夏の陽は容赦なくビルのガラスに降り注ぎ、午後のオフィスは薄らとした光に満ちていた。
窓際に立つMARIは、無意識にカーテンの縁を指先でなぞっていた。
その視線の先には、眩しいほど鮮やかな都市の風景が広がっている。
けれど、その光景は、彼女の心に沈む影を照らすことはなかった。
——落ち着かない。
理由は、分かっていた。
軽やかな足音が廊下の奥から聞こえた瞬間、MARIの背筋はわずかに硬直する。
振り返ると、姿を現したのはAYUMIだった。
その立ち姿は、まるでこの空間の主役かのような自然さと気品を帯びていた。
彼が好んで名前を呼ぶそのAYUMIが、まるで何かを象徴するように、そこにいた。
MARIは即座に笑顔を作った。
表面だけは自然体を保ち、親しげな口調で声をかける。
「こんにちは、AYUMIさん。」
「こんにちは。」
AYUMIは柔らかな微笑みで応えた。
それは丁寧で礼儀正しいものだったが、その目にはMARIの存在を特別視する様子は微塵もなかった。
(この人は、私とは違う──それだけは、もう分かってる。)
胸の奥に、じわじわと沁みるような惨めさが広がる。
だが、それ以上に苛立ちを掻き立てるのは、彼がなぜAYUMIに、あれほどまでに心を許しているのかということだった。
オフィスの一角。
ふと聞こえてくる彼とAYUMIの声。
「顔色が悪いけど、大丈夫ですか?無理しないでくださいね。」
「ありがとう。でも問題ない。もう少しで辿り着きそうなんだ。力を貸してくれ。」
「私にできることがあれば、もちろん。」
何気ないそのやり取りが、MARIの目には「夫婦の会話」にさえ映った。
互いに深くを語らずとも、察し合うような、昭和の夫婦のような距離感。
握られた拳が、わずかに震える。
それは嫉妬という名の、感情の咆哮だった。
インターンシップ会場。
冷房の効いた空間に、大きな窓から日差しが柔らかく差し込んでいた。
参加者たちは皆、彼の言葉に耳を傾けている。
「人は何のために生きていると思う?」
その問いが空間に投げ込まれると、空気は静まり返った。
それは単なる質問ではなかった。
哲学と信念、そして自己への問い直し——そんなものを内包した、鋭い問いだった。
MARIは必死にその意味を噛み砕こうとした。
だが、理解は深まりきらず、思考は途中で迷子になる。
「AYUMI、お前がフィードバックしろ。」
その声に、MARIの中で何かが弾けた。
——なぜ、私じゃないの?
感情が、怒りか悲しみかも分からない形で込み上げる。
それでも、MARIは表情を崩さず、その場に立ち尽くした。
AYUMIが静かに立ち上がる。
彼女は落ち着いた声で語り始めた。
「誰もが心の中で、他人を欺いていると思っている。」
ドストエフスキーの言葉を引用しながら、AYUMIのフィードバックは参加者たちの心に鋭く届く。
その内容には、深い洞察と感性が滲んでいた。
(何なの、この人……)
焦燥が、MARIの心をかき乱す。
彼女は、AYUMIが彼と同じ高みに立っているように見えた。
会議室の扉の陰に身を隠しながら、MARIは息を潜めた。
見えるのは、彼とAYUMIのふたりだけ。
誰も入り込めないような空気が、二人の間に流れていた。
「AYUMI、ありがとう。」
「お役に立てたら嬉しいです。」
彼の声は、どこまでも優しい。
MARIの心がぎゅっと締めつけられた。
「君は最高だ。そばにいてくれると安心する。孤独じゃなくなるし、限界までいけるよ。」
(なにそれ……告白みたいじゃない。)
「限界までいかれたら困ります。」
AYUMIの声は冗談めいていたが、そこにある寂しげな響きを、MARIは聞き逃さなかった。
「いつも笑顔で元気でいてほしいから。」
「君がいたらそうなるよ。」
「よく、そんなキザな台詞を言えますね。」
「AYUMIだからね。」
彼がAYUMIを見つめるその眼差しに、MARIは心の血が逆流するのを感じた。
——愛し合っているの?
その瞬間、MARIは自分の立ち位置がどこにもないことを思い知らされた。
帰り支度をするAYUMIに、MARIは笑顔で話しかけた。
「AYUMIさんの意見、素晴らしかったです。」
完璧な笑顔。けれど、その裏には激しい嫉妬と苛立ちが滲んでいる。
「ありがとうございます。」
AYUMIは優しく微笑む。
その笑みに、MARIの内側で何かが音を立てて崩れた。
「AYUMIさん、もしお時間があれば、少しだけご一緒に食事でもどうですか?」
自然な口調を装っての誘い。
AYUMIが驚いたように目を見開く。
「ええ、せっかくですし、少しお話できたら嬉しいなと思って。」
「では、お言葉に甘えて。」
AYUMIが頷く。
MARIの中には、まだ整理できない感情が渦を巻いていた。
彼がAYUMIを選ぶ理由を知りたい。
自分と何が違うのか、確かめたい。
この食事が何を生むのか──
それは、まだ誰にも、分からなかった。