今年は冬が寒かったせいか、春が一度にやってきたように感じます。
チューリップやラッパ水仙が通学路の花壇を彩る横を、黄色のランドセルカバーを付けた小学1年生が上級生と登校するのを見ると、知らない子でも目を細めて見守ります(不用意に声を掛けると通報されるご時世ですので、見守るのみです)。
枯れ枝のようだった落葉樹には艶やかな新芽が日を追うごとに大きくなります。
花粉症の人は嬉しい季節とは言えないかもしれませんが、今のところ私には花粉症の症状がありません。
ところが、です。私は子供の頃からこの季節が苦手でした。
木の芽時(このめどき)という言葉をご存じでしょうか。
木々が芽吹くこの季節のことです。
なんとなく、心がざわざわします。
子供の頃なら新学年です。生徒の少ない学校だったのでクラス替えはありませんでした。
ただ担任の先生が変わり、「〇年生になったのだから、今までと同じではいけません。これからはお兄さんお姉さんという自覚を持って、うんぬんかんぬん…。」
などというお話を聞くと、焦るというか、落ち着きません。やらなくては、頑張らなくては、と張り切りすぎるのです。
真面目なのでしょう。
1年の目標を立てろと言われます。新しいノート、新しい教科書。1年はあっという間に過ぎるのだから今年こそ、などと考えると夜眠れなくなります。
熱が出て寝込んだ年もありました。
芽吹きの、春爛漫の、その伸びやかな勢いに圧倒されるのかもしれません。
急に強くなる日差しに、ついていけないのかもしれません。
夏休みも、外で遊ぶのは嫌いでした。当時は30度を超える日はまれでした。それでもバテてぐったりしていたのです。
お盆を過ぎると涼しくなり、プールの水温が低すぎる日が多くなります。そのころになるとやっと元気になりました。
大人になって気が付きましたが、私は気圧の変化で具合が悪くなるようです。
そして直射日光に当たると疲れやすいです。
そういう時は図書室に籠って本を読んでやり過ごしました。
子どもは外で元気に遊ぶものだと思っている大人から見れば、心配な子供かもしれません。
ありがたいことに私の母もインドア派でしたし、おとなしく本を読んでいる子を心配することはありませんでした。
2学期になると、やっと元気になってきます。張り切りもしないし必要以上に頑張ろうという気持ちもなくなって、かえって楽に頑張れるのです。
冬至の頃には、これからは日が長くなるので良くなる一方のように感じます。
厳寒の3学期は、頑張りが効きます。受験の追い込みの時期に重なりますが、寒い部屋で湯たんぽを抱いて、毛布をかぶって勉強ができます。
きんと張った空気と雪が積もった色のない世界。朝が来るのは遅く、日が暮れるのは早い、夜が長い世界。
お風呂を焚くために外に出ると、一面の星空が広がっています。
誰もが眠っている、冬の朝、早起きをして勉強をしました。
圧倒的に自然が強い田舎で育っていたせいか、気候の影響を強く受けていたようです。
大人になった今、自然の動きにばかり合わせるわけにいきませんので、対策を取ってやり過ごせるようになれました。
GW、夏休みには子供を連れて外出をしなくてはなりません。子供が4人いましたので、たいへんでした。
当時は今ほどアウトドアブームではなかったので、主にキャンプに出掛けていました。人ごみを避け(人ごみも苦手なので)、子供たちは広いところで自由に走り回ります。シャボン玉、フリスビー、水でっぽうと安上がりで楽しめる小道具をふんだんに準備しました。
私は日差しをよけるサングラスをかけて頑張りすぎないように努めました。
マキで火を起こすのは得意です。風呂焚きで鍛えています。
星空を見上げて星座を見つけます。
「あれが北斗七星。それは夏の大三角。」
子どもたちに得意げに教えたのも、懐かしい思い出です。
盛夏には40度近くなる今は、夏の昼間に外へ出なくても問題ありません。天気予報でも外出を控えましょうと注意喚起をしているくらいです。
春のこの時期、焦りそうになると、とりあえず歯を食いしばらないようにします。大丈夫、去年よりも私は前進している、と言い聞かせます。自分を追い詰めないように、天気が不安定な日は家事の手を抜いてでも休むように心がけます。
空調設備の効いた部屋ですごし、土や空気のにおいを感じなくなった昨今ですが、私たちヒトは動物なのだということを忘れてはなりません。自然の中で何万年も進化をしてきたのですから太陽の光や気圧に体が反応するのは当たり前の事だと思って、やり過ごしていかなくてはならないのでしょう。
この時期、人生について悩む方はいらっしゃいませんか。人生の分かれ道について占います。