた。 確かに予定外の妊娠だ。 それにしても、みんながみんな中絶しろと言う。 しかもテルの両親は私が1人の時を狙っての話である。 私は黙って話を聞いていたが最後に一言… 「もぅ決めた事です。赤ちゃんは産みます」 それだけ言ってテルの部屋へと戻った。 こうして私とテルは結婚する事になった。 私の長年の夢… 暖かい家庭を作る為、そんな理想に向かって進み始めたのである…
0
カバー画像

敵が多すぎる赤ちゃん

「結婚して2人で子供を育てたいと思います」 そう言ったテルに父は… 「悪いが今回は諦めてくれ」 と… 【は!?話が違う!!】 真剣にビックリした。 「なんでよ~!?」 と聞く私に 「オマエ、シンナー吸ってたんだよ。障害持った子供が生まれたらどうする?もっと年数たってからにしろ」 なんでも、父の友達がボランティアで薬物依存の子の何かをしているらしく、どうやらその人に吹き込まれたらしい。 私は又も泣きだした。 そんな、私にとっては見ず知らずのオヤジの話で我が子を殺せと? 冗談じゃない! もぅイヤになる位みんなに反対された。 叔父には 「そんな若さで子供なんて産んだら後悔するぞ」 と言われた。 「堕ろしたら後悔するけど、生まれた子を前にして後悔なんてするわけが無い!」 と言い放ってやった。 そして私が障害児を産むと洗脳された両親には 「医者でも無い人の意見で『ハイそうですか』って中絶なんて出来ないよ!まずは医者の意見を聞いてから考えるよ」 と言ってひとまず帰った。 そして継母と2人で又病院に行くまでの間、毎日泣いて暮らした… 会社ではオカちゃんが上司から 「友達ならマユの為にも今回は諦めさせろ」 と言われていた。 お腹の赤ちゃんには敵が多い。 そして、いよいよ病院へ… シンナーの件を相談した私たち親子に先生は…
0
カバー画像

17歳妊娠

病院へは継母が付いて行ってくれた。テルは仕事が忙しかったので… 妊娠を私の親が知っている事が気に入らない様子のテルに対しても、この頃は何とも思わなかった。 むしろ病院で赤ちゃんの心音を聞いた事でますます赤ちゃん以外の事は考えられなくなった。 親、妹弟は祖母の家に引っ越し、私と伯父が2人でマンションに住む事になった。 家賃は伯父の方が少し多めで2人で払う事になった。 そして、お腹の赤ちゃんの為に嫌いな牛乳を飲んだりしていた私に継母が不思議な事を言いだした。 「○○病院に行きなさい。あそこの先生は中絶に慣れてるっていうから…やっぱり慣れてる先生の方が安心でしょ?」 【何言ってんの!?】 「あの…堕ろす気は無いんですけど…」 と言う私を継母の方も 【不思議な事を言う子だね…】 という顔で見ていた。 「とりあえずテルくんと良く話し合いなさい」 私はテルとこれからの事を話し合う為に学校を休んだ。 この頃は体調も悪くてテルとはゆっくり話もしていなかった。 久しぶりにテルの顔を見て忘れていた事を思い出した。 病院での検査の結果を伝えた時にテルが言った最初の一言… 「ついてねぇ…」 その一言をもっと深く受けとめるべきだったのか…
0
カバー画像

産後旦那の実家にて

テルの実家に着くとテルの両親の昔からの友人の人が来ていてシゲを囲んでワイワイやり始めた。 以前一度会った事がある人で簡単に挨拶を済ませると私は荷物を片付けにテルの部屋へと引っ込んだのだがしばらくするとお義母さんが部屋に来て 「マユちゃん…〇〇さんからお祝い頂いたんだからちゃんとにお礼言わないと…」 と… 【???】 何の事やらさっぱり分からない。 「…お祝いですか?」 とりあえず慌ててお礼を言いに居間に戻ったが 《常識の無い嫁だ》 と思われただろう… そして身に覚えの無いお祝い金はテルの道楽へと消えていた。 頂いた事さえ知らずにどうやってお礼が言えよう… 当然テルを責め立てた。 お金にだらしないテルを私が責める… これが私たち夫婦のパターンになっていた。 私はお金に対してはキッチリしていないと気が済まない性格で形として残らない事にお金を使いまくるテルがどうしても許せなかった。 そんな中でテルの両親はシゲが生まれた途端に態度が一変し、中絶を勧めたり同居を恥じたりした事実など無かったかの様にシゲを近所中に見せに回って行った。 そして1ヵ月テルの実家に拘束される事となり出産前から3ヵ月経ちやっと自分の家に帰る事が出来た。 決して暖かいとは言えない自分の家庭がある我が家へ…
0
カバー画像

18歳一人ぼっちの出産

その日、家族は継母の実家に出掛けていて私は一人で留守番をしていた。 陣痛の痛みを知らない私は朝からのお腹の張りが陣痛であるとも思わずにレンタルビデオ屋やらコンビニやらに行き呑気に過ごしていた。 夕方、継母からの電話に 「お腹の張りが治まらないよ」 と説明すると 「それはアンタ陣痛だよ!」 と言ってすっとんで帰って来てくれた。 今になり思えば予定日を過ぎた18歳の娘を一人置いて家族全員で出かけるも、病院で陣痛に苦しむ初産の娘が一人ぼっちだった事も決して普通では無い。 しかし当時の私は我が子に会いたい一心で、一人ぼっちに何も疑問を抱かなかった。 そして泣くでも叫ぶでも無くひたすら頑張る私は助産師さんに凄く褒められた。 そんな中、想像を絶する痛みの後にやっと会えた… みんなの反対から守りぬいた我が子。 息子シゲは障害児では無かった。 18歳になったばかりの母親の元にやって来た可愛いシゲ… この子を囲んで幸せな家庭を築くはずだったのだがそれが無理な事を私は退院後すぐに知る事になる。 今まで感じていたテルに対する不信感はシゲの誕生で全て解決すると思っていたのだがそんなに甘くは無かった。 『結婚は人生の墓場』…まさにそんな言葉が当てはまる結婚生活の始まりであった…
0
カバー画像

妊娠に対する思い

その日のテルの顔には 「ついてねぇ…」 と書いてある様だった。 【どうやら妊娠を喜んでいるのは私だけらしい…】 とようやく気が付いた。 たしかに17歳での妊娠は早すぎる。 でも私は早く自分の本当の家族が… 本当の居場所が欲しかった。 テルの事は大好きだし大好きな人とその子供との家庭こそ私が長年憧れていた理想なのだ。 多少の不安など吹き飛んでしまう位、喜びの方が大きかった。 しかし… それは私の一方的な思いでしか無かった。 テルはハッキリとは言わないまでも、今はまだその時(親になる時)では無い… みたいな事を言っていた。 私はそんな言葉は全て聞こえない様に耳を塞ぎ、大騒ぎして大暴れしてテルを困らせた…
0
カバー画像

【淡々】なんの感情もなかったのかと思うくらいだった10代半ば

自分なんかが人の手を煩わせてはいけないそんな考えが強かった10代。子供の頃からなんとなく人と違う…。というよりズレている感覚はあった。自分の発言に周りの空気が「?」になり止まるから。幼ながらになんとなくその空気の変化は感じて自分ってなんか変なんだろうなと思っていた。どこが変でどこが違うかはわからないけどなんとなく自分が発言したり動いたりすると周りの人を困らせるのではないかと思うように。今考えるとそんなこともなかったが自己暗示的にそう思い込んで最小限の発言と動きで過ごしていた記憶。小中学生の時は友達が欲しい友達と遊びたい人との関わりを強く求めていた…。そんな気持ちもあったが高校2年生くらいになるころにはあと2年弱だし一人でいいや一人が楽だしと友達を作ろうとするのをやめた。多分その時くらいが人には興味はあるけど決して薄くはない壁を作って人と接していた気がする。10代半ばから後半の時代が一番淡々としていた。特に人に感情的になることもなく嫌なこと言われてもされても嫌だなとは思うけどどうでもいいしめんどくさいそんな風に思っていた。ただその分人への配慮もできていなかった。普段しゃべらないくせに余計なひと言を言ってしまったり…。自分の中に元々あった人への興味が大きくなり人と関わろうとしてはうまくいかずに悶々とどうしたらいいのかわからず迷路に入りただただ苦しい時代が20~30代で訪れるのだが…。10代の頃の自分はその苦しさをまだ知らない。やたらと冷めてるとか言われていたし今とは全然違うなと改めて思う。なんであんなに全てがどうでもよかったんだろう…。今振り返ってもそこだけは思い出せない。嫌なこと
0
カバー画像

義理姉の結納

シゲが1歳になった頃テルのお姉ちゃんの結婚が決まった。 テルの実家で結納が行なわれるので私達夫婦も行く事になったのだが前日の晩… テルが帰って来ない。 朝方やっと帰って来たと思ったら出掛ける時間になっても起きない。 お姉ちゃんの大切な日… 行ってちゃんとに手伝いをしなければならない私の立場をテルは理解していないらしい。 どんなに起こしても起きないし、しまいには逆ギレし始めたので仕方なくシゲと二人で電車で行く事にした。 私達の家は神奈川県… テルの実家は千葉県だった。 そしてその日テルが現われたのは夜になってからだった。 当然全て終了した後だ。 そしてそれが許される家で育ったのがのが私の旦那だった。この日を境に私はテルの実家への行き帰りはシゲと電車でに決めた。 テルが運転する車の中では私は、なぜか悪者になる。 渋滞しているのも私のせいにされる。 多少大変でも電車の方がどれ程気がラクか… こんな風にどんどんテルとの距離は離れていき、そして経済的にも限界にきていた。 私も仕事をしなければ… そんな状況になっていた…
0
カバー画像

母子家庭同然

憧れていた暖かい家庭になるはずだった場所は蓋を開ければ母子家庭同然だった。 テルは、やはり家庭には寄り付かず会社の仲間と遊び回る日々… たしかに遊びたくなる環境ではあった。 周りはみんな独身で好きな事をやっているのだ。 ましてテルは自ら望んで父親になったわけでは無い。 だからだろうか… 付き合っていた頃とは別人の様な冷たさであった。 私は私でテルに理想を求めるのはやめた。 シゲさえいればそれでよかった。 晩ご飯もシゲと2人なら美味しく食べられた。 しかし毎月の生活費を確保するのは大変だった。 給料が手渡しだったのだ。 給料日ともなるとテルは張り切ってお金を使いまくる。 テルは働き者… 休まずよく働く。 しかしそれは家族の為では無く自分が遊ぶお金が欲しいからだった。 遊ぶ為のお金を確保する為なら私や会社にどんなウソでもつく。 そんな中で夫婦の愛はもぅ…存在しなくなっていた。 ただ私は前の優しかったテルが忘れられずにいた。 ひどい事を言われたりされたりすればする程に優しかったテルを思い出して悲しくなった。 そして私のそんな気持ちはテルには届かずテルはどんどん意地悪で陰険な男になっていくのだった。 お金は人を変える… 悲しい現実を私は知ったのだった…
0
カバー画像

10代でも増えている【エネルギー過多】〜前編〜

最近、自分の体が“エネルギー過多”になっている状態が続いていて、ついに、顔面全体に吹き出物+痒みが出てきてしまいました💦その原因を色々考えてみたのですが、どうやら最近の食生活だったことに気づきましたエネルギー過多と聞くと、一見「エネルギーが有り余ってる!?運動不足なだけなのでは!?」と思う方もおられるかもしれませんが、ここでのエネルギー過多はいわゆる“摂取オーバー“と言う意味です食べすぎた上に消化不良を起こして、ひどい便秘になっているようなイメージですね(これはひどい💦)私自身運動不足ではありますが(←わかりますよ、突っ込みたくなりますよね)、元々あまりじっとしているタイプではないので、1日を通しても、寝るまでほとんど動きっぱなしのことが多いです実際、それで割とエネルギーの消費ができているはず✨と思い込んでいたのですが、現代の食べ物は特に1つ1つがエネルギーの塊みたいなものが多いのですね…😅(しつこいようですがいい訳ではありませんよ)当然ではありますが、摂取するエネルギーと、排出するエネルギーのバランスが偏りすぎないように気をつけないと体調に影響を及ぼしてしまいます…と言うわけで、次回のブログでエネルギー過多の改善方法について書いてみたいと思います(長くなりそうなので…)かれこれ10年ちょっと、アーユルベーダや漢方など、東洋人の体質や食事を独学で学んでおりまして、せっかくなのでシェアできたらなと思います✨ちなみに、エネルギー過多の症状としては基本的には朝から体がだる重いですあとはイライラしやすかったり、血の巡りや循環が悪くなったりします消化器系もむくんだり炎症が起きやすくなりま
0
17 件中 1 - 17