絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む

すべてのカテゴリ

5 件中 1 - 5 件表示
カバー画像

ゆとり教育が招いた社会問題と子どもたちの問題

廉清生織のブログの部屋へようこそ今回は「ゆとり教育」について改めてどんな点が問題だったのか?深堀りしていきたいと思います「ゆとり教育」の旗振り役として1990年代後半に活躍したのは当時の文部省の官僚だった寺脇研氏でした。 当時問題視されていた「いじめ」問題に対して「偏差値教育」と寺脇氏が呼んでいたのです。子供を画一的な指標で見るような教育が「いじめ」の原因であるとしていました。寺脇氏の主張を見ると「〈偏差値教育〉の追放」というところに目を奪われがちですが・・寺脇氏はそれ以外にもPTAの改革・生活科教育や職業教育など多岐にわたっています。ただただ「学習内容の削減」やスローガン的な「偏差値の追放」などは教育界や経済界を中心に反発を生み出しました西村和雄氏は戸瀬信之氏らと共に『分数ができない大学生』(東洋経済新報社/ちくま文庫)などを刊行し現代の大学そして若者においていかに学力の低下が深刻化し・それが国力をそぎ落とすものであるかを盛んに述べました。まず寺脇氏ですが2000年代終わりにかけて自分の言動の正当性を主張する書籍を相次いで出しています。 例えば・・・ほとんどが自分に近しい主張の人との対談で構成された『格差時代を生き抜く教育』(ユビキタ・スタジオ・2006年)や『それでもゆとり教育は間違っていない』(扶桑社、2007年)そして自身へのバッシング・さらには社会学者などによる格差社会論に対して反論を試みた『さらばゆとり教育』『百マス計算でバカになる』(共に光文社ペーパーバックス)を出し・その後は官僚論を刊行し(『官僚批判』(講談社、2008年)『文部科学省』(中公新書ラクレ、201
0
カバー画像

ギャランドゥの境目とは?

ムダ毛なしの日… だそうだ。 みんなで ムダ毛を抜き合うのか。 みんなで ムダ毛を剃り合うのか。 おぞましい光景だ。 (そんな日なの?) 部位によっては ヘムタイ動画の 企画モノのようだ。 そもそも “ムダ毛” とはなんだ? この場合の“ムダ”が 不要だとすれば 不要な毛。 色んな毛を考察せねば なるまい。 私の性分だ。 ✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼ まず 髪の毛。 どちらかといえば 必要だろう。 頭には 大事な脳みそがあるし。 頭を守るのに 多少は役に立ちそうだ。 冬であればあたたかい。 しかし 僧侶は一部の宗派を除き 剃髪している。 ………髪の毛は 考察すると長くなる割に 面白くない予感がする。 取り敢えず、保留とする。 ✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼ 眉毛。 無いと ちょっと怖くなる。 汗が目に入るのを 多少ブロックしていそうだ。 眉毛で顔の印象は 大きく変わる。 必要な毛に分類する。 ✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼ まつ毛。 眉毛と同じでいい? (飽きてきた?) ✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼ 鼻毛。 あったほうが良さそうだが ありすぎると嫌な奴。 私は週に2度は手入れする。 専用のハサミで。 しかしだ! その警戒網を かい潜って 伸びてくるヤツがいる! なんでだ! なに故に外に出たい? 説明しろ! 鼻毛よ! と、いう具合に 鏡で最終チェックの時に ひょっこり現れる 不届き者がいる。 必要そうだが外に出たら ムダ毛。 早くも難しいヤツが 立ちはだかった。 (立ち裸◯った…じゃないよ) ✼••┈┈••✼••┈
0
カバー画像

”執着を手放して、恋愛がうまくいく方法”論について。

この記事は、国際恋愛、恋愛・婚活含め、交際やお相手との関係で悩んでいる方向けです。(この記事は長いです。)おそらく悩んでいる方々の多くは、この表題タイトル”執着を手放す”論は、恋愛・婚活・結婚あるいは心理カウンセラーやコーチ、占いやブログ等のアドバイスでよく言われることなので、”あ~又、それ(ウンザリ)”な論だと思います。さて、執着を手放したら恋愛や結婚、そのほか物事がうまくいき、幸せになれるのでしょうか?物・人・感情など今流行の”断舎利メソッド”を実行出来ていないとダメなんでしょうか?私はそれが解決策になるとは思っていません。それは嘘ではないですが、出来ない状況の人がそれを実施したからと言って救われる話じゃない。もちろん、自分の幸せに気づくための感情整理の”過程”では役に立ちますが、それ自体が、根本の問題解決ではないと感じます。そもそも、”執着”とは何か?否定すべきか?恋愛・結婚において、特定の人が好き・関係性を維持したい、あるいは金持ち・美人になってあの人に好かれたい、モテたい。進路・仕事で、浪人してでも〇〇大学に行きたい、〇〇企業や職に就きたい。勉強やダイエットやボディメイク、美容・・・あれが欲しい・こうなりたい・・・これら全て、欲しい・好き、手に入れたいという感情、これによって、幸せになりたい、安心したいと言う気持ちや願望がある。これはみんな執着であって、執着とは”自分の幸せに必要なことを知っている&興味(好き)”だと思っています。この自分の執着心を無視することで幸せになったケースを見たことがありません。一時的な救いや気づきになったとしても、多くの人は続けることが出来な
0
カバー画像

tau_のひとりごと:花粉症じゃない 

毎年この時期になると、不毛な会話が繰り返される。 「いやー目がかゆいね。くしゃみも何回も出て困る」 「花粉症だから仕方がないよ」 「ええ? 違う、花粉症じゃないって」 ……庭に、杉と檜の木がありますけど。                           tau_  
0
カバー画像

ある日の対話ログ 第35弾 「変えられない社会で、自分の“変数”をどう動かすか」

議論ってさ、構造を分からない人間が階層と前提ズレたまま進めて、時給稼ぎかパフォーマンスでやるもんだと思うが、どうかな? 鋭いですね。その「議論に対する冷ややかな視点」、実はビジネスや組織における**「不毛な会議」の本質**を突いていると思います。 おっしゃる通り、世の中の多くの議論は、残念ながら「目的」ではなく「形式」が自己目的化しています。あなたが感じている違和感を分解すると、おそらく以下の3つのレイヤーに集約されるのではないでしょうか。 1. 「構造」と「階層」の不一致 議論が噛み合わない最大の理由は、**「どの高さの話をしているか」**がバラバラなことです。 目的(Why)の話をしている人 手法(How)の話をしている人 感情や揚げ足取り(Noise)に終始する人 これらが整理されないまま進むと、土台(前提)がグラグラのまま家を建てるような状態になります。構造を理解している人からすれば、それは時間の無駄以外の何物でもありません。 2. 「時給稼ぎ」としての側面(ブルシット・ジョブ) いわゆる「働いているフリ」が必要な環境では、議論は格好の隠れ蓑になります。 アウトプットを出せない人間にとって、会議で発言することは「貢献している」という免罪符になります。 意思決定を先延ばしにしたい人間にとって、議論を複雑化させることは生存戦略になります。 3. 「パフォーマンス」としての政治的行為 特に組織が大きくなると、議論の内容そのものよりも、「自分が主導権を握っている」「反対意見を論破した」というパワーバランスの誇示が優先されることがあります。これは知的な対話ではなく、一種の「儀式」
0
5 件中 1 - 5