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復帰のタイミングと復帰後の注意点

何かしらの理由で職場や学校を一定期間休んだ場合、「復帰する」タイミングが大事ですよね。本人も周囲も、一番悩むところだと思います。体の病気やけがの場合は、医師の診断を信用して復帰することが多いでしょう。寧ろ本人は「一日も早く元通りになりたい」という強い意志がありますから、その二つが両輪となって進んでいきます。しかし、心の問題だった場合は、どうでしょう。会社員の場合、社則等で決まっている一定期間以上を休むことが出来ない場合が多いです。その期日が一つの目安となり、「復帰せざるを得ない」状況で戻って行く人も多いと思います。それ以外だと、どうすればいいか。一つは主治医の判断がありますよね。「もう戻っても大丈夫ですよ」という判断をしてもらうことが、背中を押してもらえる材料になります。しかしこれは、医学的見地からの意見で、本当に復帰するかどうかは本人が決めることです。この「本人の意志」が、何より大事だと考えます。ただ、本人が「戻りたい」と思い、それを表明した時、一番心配するのはもしかしたら家族です。「無理しなくても」「もう少し様子を見たらいい」「折角だからゆっくり休めば」という気遣いが、逆に「頑張ろう」という本人の意志を阻害することもあります。確かに悪化する過程をつぶさに見てきた家族からすると、十分とは言えない状況(に見える)で復帰するといわれると、「またすぐあの時みたいになるのでは」という恐怖が襲ってきます。それくらいなら、もっと時間をかけて万全の状態で、と思うのも無理からぬことです。それでもやはり、本人の意志を推奨するほうをお薦めします。本人が「やりたい」を表明した時こそが、ベストのタイ
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うつで仕事を休職中の娘、今すぐ職場復帰させたい!

セロトニン活性化うつ脱メンタリスト・水卜ヒロ(みうらひろ)と申します。ご家族のうつ病、治してあげたいとお思いのあなたへ。この動画では・うつ病で休職しているご家族に対し、どのように接したら良いのか・職場復帰に向けて、どのような準備をしたら良いのかについて約8分でお分かりいただけます。
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エンジニアのうつ病と復帰 (4)

 休みに入って一ヶ月、妻も気を使ってくれて、いろんなところに連れて行ってくれました。ランチを一緒に食べに行ったり、ゆっくり過ごしました。会社の仕事のこと、部下のことは気になりましたが、今はゆっくり休もうと思いました。しかし、正直悔しかった。自分がうつと診断され、会社を休むことになるなんて、想定していませんでした。会社や環境によっては、休むことすらできない環境もあるのではないか?そんな環境だったら、自分はどうなっていたんだろう?考えたくありませんが、もしかすると、もっと死を意識していたかもしれません。 自分はうつ病になったとはいえ、休みがとれること、気にかけてくれる人がいることを考えると恵まれた環境だと思いました。だからこそ、しっかり休んでうつ病前の自分以上に成長したいと考えるようになりました。  休みの間、自分に何が足りなかったのかを真剣に考えていました。あんなに親身になって話を聞いてくれた先輩たちに恩返しをしたい、絶対このまま終わるなんてことはしたくない。また、サインバルタなどの薬は、脳に働きかけて脳内のセロトニンを調整する薬であるため、麻薬と同じように薬が手放せなくなる人もいらっしゃるようで、薬に頼った精神状態にはなりたくない、早く断薬したいとも思いました。自分のような境遇の人は世の中にいっぱいいるだろう。その人達と自分はなにが違うのだろう?人の目を気にしすぎる、人を頼れない、そのような思考に至った自分の脳はどんな感じだったのだろう?どんな仕組みだったんだろう?と深堀りしていきました。  その過程で、ひとつの答えを出しました。人間の感情は、外部環境、ホルモンに左右されている
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エンジニアのうつ病と復帰 (3)

 課長になって1年半がたったくらいでしょうか。トラブルの対応について、休日も頭から離れない状況が続きました。トラブルの件で携帯のメールにも、休日問わず、営業などから突然の連絡があり、心が落ち着くことはありませんでした。なかなか寝付なくなり、睡眠も2~3時間ぐらい。朝起きても会社に行きたくない気分でした。  とうとう通勤する際に電車に乗れなくなってしまいました。駅のホームまでは行くのですが、電車に乗ろうとすると、冷や汗が出て、呼吸が浅く、小刻みになる。ホームのベンチに座り、何本も電車を乗り過ごしていました。気持ちを奮い立たせて通勤を繰り返しているうちに、全身の痛み(特に背中)もでてしまい、椅子にまともに座っていることができませんでした。呼吸は浅く、いつも傾いて座っているような感じです。会社の人にも休んだほうがよいのはないかと言われましたが、今思うと不思議なもので、休みたい気持ちはあるものの、声を大にして言うことができませんでした。  そんな体調の中、国際論文3本のAcceptをなんとか頂き、博士課程の公聴会と学会発表を同時に進めていました。頭は朦朧としながら、よく発表できたなと今振り返ると思います。なんとか博士課程を修了し、博士号をいただくことができましたが、授与式のときにその喜びを感じる感情は持ち合わせていませんでした。  ちょうどその時期に会社の健康診断があり、メンタルチェックがありました。質問事項に答えることで精神状態がわかるというものです。メンタルチェックに対する自分のイメージは、回答次第であまり悪い印象を与えると、会社側に「こいつ使えない」と印象をもたれてしまうという変
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エンジニアのうつ病と復帰(1)

前回の続きです。  鬱病になったのは42歳のときでした。  大学院の修士課程を卒業後、とあるメーカーの研究所で電子デバイスのプロセス(要はデバイスを作る方法)に関する研究開発に10年間携わってきました。研究開発はおもしろいものでした。次世代の技術を作りだすことや、この世でまだ誰も見たことがない現象を見つけたり、それを利用して新たな技術を作ったりする点では、非常に重要な仕事だと思っています。ただ、10年取り組んできて思ったことは、メーカーにいながら、世の中に出す製品全体を俯瞰できるわけではなく、部分的なところにだけ携わるだけで物足りなさを感じてきました。新しい製品を世の中に出すという過程には、設計や検証だけでなく、原材料の調達や値決め、法令などいろんなものがあり、それを製造現場で直接見たい気持ちになりました。そんな意識が高まり、34歳で転職し、医療や自動車用途などの電子部品を作るメーカーに転職しました。  そこでの仕事は非常に楽しく、製品の立案から設計、出荷までに関わることができました。営業さんと一緒に顧客周りをしたり、製品を試作して展示会に出したり、製品のパッケージのデザイナーさんとも会話をしたり。もちろん大変なこともありました。開発したサンプルを展示会に出したら、途中で突然動かなくなり、ハンダゴテを抱えて走りまわったり。試作品の納期が間に合うかというストレスもありましたし、海外の組み立て工程でトラブルがあり、昼食でカレーを食べている途中に、「今すぐ来てくれ!」と言われ、そのまま自宅に着替えなどを取りに行き、そのまま成田空港に行ったこともありました。妻も「今から成田?マジで?
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