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架空の電子書籍シリーズ8

自分が読みたい架空の本のkindle用表紙を作る第8弾です。久々に作ってみました。子供って大人がしゃがんでいたらなぜか膝にすぐ座ってきますよねっていう本です、おそらく。なんでしょうね、片膝立ちとかしていたらおもむろに膝に腰かけてきますよね。 遠くで遊んでいたはずなのに気が付いたら膝に座っています。どこで察知しているの?親の膝関節が曲がったら知らせるセンサーでも付いてるの?セブンセンシズ?
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*記憶の中で*

皆さんは、幼いころの記憶を思い出し印象に残った記憶は何ですか?と言われたらどんなことを思い出しますか?私は、もちろん家族との楽しい記憶もありますが特に印象に残っていて頭をよぎるのはこんな人がいたな…   あんな人もいたな… とか何かを自分に教えてくれた人との交流した風景なんですね。誰にも聞いたことがないので、普通のことなのか違うのか誰もがそうしているのかは分からないですが私は、心の中にもう一人がいて心の声と対話している幼い頃から人を観察するのが好きだった私は常に何かを見て、感じ、心に疑問を残したものがずっと思い出として記憶に残りやすいんです。例えば‥クラスに聴覚障害の子がいて、一生懸命に声を出して話す様子を男子がまねして笑ったりしたことで傷ついて泣いてしまい普通校から、ろう学校へ転校してしまった子のことなど。その他でも特に印象に残ってるのは‥ある日、私は家に帰ろうと歩いていたら二人の夫婦にすれ違いました。男性は背の高い外人さんで、隣の女性は大きな黒いサングラスをかけ男性に寄りかかってゆっくり長い棒を持って歩いている‥それを見て私は気になって釘付けになってみていたら近くの家へと入っていきました。・・・!その女性は目が見えない全盲だったんですね。それが分かった私はそれからその夫婦のことが気になって仕方なくその家の前を通るたびに様子をうかがっていましたそうしてるうちに話すようになったんですがその女性が言った「私は目が見えないけど耳が聞こえるし歩けるから幸せ」という言葉は子供心に衝撃で「なんで目が見えなくて幸せなんだろう…」と疑問を残し子供心に記憶となって残り続けました。何を幸せに思う
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愛ちゃん

小学生の頃の話。 小学校までは片道約4km。 朝は、通学班で登校する。 8人~10人くらいの班だった。 歩きながら、いろんな話をする。 夏休み明け、 話題は「どこに行った?」がテーマ。 海に行った。 水族館に行った。 ディズニーランドに行った。 どこの海? どんなんだった? どうだった? えー!そうなの~! などと盛り上がる。 私の番が来た。 私は松島に1泊2日した話をした。 水族館に行ったこと、 泊まった部屋に ”すっごい大きいなベッド”があったことを話した。 「どんなベッド?」と みんなが興味を持った。 「部屋の真ん中の高くなったところにあって、 丸くて、 シーツが大きくて、ひらひらして、 滝みたいにベッドを覆っているの! しかも、 スイッチがいっぱいあって 照明の色が変わったり、 ベッドも回るの! ベッドの周りに おっきい鏡がぐるっとあるから 照明変えて ベッドを回すと ”夜ヒットみたい”になるの!」 と得意気に言った。 4歳上の愛ちゃんが、 低い声で、 「それ、ラブホでしょ」と言った。 「ラブホ?」と思ったけど みんな急に笑いだしたから 恥ずかしくなった。 その後、ラブホの話になり もっと恥ずかしくなった。 私は、この会話をきっかけに ”知らないで話す”怖さを知った…。
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小さな世界に、大きなドーン!

子供の頃から、この世界にどこか違和感を持っていました。楽しいはずの場所で、みんなが目を輝かせる瞬間に、わたしはなぜか胸の奥にドーン!と衝撃を受ける。それは喜びでも感動でもなく、暗闇が胸に一気に迫ってくる感覚でした。そのドーン!は、未だに忘れられません。幼少期の冷静さ幼稚園の頃、周りの子が大騒ぎするイタズラをされても、わたしは妙に冷静でした。「はいはい、どうせオチはこうなるんでしょ」みたいな静観モード。たぶん、対人恐怖気味で、みんなに馴染めない自分をうっすら意識していたのかもしれません。お台場のお土産屋でドーン!小学生の頃、お台場の土産屋に入ったときのことはいまだに忘れられません。棚いっぱいに並んでいたのは、ピカピカ光るキーホルダーや、「誰が買うんだコレ?」っていう置物たち。普通なら「わぁ〜!」ってなるんでしょうけど、わたしは笑ゥせぇるすまんバリのドーン!(笑)。ほんと、何なんだこれは!?っと思いました。子供なのに、資本主義の影みたいなものを急に突きつけられたようで、衝撃でした。周りの子たちがキャッキャしてるのに、わたしだけ、冷めた顔して孤独を噛み締めていたのを覚えています。交差点の衝撃、再びドーン!そして、2回目、確か中学生の頃。地元の交差点で信号待ちをしていたとき、胸にまたドーン!赤信号の光、流れる車、人々の流れ。全部が妙に冷たくて、世界がスローモーションに見えて、何と言っていいかわからない虚無感みたいなものを感じました。孤独と小さな笑いその感覚は今でも消えていません。楽しい時間を過ごしても、どこかで虚しさが顔を出す。ただ同時に、ふっと笑ったり心が温かくなる瞬間もあるのです。
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「高橋真梨子特集ぅ~♪(15)」

彼女の曲はね~、日本人なら誰もが「キュン」とくると感じるのじゃ。それってもしかして「高橋真梨子」の生い立ちに「原因?」がアルのかもしれんね。彼女の子供の頃って、とても悲惨なのじゃ。いや「カナシイ」のじゃ。;;彼女は「広島生まれ」で「博多育ち」じゃ。両親が「広島原爆」で「被ばく」したのじゃが、その「原爆」のあとに「父は鉄道職員から、ジャズ奏者」に転向し、広島から博多に移動したのじゃ。しかし、原爆の後遺症で「足が壊疽(えそ)」して、働けなくなったので、母が、「スナック」をやって家計を助けたが、それから「母の不倫」やら「家計の問題等?」で二人は「離婚」したのじゃ。そして父は「広島」に戻ったが、「37才ごろ?」に亡くなったのじゃ。彼女は「父」が大好きじゃった。だから「母」の「不倫」は「許せなかった」のじゃ。そう「絶対に!」じゃ。だから、歌にもそんな「感情?」がかなり入っていると思うけど~、どうじゃろか?でも「イイ歌詞」じゃけどね。しかし、もし「原爆」がなかったら・・・多分「ご両親」とも「健康」で「ずっと一緒?」であったのかもしれんね。「タラレバ」じゃけど。i shall introduce with mariko takahashi.her parents are  bombed of the atom bomb in hiroshima.it would drew the divorce of her parents.her background is miserable, but it is reflect-ed very much.mmmmm.「ごめんね」BY 高橋真梨子「for
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時間は引き延ばせた!?人生を豊かに過ごすシンプルなコツ

「最近、時間が過ぎるのが早いな…」と感じたことはありませんか?気づけばもう夕方、1週間もあっという間に過ぎてしまう。このように感じることが増えているのは、大人になると日常の繰り返しが増えてしまうからかもしれません。実は、新しいことに挑戦するだけで、この「時間が早く過ぎる感覚」を変えることができるんです。時間が早く感じるのはなぜ?私たちは、普段の日常生活の中で「時間が過ぎるのが早いな」と感じることが多いですよね。特に大人になると、毎日が同じことの繰り返しのように感じられ、1年もあっという間に過ぎてしまいます。でも、これには実は理由があります。それが「ジャネーの法則」です。ジャネーの法則とは、フランスの哲学者ポール・ジャネが提唱した理論で、**「年齢を重ねるにつれて時間が早く感じられる」**というものです。具体的には、年齢に比例して体感する時間が短くなるという考えです。例えば、10歳の子どもにとっての1年は人生の10分の1ですが、50歳の大人にとっての1年は50分の1です。そのため、大人になると時間がどんどん早く感じるのです。なるほど、そういうことなんですね!子供の頃と大人の違い子供の頃、毎日が新しい経験の連続でした。見るもの、聞くもの、やることすべてが初めてのことばかり。だからこそ、脳がその新しい出来事を強く印象に残し、1日が豊かで長く感じられたのです。しかし、大人になると、同じ日常を繰り返すことが多くなり、新しい経験をする機会が減ってしまいます。その結果、ジャネーの法則通り、時間が早く過ぎているように感じるのです。新しいことに挑戦すると時間が変わるでは、どうすれば時間をもっと豊
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気弱な私

こんにちは皆様。雨の予報だったけど、晴れるみたいだな~なんて言って、ジムに行って帰ってきたら、三女がお散歩行ってくると言って出かけた。出掛けた後に空がみるみる曇ってきてザーと凄い雨降り、びっくりするくらいの天気の変化に気持ちが付いていかない。子供の頃こんな天候だったっけ、考えると8月中にはこんな天気無かった気がする、あの頃とはすべて違っているんだな。だからと言って昔が良かったと思う感じじゃない、単に違うなーなんて考えていて、ボーっと天気を見ている。三女に傘持って行こうか?とLINEを打つと、濡れるから止めときとの事、良いのかなと思っていると、ずぶ濡れで帰ってきて、こんなに降ると思わなんだ。涼しくなって良いと思いつつも、不安定な天気だなと感じる、なんだか自分の子供の頃より天気も政治も不安定だ。政治が不安定なのは自分の所為でもあるので文句は言えまい、私自身は主流に入れていなかったとしても、なぜそうするのかとか、人に言ったことは無い。発信しないのは意見が無いと一緒になる、解っていたのに出来るだけ距離を置こうとしていた。攻撃されたりすると面倒だと思ってたからだ、駄目な奴だったな~、子供には言っていたけどね。何しろ気弱な私ですから。いつも有難う御座います。
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木の芽時の憂鬱

今年は冬が寒かったせいか、春が一度にやってきたように感じます。 チューリップやラッパ水仙が通学路の花壇を彩る横を、黄色のランドセルカバーを付けた小学1年生が上級生と登校するのを見ると、知らない子でも目を細めて見守ります(不用意に声を掛けると通報されるご時世ですので、見守るのみです)。 枯れ枝のようだった落葉樹には艶やかな新芽が日を追うごとに大きくなります。 花粉症の人は嬉しい季節とは言えないかもしれませんが、今のところ私には花粉症の症状がありません。 ところが、です。私は子供の頃からこの季節が苦手でした。木の芽時(このめどき)という言葉をご存じでしょうか。 木々が芽吹くこの季節のことです。 なんとなく、心がざわざわします。 子供の頃なら新学年です。生徒の少ない学校だったのでクラス替えはありませんでした。 ただ担任の先生が変わり、「〇年生になったのだから、今までと同じではいけません。これからはお兄さんお姉さんという自覚を持って、うんぬんかんぬん…。」 などというお話を聞くと、焦るというか、落ち着きません。やらなくては、頑張らなくては、と張り切りすぎるのです。 真面目なのでしょう。 1年の目標を立てろと言われます。新しいノート、新しい教科書。1年はあっという間に過ぎるのだから今年こそ、などと考えると夜眠れなくなります。 熱が出て寝込んだ年もありました。 芽吹きの、春爛漫の、その伸びやかな勢いに圧倒されるのかもしれません。 急に強くなる日差しに、ついていけないのかもしれません。 夏休みも、外で遊ぶのは嫌いでした。当時は30度を超える日はまれでした。それでもバテてぐったりしていたのです
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過去の自分との再会に涙する・・・

子供の頃の、懐かしい場面に遭遇して泣けてきた::いつものように、何気なくYouTubeを見ていたときの話・・・ファミコンゲームのCM動画が流れた。しばらくの間、そのCM動画に見入ってしまった^^:子供の頃、友達みんなで楽しんだファミコンゲームのCMだった。そのゲームのタイトルは「ドランゴンクエスト」。主人公の勇者が旅をして、悪いモンスターをやっつける(;'∀')僕は、そのCM動画を見ながら自然と当時の情景を思い浮かべていた・・・●ゲームのやりすぎで母親に叱られたこと、●友達と教室で自分の勇者の自慢話、●ゲームのキャラクターで落書きだらけの教科書、そして、CM動画終盤に流れたセリフ・・・「あの頃、僕らはみんな勇者だった!」このセリフを聞いた瞬間、涙が溢れてきた::大人になった僕が、楽し過ぎた子供頃の自分に、心の中で再会した瞬間だった。人はなぜ、懐かしいものに遭遇したとき、泣けてくるんだろう・・・二度と戻ることの出来ない、遠い過去の体験。二度と手に入れることの出来ない、感情。これが現在も体験していることだったり、何時でも手に入るものだったら、泣けてきたりしない。子供の頃にゲームをしていた時の感情は、喜びや感動だろう。でも、時を経て大人になり発生した感情は同じもではない・・・それは「郷愁」・・・そして、二度と手に入れることも、体験することも出来ないというちょっぴり切ない感情、喪失感なんだと思う。これらも全部含めて、自分の人生。生きているからこそ感じらる、ちょっぴり切なくもあり、あたたかく素敵な感情だと思う♪あの頃、感じた喜びや感情は大人になって郷愁、そして喪失感に変わる。でも、そんな
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生い立ち 私と父

今度は私と父の話。父はテニスが大好きで、家族みんなでテニスをやることが夢だった。それを叶えるために子供の私たちにもテニスを教えた。私は元々体を動かすことが好きだったこともあり、テニスはとても楽しかった。兄が先にスクールに入り、私もそれを追いかけて小学1年生の頃からスクールに入らせてもらった。段々上達し、試合に出るようになり、高学年に入るころには県内の大会では上位入賞、九州大会にも出られるようになった。その頃から、父は私たちに勝つことを求めるようになってきた。父の口癖は「人と同じように練習していたら勝てない。人の倍以上やらないと」というもの。4年生の頃からは、引っ越しをしたこともあり、中学生の頃まではスクールではなく父が私のコーチになった。学校から帰ると母に頼まれていた手伝いを終わらせ、支度をして父が帰ってくるとすぐにテニスの練習に向かう。私は友達と一緒にテニスをやりたいという気持ちが強く、父とのテニスの練習はこれっぽっちも面白くなかった。勝つのが当たり前。上手くできないと怒られる。家でもテニスの話ばかり。いつの間にか、私は大好きだったテニスが嫌いになっていた。でも辞めなかった。その理由は、テニスを辞めると家にいられなくなると思っていたから。今思うとそんな訳はないと思うけど、子供の頃の私は本気でそう思っていた。
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子供の頃

確か、小学生の頃だったかな?嫌な事があるとこの橋の中央から川をぼーっ。と眺めながら「いつまで、こんな気持ちが続くんだろう?」…気持ちが落ち着くまで川を眺めていました。数年振りに同じようにそこにいる私がいました。大人になっても私にとってこの橋の上は、特別の場所。最近は、リアルに手相も人気です。お気軽にどうぞ。占い師MIHARU🔮
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今までで一番楽しかったこと

こんばんは。桐ケ谷悠宇です。皆さんは、今まで生きてきて、一番楽しかったことって何ですか?僕は長年コミュ障でしたから、人と会話を自由にできるようになった時がダントツで一番楽しかったし、嬉しかったです。もし、対人恐怖症が治るのだったら、1千万払ってもいいと本気で思っていましたからね。ところで今日うちの息子(小4)にも訊いてみたんですよ。僕が一緒にお風呂に入っているときに、『今まで生きてきて、一番楽しかった事って何?』と訊きました。すると、3位が、ベイブレード(コマ回し)をやった時、2位が、鬼滅の刃の漫画を読んでいるとき1位が、フォートナイトをやっている時と答えてくれました。正直、なんか遊びの事ばかりで、『ほんとにそんなの楽しいのかな?』と思い、ピンと来ませんでした。で、改めてよく子供たちの生活のことを考えてみたのですが、うちの子供って、僕の子供の頃に比べると、友達と遊ぶ機会が少なかったり、遊びに行く機会も少ないんですよね。子供たちは家に帰ってきても、友達のうちにほとんど遊びに行きませんし、今はコロナの影響もあって、休日に外出することもめっきり減っています。僕が子供の頃は、学校から帰ったら毎日のように友達のうちに遊びに行ったし、長期休みになると、従妹のうちに泊まりに行ったり、うちの子供に比べると大分いろいろな経験をしてることに気づきました。人との交流やいろいろな経験って、人を豊かにさせてくれるし、感受性を育ててくれるんじゃないかなと思います。もっと、子供たちを外に連れ出したり、友達と会う機会を作ったりして、いろいろな体験をさせてあげたほうが良いと感じ、反省しました。皆さんは、いろんな
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