『正しさの檻』第十章:奇妙な交流

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落ち着いた雰囲気のカフェに足を踏み入れたMARIは、まるで常連客のように迷いなく奥の席を選んだ。そこはSHIHOに教えてもらった場所だったが、彼女はまるで自分の秘密基地かのように振る舞った。

その後ろを、AYUMIが静かに歩いてくる。彼女もまた、何の違和感もなくその空間に馴染んでいた。二人の足音は、店内に流れるジャズの旋律に吸い込まれ、すぐに消えていく。

年齢が近いこともあり、会話の中で自然と下の名前で呼び合うようになっていた。照明は柔らかく、木製のテーブルや椅子が温かみを醸し出している。外の窓には夕暮れの光が反射し、忙しない街の風景がぼんやりと映っていた。だがこのカフェの中だけは、まるで別の世界のように静寂だった。

MARIは、その静けさにどこか苛立ちを感じていた。

「これ、美味しいのよ。」
自信に満ちた声音で、MARIはメニューを指し示す。示したのは、トマトとバジルのパスタ。どこか誇らしげなその様子に、AYUMIは穏やかな微笑みで応じた。

「じゃあ、それにしようかな。」

その笑顔には、MARIのように他人の評価を気にするそぶりは微塵もなかった。ただ、そこに在ることが自然であるかのような、無理のない存在感。

注文が済み、料理が運ばれるまでの間、二人は取り留めのない会話を交わした。時折、ふっと沈黙が訪れるが、AYUMIはそれを気にも留めない様子で、むしろその間に心を休めているようだった。

やがて、MARIがふと口を開く。

「ねえ、AYUMIの面接ってどんな感じだったの?」

AYUMIは少し考えてから、静かに言った。

「私らしくいられたかな。」

それだけの言葉。だがその一言の裏に、MARIには理解しきれない「何か」があると直感した。

(私にはわからない何かがある――。)

胸の奥に、小さな痛みがじわりと広がる。

「そうなんだ。」
MARIは笑顔を作った。
「私はね、『君は本当に優しいね』って言われたの。それを聞いたとき、涙が溢れたの。」

その語り口には、どこか見せびらかすような響きがあった。AYUMIがその言葉に何を思うのか、MARIは無意識に測ろうとしていた。

「MARIはすごいね。」
AYUMIは、あくまで自然な口調で言う。
「あの人の隣で堂々といられるんだもん。」

称賛とも、慰めとも取れるその言葉に、MARIは返す言葉を見失う。

少しして、AYUMIがぽつりとつぶやいた。

「でもね。あの人、今日ちょっと変だった。」

「変って……どういう意味?」
MARIは眉をひそめる。

「本当はもっと自然に笑う人なのに、なんだか無理してるように見えた。」

「そうなの?」
MARIは軽く笑ってみせた。
「私には普通に見えたけど。」

その笑みの裏で、何かに置いていかれたような焦りが、じわじわと燻り始める。

「たぶん、私たちのどちらかに合わせていたのかもね。」

AYUMIのその言葉は、どこか遠くを見据えていた。

MARIは口を閉ざした。脳裏には、以前NATSUに言われた言葉が浮かぶ。

――彼の信頼する女性たちは、彼を理解し、彼を最優先に考える。

(なぜ?)

理解できない。自分を優先しない生き方なんて、これまで考えたこともなかった。

AYUMIの声が、再び静かに響いた。

「私の愛で、あの人を助けたい。でも、彼は私の手の届かない場所にいるの。さらに別の次元へ行こうとしてる。」

その言葉に、MARIは思わず息を呑んだ。

「命懸けで。」

その一言の重みが、カフェの柔らかな空気さえ揺らしたように感じた。

(狂気の人――。)

心の中でそう呟きながらも、MARIにはAYUMIの言う「愛」の輪郭が見えてこなかった。なぜそこまで彼を想うのか。なぜ、彼のそばにいながら、彼の会社に入社しないのか。

(わからない。)

その思考は、MARIにとって未知の領域だった。

カフェの窓の外では、空が紫色に染まりながら、夜の帳を落としていく。

「そろそろ行こうか。」

AYUMIが静かに立ち上がる。MARIも、何かに導かれるようにそれに続いた。

「またね。」

その言葉が、妙に遠く感じられた。

まるで、もう交わることのない未来に向けた、最後の挨拶のように。
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