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スプーンは 何故 曲がるのか?(第2章)

第2章:きっかけはユリー・ゲラー (1974年 青年の覚醒)ユリーゲラーが TV に登場し たのは 1974年 大学一年の時でした。その時 TV の真似をしたら スプーンはクニャッと曲がりました。その瞬間 一緒にいた父も母もビックリです!!「たまたま曲がっただけだ」「違うスプーン持ってこい」と父新しいスプーンも次から次に面白いように曲がってしまいます。「今後は時計だ、動いていない時計を探せ」ちょうど止まっている時計がありました。ユリーゲラーの指示通りに念を入れます。後に Mr. マリック が登場して流行らせた「ハンドパワー」です。するとその時計も動き出しました。これにもビックリです!!その時感じた不思議な感覚は今でもはっきり覚えています。渾身の力を入れなくても指一本であの硬い金属のスプーンが曲がるのです。勿論 フォークも曲がりましたが ナイフはダメでした。その日 家にあったスプーンとフォークは全滅でした。自分のヘンな能力?に気づいたのはこの時からです。その頃はユリーゲラーのおかげでスプーン曲げが日本中で大ブームになっていました。私もその話材に巻き込まれることも多くなりました。「スプーン曲げ オレも出来るで~~」「ウソやろ、ほんならやってみぃや」人差し指で曲げるのは飽きたので小指一本で曲げることも多くなりました。「マジか!!スゲェ~~!!」こんな会話が幾度となく繰り返されました。そして例外なくこう言われました。「あれだけパワー使うて疲れへんの?」「全~~然、何ともないわ」ドラマや漫画の世界では超能力を使うと疲れ果てるシーンがよくあります。友人達もそう思っての言葉だと思います。「あ
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スプーンは 何故 曲がるのか?(第1章)

【目次】第1章: スプーン曲げ公開(30年間の封印)第2章: 1974年の覚醒(原点)第3章: 銀座での「猿まわし」と阪神大震災第4章: 性の解放と Kindle本 世界一の快挙第5章: AI が解き明かした「共鳴」の正体第6章: Rockin' Healer としての挑戦第1章: スプーン曲げ、30年間の封印から解放30年間、僕はこの力を封印し続けてきました。「スプーン曲げ」、この言葉を聞いて、懐かしいと思う人もいれば、怪しいと思う人もいるでしょう。しかし、71歳になった今、僕は自分の人生の軌跡を、この現象を切り口に、この場で公開することを決断しました。昔はこれで有名になり過ぎて会社役員達に銀座や北新地に連れ回されて "猿回しの猿" 状態でした。これも40歳で会社を辞めた理由の一つです。会社を辞めてから30年間はコレをやらされることもなく穏やかに生きてこれました。この 30年間に同窓会も何度も出席しました。近況報告のスピーチも何度もしています。そこでも一切「スプーン曲げ」を語ることはありませんでした。事実、友人や知人からは「おもろいヒトやとは思てたけど こんな凄いヒトやとは思わんかったわ!」という言葉を沢山いただきます。でも元勤務していた会社の定例親睦会ではこうはいきません。やっぱり誰かから「アレ、やってよ」という声がかかります。そんな時は「スプーン曲げ」だけじゃなく「人間浮揚」の不思議な現象も披露することもありました。スプーンを曲げたからといって何の役にも立ちません。50センチのパットも外します。ルーレットの軽い小さな球でさえ思う数字に落とせません。当然 自分の役にも立た
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スプーンは 何故 曲がるのか?(第3章)

第3章:猿回しの猿、見せ物小屋の芸人状態会社に入ってからもこれで有名になり過ぎて会社役員達に銀座や北新地に連れ回されて 猿回しの猿、見せ物小屋の芸人状態でした。「〇〇君、今日 空いてる?」「はい、空いてますけど」猿回しはこのこの会話で始まります。銀座のクラブに入ると「ママ、こいつ凄いんだよ、スプーンある?」これでお決まりのショーが始まります。僕はこんなことが出来ても何の役にも立たないのはわかっていたので淡々とショーをこなしました。その頃には僕には人を癒す不思議な力もあることがわかっていたので、銀座や北新地のママさん達の肩凝りや腰痛をよく治してあげていました。例の「ハンドパワー」です。こんな感じで僕の給料ではとても行けない高級クラブに出入りするようになり、ママさんやホステスさんとも仲良くなり、それなりに楽しんでいました。猿を演じるのが辛くて辛くて苦痛だということはありませんでした。しかし僕のこの不思議な力を誰も知らない世界に憧れていたことも事実です。丁度 その頃 初めて出張したベトナム・ホーチミンの活気に一目惚れし、ベトナムでの事業欲に目覚めました。そこで会社にベトナム事務所開設を申し入れ初代ベトナム事務所長に立候補しました。しかし、ベトナム進出は時期尚早と判断されその希望は叶いませんでした。まさにその時1995年1月17日、阪神大震災に遭遇します。震災直後のニュースで、何度も目にした崩れ落ちた高速道路の映像。まさにあの高速道路の下を出社してこない部下を訪ねるためにポカリスエットやカロリーメ イトを詰め込んだリュックを背負ってくぐり抜けました。眼前に広がる まだ煙のたちこめる生々
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