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新しい塾に来て1年、
コロナ渦中の映像授業や、
季節講習などを乗り越え、
何とかここまでやってきました。
塾が変わったことによって、
授業のやり方が大きく変わりました。
以前は、わかりやすさだけでなく、
気付き・感動・盛り上がりなど、
いろんな要素を入れた授業でした。
いわば、高級レストランのコース料理のような授業でした。
しかし、
今回の塾はわかりやすさに振り切った授業です。
人気の町中華のような、
美味しさだけはココが一番!みたいな。
僕は、授業に関しては、
物足りなさを感じていました。
この1年で、
なんとかそれを組み合わせて、
新しい形ができないかと試行錯誤していました。
そんな中、
まだ1年目・2年目の講師には、
週1回、本部で授業研修があります。
本部の偉い先生(研修官)や仲間の講師たちと、
模擬授業をひとりずつ行います。
1年目の僕は、
試行錯誤しながら、
自分にとって良いと思う授業を
研修でやっていました。
その時の研修官は大ベテランの先生で、
僕の授業を見て、
「尾田君、いいね!」
「もっとこうしたらいいよ」
と、僕の授業を受け入れてくれました。
僕は、決められたことをやるのが苦手です。
講師によっては、
授業で話すことを台本のように、
全て書き留めてくる先生もいます。
僕はそれができません。
その時によって教室の雰囲気も違いますし、
そもそも生徒が何を答えるかなんて、
予想はできても、
その時にならないとわかりません。
その意図をくみ取ってくれたのか、
その時の研修官の先生は、
僕の指導案(授業の流れを書いたメモ)が
必要最低限のことしか書いてなくても、
授業ができていれば問題ないと
判断してくれました。
そして、1年が経ちました。
その研修官の先生のおかげもあって、
僕は授業に関しては、
また一段と自信がつきました。
2年目になりました。
2年目までは週1の研修があります。
ここで、
いくつか変化がありました。
1年目の時は、
比較的自由にやらせてもらっていた授業が、
完全コピー授業になりました。
つまり、
先輩講師の授業動画が送られてきて、
「この授業を完全コピーしてください」
というものでした。
発する言葉ももちろん、
使う教材や黒板に貼る絵や写真なども、
全く同じものを作ったり、
ネットから見つけて印刷したりしなければなりませんでした。
これが、
僕にとっては信じられないくらい苦痛でした。
決められたことができないからです。
それに、
その先生と僕は授業スタイルが全く違います。
「それをコピーして何になるの?」
と思っていました。
いよいよ始まった2年目の研修。
僕の授業はボロボロでした。
授業していて非常につまらなかったです。
当然、研修で行った授業を
実際に生徒の前でやるわけにはいきません。
僕の授業ではないんですから。
それが毎週行われると非常に精神的にきつくなりました。
授業だけでなく、
その準備に関しても、
研修にしか使わないものを準備するというのは、
意味もなく地面に穴を掘って埋める作業を繰り返しているような、
「何の意味があるの?」
という感覚でした。
毎回、研修では、
新しい研修官の人から厳しいダメ出しをされるようになりました。
一方、自分の校舎では、
2年目ということで、
授業以外の業務も任されるようになりました。
1年目の頃に比べて、
倍以上忙しくなりました。
そんな中、
先生たちが受ける学力試験があります。
あらかじめ範囲が決まっていて、
その範囲を勉強していれば、
点が取れます。
しかし、
僕にはその時間はありませんでした。
もちろん、できる限りのことはしました。
が、毎日授業がある中で、
生徒の前で行う授業の質を落としてまで、
研修や学力試験の準備をするというのは、
僕にはできませんでした。
そのため、
学力試験は、ボロボロでした。
もちろん、ちゃんと解けばできる問題ばかりですが、
先生用の時間設定。
高校入試問題(50分)のものを15分で解くようなものです。
解けるわけがありません。
全部の問題を解き終わる前にタイムアップ。
確か、理科は100点満点中の30点くらいしか取れなかったと思います。
本部の偉い先生に呼ばれました。
研修の話と学力試験の話でした。
いわゆる説教ですね。
その時に、
僕は決めました。
「塾講師はここまでかな」
心も体もボロボロでした。
生徒の前で元気な先生を演じるのも
もう無理になってきました。
帰りの電車の中で、
なぜか涙がこぼれ落ちてくる状態でした。
その年の夏期講習前に、
上司に
「辞めようと思います」
と告げました。
その年の夏期講習を最後に
僕の塾講師としての幕がおりました。
生徒たちからは、
「なんで辞めちゃうんですか」
「尾田先生がいいです」
と、言われました。
お手紙ももらいました。
仲間の講師からも
引き止められました。
嬉しかったです。
でも、これ以上、
この状態で先生を続ける方が、
生徒たちに失礼だと思いました。
その帰りの電車では、
いつもと違った涙がでました。
ここで、
いったん塾講師「尾田先生」はお休みとなりました。
20代の頃は、
塾講師が楽しくて、
毎日寝る間も惜しんで授業のことを考えたり、
練習したり。
自分自身が成長していくことが
楽しかった時期でした。
それが、20代後半から30代になり、
実力が上がるにつれて、
仕事に対する意識が変わっていきました。
「何のために仕事してるの?」
と自分自身に問い続ける毎日でした。
ただ楽しくてやるフェーズから、
品質の高さを売るフェーズへ。
しかし、
根本は変わりません。
「目の前の生徒を幸せにしたい」
「正しいことを正しく伝えたい」
このためには、
自分が高いクオリティを保ち、
自分自身が幸せでないといけないと
考えるようになりました。
それなら、
今疲れ切っている状態を
いったん離脱しないと、
生徒のためにならない。
そんなのは
尾田先生ではない。
そう考えて、
しばらくお休みすることにしました。
いつか復活することをめざして。
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