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フォースは、使うものではなく、つながるもの――スター・ウォーズが教えてくれる「大きな流れ」と私たちの生き方【後編】

前編では、「フォースは、使うものではなく、つながるもの」という私の考えについて、ルークとヨーダの修行、そしてアナキン・スカイウォーカーがダークサイドへと堕ちていった物語を通して考えてみました。フォースは、「私の力」として所有するものではない。すでに存在している大きな力と、つながるもの。そして、その大きな力を自分の欲望のためにコントロールしようとしたとき、フォースとの調和が崩れていく。私は、そんなふうに感じています。そして、このことを考えれば考えるほど、私はルーク・スカイウォーカーの物語が、とても象徴的なものに思えてきました。なぜならルークは、最後には、「自分の力で勝つこと」を選ばなかったからです。ルークが最後に捨てたもの『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』。ルークは、ダース・ベイダーと対峙します。そして、皇帝パルパティーンは、ルークの中にある怒りや憎しみを引き出そうとする。戦いの中で、ルークは怒りに飲み込まれそうになります。そして、ついにベイダーを圧倒する。あと一撃で、父親を倒すことができる。そのとき、ルークは、自分の手元にあるライトセーバーを見ます。そして、それを捨てる。スター・ウォーズ公式の設定でも、この場面は、ルークが父親を倒すことよりも、アナキン・スカイウォーカーの中に残る善を信じる選択をした場面として描かれています。ルークがライトセーバーを捨てたことで、皇帝の思惑は崩れ、最終的にはベイダーが息子を救うという結末へつながります。私は、この場面に、「フォースとつながる」ということの本質があるように思います。ルークは、「自分が勝つ」ことを手放した。「父親を倒す
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「セイレーン」と「グローグー」――善と悪のあいだにあるもの(『映画ちいかわ』からの考察)前編

先日、少し時間ができたので、映画でも見ようかと思い観たい映画を探していたのですが、なんだか「ちいかわ」の映画が話題になっていたので、今まで「ちいかわ」というものにほとんど接することなく生きてきたのですが、この機会に映画を見てみようと思い、『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』を観てきました。で、どうだったかというと、ちいかわの映画なのだから、「かわいい」のはもちろんなのですが…なるほど、話題になるのも納得の、色々と考えさせられる内容でした。で、やはり気になったのが「セイレーン」なのですが…なぜ「セイレーン」が気になったのか、そこのところが他の方とはすこしちがうかもしれません。実は、映画を観ながら、私の頭の中には、まったく別の作品に登場する、あの小さな緑色の子…そう。『マンダロリアン』のグローグーが浮かんでいたのです。今日は、その話を書いてみたいと思います。※ここから先は、『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』と『マンダロリアン』『ボバ・フェット/The Book of Boba Fett』の内容に触れます。未視聴の方はご注意ください。「この人は善? 悪?」私たちは、物語を見るとき、つい登場人物を「善い人」「悪い人」に分けたくなります。主人公は善。敵は悪。悪いことをした人は悪人。……もちろん、現実はそんなに単純ではありません。今回の『人魚の島のひみつ』を観て、改めてそう感じるところがありました。映画の冒頭で、セイレーンは、島民を襲います。そして、その理由を知る前の私たちは、おそらくこう思う。「怖い怪物だ」「悪者だ」ところが、物語が進むにつれて、その理由がわかってくる。セイレーンにとって大
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「ざこば」はん

2024年 6月13日 木曜日 映画『スターウォーズ』 今 劇場版ではなくて デジタル配信で 大ヒットしているように聞きます。 私達の知るエピソードシリーズより 遡る事 数十年の物語らしく (詳しい事は不明 観ていないから) 正義の意味合いが違うらしい・・。 私の知るエピソードでは 第四作が 物語のスタートで 双子の弟  ルーク スカイウォーカーの元へ ジェダイの師「オビワン ケノービ」を 探し求めて R2-D2 C-3POの二人が 反乱軍の長で 双子の姉 レイア姫の命を受けて 出逢う処から この壮大な物語は始まりました。 この時の 若かりしルーク マーク ハミルさんを 憶えていらっしゃいますか? エピソード7 ラスト エピソード8 での 数十年後の貫禄よ。 あの若者が 年を重ねると あんなにも ダンディーに! その変わりようには 私 腰を抜かしてしまいました。 「カ~ック イイ~!!」 ちょいと 髭を蓄えて 恰幅も良く ジェダイマスターに相応しい 弟子を育てるのに 説得力のある姿でした。 で ね、 夕べの ニュース終わりにね (私は観ないけれど) 「この後、野球中継です。」と 解説者とかが 案内されました。 元キャッチャーとして名を馳せた 吉田敦也さん 彼が「野茂茂雄です!」と 隣の人物を紹介した時に 私は衝撃を受けてしまいました。 トルネード投法で 三振の山を「どっさり」と積み上げ 日本球界から追い出されるように メジャーリーグへ乗り込んで行き 瞬く間に メジャーリーグを席捲してしまった 超大物のレジェンド 紹介してくれないと 本人とは わからなかったし 紹介されても 本人
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「セイレーン」と「グローグー」――善と悪のあいだにあるもの(『映画ちいかわ』からの考察)後編

前編では、『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』のセイレーンと、『マンダロリアン』のグローグーについて考えてみました。二人に共通しているように見えたのは、「大切なものを守りたい」という、とても原始的な気持ち。そこには、善も悪もありません。ただ、「守りたい」がある。でも、その力をどう使うかによって、誰かを救うことにも、誰かを傷つけることにもなる。では、グローグーはその力をどう扱っていくのでしょうか。だから、グローグーにはディン・ジャリンが必要だった『ボバ・フェット/The Book of Boba Fett』では、グローグーはルーク・スカイウォーカーのもとで、フォースの訓練を受けます。ルークは、グローグーにフォースの使い方を教えることができる。身体を動かす。集中する。フォースを使う。戦う。ジェダイとしての道を示す。ルークは、グローグーにとって素晴らしい師です。でも、私はここで、ルークとディン・ジャリンは、グローグーに与えられるものが違うのではないかということに気づきました。ルークが教えられるのは、「フォースをどう使うか」です。一方、ディン・ジャリンが見せているのは、「その力を持った自分が、どう生きるのか」なのではないか。ルークとディン・ジャリンの違いもちろん、これはルークを否定する話ではありません。ルークは偉大なジェダイです。フォースについて教えることができる。戦い方も教えられる。ジェダイとしての道も示すことができる。でも、グローグーにとってルークは、「フォースを学ぶための師」だった。一方のディン・ジャリンは、「生き方そのものを見せてくれる存在」だったのではないか。ディンは、決して完
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