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こころと暮らし相談室開設の理由:1

こんばんは。こころと暮らしの相談室、みほこです。連休明け初日の夜、いかがお過ごしですか?今日から数回に分けて、なぜ私が相談室を始めたのかその理由をお話ししていきたいと思います。食と心に向き合うようになった原点料理の仕事を始めたのは、「自分と、大切な人の心と体を守りたい」という想いからでした。シンプルで素材を活かした、短時間で簡単に作れる家庭料理が並ぶ食卓。それを囲むだけで、心が満たされ、体も元気になる──その当たり前のようでいて、かけがえのない体験を料理教室でお伝えしたい、と強く思ったからです。アトピー悪化が教えてくれたこと娘の出産後の無理、転居、仕事……振り返ればその時期は、ほとんど自炊ができていなかったのです。「体は食べたものでできている」そう痛感し、薬だけに頼るのではなく、体を根本から立て直す必要があると強く思いました。子どもたちの体調と食の関係当時、保育園児だった娘の周りにも、喘息やアレルギーなどの症状を持つお子さんが多くいました。その姿と、それぞれのご家庭の食のあり方を重ねてみたとき、食は、暮らしそのものなのだと、と心に深く落ちたのです。摂食障害を手放せた、もうひとつの経験そして、もうひとつ。大きな転機がありました。思春期から長く苦しんできた摂食障害を乗り越えられた経験です。それまでは、どんなにやめたくてもやめられなかったのに、夫と共に暮らし始めたことで、急に霧が晴れるように、消えていったのです。心、暮らし、そして食。すべては繋がっている──そのことを身をもって経験したことが、今につながる全てのスタートになりました。今日は長くなったので、ここまでにしますね。続きはまた
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日記「Gへの復讐」

【Gとの接触】 先日昼寝をして起きると毛布の上に 大きなGが這いつくばってるのが見え するとGと目が合って俺はその瞬間 固まって動く事が出来きなかった! しかしこの状況のままではGの方から 襲いかかってくる恐れがあったので 勇気を振り絞って毛布をまくり 布団から飛び出した! そして「ひー!」と奇声を上げて 走ってゴキジェットがある所に行き 布団に戻って構えるともうGは既に その場所にいなさそうに見える ヒィー((((゚Д゚))))ガタガタ そこで決死の覚悟で毛布をめくると Gが羽を広げ俺に向かって飛んできて あまりの衝撃で「うわー!」と叫び 腰を抜かしながら噴射した! でもGの移動速度があまりにも早く TVの裏に隠れてしまったので Gの姿が見えなかったけどTVの裏に ゴキジェットを思いっきり噴射した その後数時間たってもGが出てこず 「多分死んだな」と思ってた瞬間! 俺の方にGが突進してきたのが見え また「ひー!」と叫び逃げた! ヒィィィ!!ε=ε=(ノ;゚Д゚)ノ なので再びゴキジェットを手に取り 退治しようとしたらもう居なくて とりあえずもう1度TVの裏側全体に ゴキジェットを吹きかけておいた 〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓=〓 【大勝利】 その後Gの恐怖におびえながら PC作業をしてると手に違和感を感じ ふと見みると手にGがいてビックリし 思わず大声で「うわー!」と叫んだ! そして手を振ってGを払いのけ あまりの恐怖で呆然としてしまい Gが吹っ飛んだほうを見たらまだ そこから動かずこちらを見てた あまりの恐怖を味わされた俺は ふつふつと怒りがこみあげて来て ゴキジェッ
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こころと暮らし相談室開設の理由:5 摂食障害だという自覚なく、過食嘔吐を繰り返すように 

こんばんは。 こころと暮らしの相談室、みほこです。 今日は雨の日曜日でしたね。昨日は気づいたら夜中で、ブログが書けず・・・大変失礼をいたしました。さて、一昨日の続きです。思い返してみると、本当に色々とあったなぁと思います。ココナラで電話相談を受けてみよう、と思ったことで、自分の今までと再度向き合って・・・この経験があったからこそ人の役に立ちたい、と考えるようになったんだ、と改めて思っています。自分が摂食障害だという自覚もなかった実は、過食嘔吐が始まってからしばらくの間、自分が摂食障害だったという自覚がありませんでした。過食嘔吐に両親が気づいたか、というと・・・元々、父は持病がある父自身の体調と、自分の兄弟以外には基本的にほぼ無関心なので、気づくはずもありません。母は薄々感じて「大丈夫か」ということもあったようですが、私の記憶には残っておらず、それ以上踏み込んで何か言うことはありませんでした。両輪は結局、自分たちのことでいっぱいいっぱいで、私の問題を感じ取ることはできなかったのです。私が精神的に切迫していることを最初に感じ取ったのは、中高の同級生で私よりも先に同じ大学の心理学科に進学した当時の友人でした。カウンセリングに通ってみたものの・・・小さい時からとにかく元気で明るくて、悩みなど何もないようにしか見えない。
ずっと人生うまくいっているんでしょ、自信満々なんでしょ、と人にずっと言われ続けていましたが、実際の私は正反対。まだ若かった私は、友人が気づいた時点で壊れそうな精神状態でした。友人からは、大学にあったカウンセリングルームに行くことを勧められ、実際に1年ほど通いました。
で
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こころと暮らし相談室開設の理由:2 それは思春期から始まった

こんばんは。
こころと暮らしの相談室、みほこです。 今日はスーパームーンですね。
お月見、されましたか? さて、昨日のブログの続きです。
今日は、少し踏み込んだお話をいたしますね。 もし、このブログを読んでくださっているあなたが、
かつての私のように
「自分のことを認められない、自分を受け入れられない日々」
を過ごしていらっしゃったのなら、
どこか共鳴するものがあるかもしれません。 ありのままの自分を受け入れられなかった、長い時間 10代の終わりから35歳になるまで、20年近く、
私は摂食障害──それも体型には表れにくい、
食べては吐く「過食嘔吐」を繰り返していました。 家庭の中で抱え込んだ、言葉にできない苦しみ 当時の私は、
生まれ育った家庭の問題、両親との関係の中でもがき続けていました。 典型的な昭和一桁生まれで、
思い通りにならないと感情のコントロールが難しい父。 そして、自分さえ我慢すればよい、と
「ことなかれ主義」を貫いた芯の強い母。外から見れば、よくある普通の家庭だったと思います。
でも外からは見えない、いろいろなことがありました。もちろん、教育もしっかり受けさせてもらいましたし、 食卓のあたたかさも、数え切れない思い出もあります。
今では心から感謝しています。けれどそれと同時に、両親や少し歳の離れた兄が抱えるストレスの矛先が一番年齢の低かった私に向くこともありました。思春期に押し寄せた、見えない傷 小さな頃からその兆しはありましたが、
もっとも強くそれが現れたのは、私が思春期だった時でした。 体は大人に近づいていても、心はまだ未熟で、経験も少なくて。
見た目だけは
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こころと暮らし相談室開設の理由:8 30代からの生き直し

おはようございます。こころと暮らしの相談室、みほこです。 昨日、夢中で仕事をしていて、ブログを書く前にガソリン切れ…でもおかげさまで、ブログ以外は予定の仕事もしっかり終わり、ほっとしました。一気に冬の気配が濃くなった今朝ですね。さて、前回ブログの続きです。ありのままの私の問題を「知ろう」としてくれた、夫の想い後から聞いた話ですが、
夫は私が食べ吐きをしていたことを知ったあと、
摂食障害について書かれた本を、片っ端から読んでいたそうです。一方の私は、自分のことなのに、摂食障害について調べたことすらありませんでした。
その問題の奥にある“根っこ”を見ようとせず、
多分、無意識に目を背けていたからだ、と今は思っています。「やせなくっちゃ」「でも、食べ吐きするのは、どうにかやめなくちゃ」そんな表面的な焦りばかりが頭を占めていて、
心の奥底にある本当の原因、
親子関係の問題には、全く気づいていなかったのです。食べ物を粗末にすることで、無意識に「ダメな自分」を自分自身で罰していた料理は大好きで、
作ることが楽しくて、しあわせで。それなのに、食べては吐くのを止められない。吐いて食べ物を粗末にしてしまうたびに、
自分を責め、さらに自分がダメなんだ、と思い込み、重ねて刷り込みをしていく悪循環から脱せない状態でした。「両親に私のことを認めてほしい」「ありのままで愛されたい」
その思いが、いつも心の奥にありました。でも、私の両親は私の本当の姿…喜怒哀楽の波が大きかったり、自然と目立ってしまうところ、女性らしい体つきなど…
私のありのまま、そのままは決して認めてくれないことを本能的に感じ取っていました
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こころと暮らし相談室開設の理由:3 ありのままの自分ではダメだった思春期以降

こんばんはこころと暮らしの相談室、みほこです。 今週も後半、明日はお天気が良いそうです。明日はちょっと時間がありそうなので、お散歩したいな、と思っています。さて、昨日のブログの続きです。沈黙の中で演じ続けた「明るい娘」自分にとって本当に衝撃的だった、命の危険すら感じた瞬間を経験しても、「何もなかったかのように、明るい娘として振る舞わないといけない」それが、いつの間にか “習慣” になっていました。家族の中で自分を守るため、身についた“役割”幼い頃から、父の表情を読み、母の気持ちを察し、家の中がなるべく平穏であるように、自分の感情は後回しにして道化のように振る舞う──そんな生き方が、身についていったのです。「親の機嫌を損ねてはいけない」「私が我慢していれば、家はきっと平和でいられる」そう信じ込むことで、自分を守るようになっていました。「本当の自分」を隠し続けた思春期以降本当の気持ちを見せれば、きっと拒絶される。ありのままの自分でいたら、居場所がなくなる。感情はなるべく表に出さないこと。感情の起伏が大きいことは悪いことだから、なるべく表面に出さないようにしなさい。思春期を迎えた頃、そんな言葉を母から繰り返し聞くようになりました。きっと母なりの「あなたが生きやすいように」という思いだったのでしょう。けれど、まだ中学生だった私には、その言葉は「あなたはそのままではダメ」という意味にしか聞こえませんでした。親が望む理想の“良い娘”として生きる、苦しく長い道それからの私は、「親が求める娘」になろうと必死でした。明るくいることは当たり前。「ありのままでは愛されない」「本当の私は、きっとダメな
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こころと暮らし相談室開設の理由:7 心に寄り添ってくれる人のおかげで、心の穴が埋まった

こんばんは。 こころと暮らしの相談室、みほこです。 今日は風もおさまって、外出しやすかったですね。明日はお散歩できるかなぁ。さて、昨日のブログの続きです。ありえない再会気づけば35歳になり、「このまま一人で生きていくしかない」と覚悟した直後、本当に予想外の出来事が起こりました。ありえないはずの、今の夫との再会。まさに人生の大どんでん返しでした。夫とは新卒で就職した会社の同期で、前の結婚相手を紹介したこともある友人でした。とはいえ、5年以上会っておらず、さらに連絡先もわからない状態でしたから、会えるはずもない。そころが彼のところには、私が最後に出した転居届が転送で届いていて、保管していて、あることを相談したい、という電話が来たのでした。気づけば、食べ吐きがとまっていた再会から程なくして、定期的に会うようになり・・・この人なら、今までのことを何もかも話しても大丈夫かもしれない。
そう思って、それこそ事細かに幼い頃からあったことすべて、人に話したことがないことをまで全て受け止めてくれました。
受け止めてくれる人がいるんだ。ありのままの私を認めて欲しいのに認めてもらえない心の中の穴を、その事実があっという間に埋めてくれて、嘘のように気持ちを安定させてくれたのです。そして心の穴が埋まると共に、ピタッと食べ吐きが止まりました。ちょっといろいろあって離れている時期もあったのですが、今までならそんな不安定な状況だったらすぐに食べ吐きが始まるのに、止まったまま。
20年近く何かあると食べては吐くことを繰り返していたのに、なんで止まるんだろう?
ちょっと経ったらまた始まるのかな・・・。最初は不安な
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こころと暮らし相談室開設の理由:6 社会に出ても、人間関係がうまくいかない

こんばんは。 こころと暮らしの相談室、みほこです。 週の初め、急な雨が降ってびっくりでしたね。寒暖差が大きくなっています。くれぐれも、体調には気をつけてくださいね。さて、昨日のブログの続きです。就職しても続く、自分自身の機能不全就職して、新しい環境になり、今度こそ、うまくやろう!と意気込んだのも束の間・・・仲良くできるように、と人に合わせすぎて、逆に相手からは信用できない人、という判断をされてしまったり、自信満々のくせに!と、本来の私とは真逆な人間だと思われて、敬遠されてしまい、同年代とは見事にうまくいかず、ひどい職場いじめも経験しました。そんなことが続けば続くほど、「自分が悪い」
「私がダメなんだ」そう思い込んで、悪循環から抜け出せず、の状況に。人から見ると元気でしっかりしているように見えたかもしれません。
でも本当の私は、全く自信がなかったのです。その状況から逃れるように、紹介された方と結婚。最初の職場を退職し、心機一転、学生の頃からのもう一つの夢だった図書館員として、紹介された病院図書室に再就職もできました。しかし、今度は息子を溺愛していた義両親からの酷いイビリ、庇ってくれない夫にも疲れ果て、数年で離婚。さらに、再就職先は正社員の約束だったにも関わらず、実際には嘱託社員としてしか雇ってもらえず、かなりの期間、会社側と交渉を重ねたものの、うまくいかないままで将来が見えず、もがき苦しんでいました。良くなったり、悪くなったり…通算20年近くの繰り返しそのころは自暴自棄になって、今となっては情けない酷い恋愛ばかりに走るようになっていました。そんな精神状態が続き、恋愛がうまくいって
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こころと暮らし相談室開設の理由:4 心安らぐ場所がなくなっていく

こんばんはこころと暮らしの相談室、みほこです。 今日はお天気も良く、暖かい一日でしたね。本当はお散歩を、と思っていたのに色々とあっていけなかったのが残念でした。さて、昨日のブログの続きです。「感情のままのあなたは良くない」──そう言われた日のこと「感情の起伏が大きいのはよくない。
なるべく波を立てず、穏やかに過ごしなさい。
感情をあまり表に出さないように。」そんな言葉を、初めて母から言われたのは
中学生になる頃でした。母なりに、
「この子が生きやすいように」と思っての言葉だったのではないかと
今なら思うことができます。けれど当時の私には、
その言葉はただただこう聞こえたのです。「ありのままのあなたじゃダメなんだよ。」まだまだ幼なかった私は、
「本当の私は愛されない」
「親が望む姿にならないと、ダメなんだ」そう思い込むようになっていきました。自分の素の感情より、周りの期待を優先する。
“良い子”として振る舞い続ける。自己肯定感もなく、「ありのままのダメな自分」をなんとかしなくては、とすればするほど、全てがうまくいかなくなっていきました。「褒められる場所」はキッチンだけだったそんな中でも、ひとつだけありのままの自分でいていい、安心できる場所がキッチンでした。もともと食べることが大好きだった私。
料理やお菓子作りをしている時だけは、
母はいつも笑顔で、全面的に褒めてくれました。のちに母から
「女の子は料理と切り離せないから、
好きになってほしかった」と聞きました。キッチンに立つ時間だけは、当時の私にとって唯一否定されない場所だったのです。中学生から大学にかけては、
ベターホームのレシ
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