眠れなかった。
真夜中、MARIはベッドの上で天井を見つめていた。頭の中を、あの問いがぐるぐると回り続ける。
——どうして、彼はAYUMIを選ぶの?
わからない。AYUMIの何が特別なのか、何がそんなに魅力的なのか、自分には理解できなかった。素朴で控えめで、どこか冴えない彼女。けれど、彼はそのAYUMIに、心を預けている。
スマホを手に取っては、誰かにメッセージを送ろうとしてやめる。そんなことを何度も繰り返すうちに、心のざわつきはピークに達していた。
「……飲まなきゃやってられない。」
そう呟いて、MARIはコートを羽織り、夜の街へ出た。
薄暗いバーのカウンターで、ウイスキーを一口。喉の奥に広がる熱が、胸の苛立ちを少しだけ和らげる。
「お姉さん、一人?」
隣に座った男が軽く声をかけてきたが、MARIは生返事であしらった。彼が誰であろうと、何を話しかけようと、どうでもよかった。
頭の中は、AYUMIのことでいっぱいだった。
——なんで私はAYUMIになれないの?
素直で、静かで、精神的な繋がりを重んじるAYUMI。彼が惹かれるのは、そういう純粋さなのだろう。けれど、MARIは違う。心の奥に穴が開いている。愛されていないと感じると、身体で埋めようとしてしまう。
グラスを空けて、さらに強い酒を注文する。視界がにじみ、涙がこぼれそうになる。
気づけばスマホを開いていた。
——主任、今から会えない?
MARIは主任の部屋にいた。
酒と涙でぼんやりとした頭の中、彼の問いかけに答える気にもなれなかった。ただ、温もりに身を預ける。それが、自分を保つ唯一の方法だった。
(……私はAYUMIにはなれない。でも、私はここにいる)
エースたちが集う部署の主任と繋がっていること。それを「誇り」と呼ぶことで、どうにか自尊心を保っていた。
けれど、わかっていた。
SHIHOやあの人にこの関係が知られたら、きっと軽蔑される。
——私は純粋じゃない。だから、彼に選ばれない。
9月。MARIの長期インターンも終盤に差しかかっていた。内定式を前に、彼は再びAYUMIを呼んだ。
MARIは主任の部屋で、八つ当たり気味に問いかけた。
「なんで、あの人はAYUMIにこだわるの?」
主任は困ったように笑い、「俺にはわからないよ」と肩をすくめた。
「でもさ、俺、前に聞いたことあるよ。MARIの方が優秀なんじゃないですかって」
MARIの胸が一瞬だけ高鳴った。
「……で、なんて?」
主任はあっけらかんと言った。
「AYUMIとは結婚できる。MARIは無理。だって自己愛じゃん、って」
空気が凍った。
MARIの顔から血の気が引いた。
「……なんでそんなこと、言うの」
「俺もびっくりしたけどさ。まぁ、そういうことらしいよ」
彼の無神経な笑みに、MARIは何も言えなかった。
——自己愛。
認めたくはない。でも、心の奥で何かが崩れていく音がした。
面接の日。
スーツ姿のAYUMIが現れた。
素朴なはずの彼女が、どこか艶っぽい。
(……あの人のために、美しくあろうとしてる?)
そう思うと、胸が締めつけられた。
彼とAYUMIは、まるで二人だけの世界を生きているようだった。深く、静かに、言葉を交わし合っていた。MARIには理解できない、別の言語で。
面接後、AYUMIは丁寧に学生たちの評価を書き写していた。
「遅くてすみません……私、仕事できないですよね?」
そんな自嘲に、彼は静かに微笑んで言った。
「君に仕事のスピードは期待していない」
「……え?」
「本質を見抜く力。それだけで十分だ。だから、お前が欲しいんだよ」
言葉の一つ一つが、AYUMIの心にまっすぐ届いていた。
「AYUMI、書き終えたら飯に行こう」
彼が誘うと、AYUMIは少しの沈黙の後、静かに首を振った。
「ううん。今日は帰ります」
MARIは、ほんの少しだけ胸をなでおろした。
彼は言った。
「そうか。気をつけて帰れよ」
その言葉に、AYUMIは柔らかく微笑みながら答えた。
「うん。近いうちに連絡します。……一緒にいれて幸せでした」
MARIは、息を呑んだ。
——この二人は、正直だ。
私は……素直になれない。
その夜も、MARIは主任の部屋へ向かった。
欲望だけで繋がる関係。その中で、自分を保っているつもりだった。
でも、わかっている。
——あの人は、私に興味なんてない。
そして、AYUMIには――心から、惹かれている。