『正しさの檻』第九章:崩れゆくプライド、歪む視界

記事
小説
夏の陽は容赦なくビルのガラスに降り注ぎ、午後のオフィスは薄らとした光に満ちていた。
窓際に立つMARIは、無意識にカーテンの縁を指先でなぞっていた。
その視線の先には、眩しいほど鮮やかな都市の風景が広がっている。
けれど、その光景は、彼女の心に沈む影を照らすことはなかった。

——落ち着かない。

理由は、分かっていた。

軽やかな足音が廊下の奥から聞こえた瞬間、MARIの背筋はわずかに硬直する。
振り返ると、姿を現したのはAYUMIだった。

その立ち姿は、まるでこの空間の主役かのような自然さと気品を帯びていた。
彼が好んで名前を呼ぶそのAYUMIが、まるで何かを象徴するように、そこにいた。

MARIは即座に笑顔を作った。
表面だけは自然体を保ち、親しげな口調で声をかける。

「こんにちは、AYUMIさん。」

「こんにちは。」
AYUMIは柔らかな微笑みで応えた。
それは丁寧で礼儀正しいものだったが、その目にはMARIの存在を特別視する様子は微塵もなかった。

(この人は、私とは違う──それだけは、もう分かってる。)

胸の奥に、じわじわと沁みるような惨めさが広がる。
だが、それ以上に苛立ちを掻き立てるのは、彼がなぜAYUMIに、あれほどまでに心を許しているのかということだった。

オフィスの一角。
ふと聞こえてくる彼とAYUMIの声。

「顔色が悪いけど、大丈夫ですか?無理しないでくださいね。」

「ありがとう。でも問題ない。もう少しで辿り着きそうなんだ。力を貸してくれ。」

「私にできることがあれば、もちろん。」

何気ないそのやり取りが、MARIの目には「夫婦の会話」にさえ映った。
互いに深くを語らずとも、察し合うような、昭和の夫婦のような距離感。

握られた拳が、わずかに震える。
それは嫉妬という名の、感情の咆哮だった。

インターンシップ会場。
冷房の効いた空間に、大きな窓から日差しが柔らかく差し込んでいた。

参加者たちは皆、彼の言葉に耳を傾けている。

「人は何のために生きていると思う?」

その問いが空間に投げ込まれると、空気は静まり返った。
それは単なる質問ではなかった。
哲学と信念、そして自己への問い直し——そんなものを内包した、鋭い問いだった。

MARIは必死にその意味を噛み砕こうとした。
だが、理解は深まりきらず、思考は途中で迷子になる。

「AYUMI、お前がフィードバックしろ。」

その声に、MARIの中で何かが弾けた。

——なぜ、私じゃないの?

感情が、怒りか悲しみかも分からない形で込み上げる。
それでも、MARIは表情を崩さず、その場に立ち尽くした。

AYUMIが静かに立ち上がる。
彼女は落ち着いた声で語り始めた。

「誰もが心の中で、他人を欺いていると思っている。」

ドストエフスキーの言葉を引用しながら、AYUMIのフィードバックは参加者たちの心に鋭く届く。
その内容には、深い洞察と感性が滲んでいた。

(何なの、この人……)

焦燥が、MARIの心をかき乱す。
彼女は、AYUMIが彼と同じ高みに立っているように見えた。

会議室の扉の陰に身を隠しながら、MARIは息を潜めた。
見えるのは、彼とAYUMIのふたりだけ。

誰も入り込めないような空気が、二人の間に流れていた。

「AYUMI、ありがとう。」

「お役に立てたら嬉しいです。」

彼の声は、どこまでも優しい。
MARIの心がぎゅっと締めつけられた。

「君は最高だ。そばにいてくれると安心する。孤独じゃなくなるし、限界までいけるよ。」

(なにそれ……告白みたいじゃない。)

「限界までいかれたら困ります。」

AYUMIの声は冗談めいていたが、そこにある寂しげな響きを、MARIは聞き逃さなかった。

「いつも笑顔で元気でいてほしいから。」

「君がいたらそうなるよ。」

「よく、そんなキザな台詞を言えますね。」

「AYUMIだからね。」

彼がAYUMIを見つめるその眼差しに、MARIは心の血が逆流するのを感じた。

——愛し合っているの?

その瞬間、MARIは自分の立ち位置がどこにもないことを思い知らされた。

帰り支度をするAYUMIに、MARIは笑顔で話しかけた。

「AYUMIさんの意見、素晴らしかったです。」

完璧な笑顔。けれど、その裏には激しい嫉妬と苛立ちが滲んでいる。

「ありがとうございます。」

AYUMIは優しく微笑む。
その笑みに、MARIの内側で何かが音を立てて崩れた。

「AYUMIさん、もしお時間があれば、少しだけご一緒に食事でもどうですか?」

自然な口調を装っての誘い。
AYUMIが驚いたように目を見開く。

「ええ、せっかくですし、少しお話できたら嬉しいなと思って。」

「では、お言葉に甘えて。」

AYUMIが頷く。

MARIの中には、まだ整理できない感情が渦を巻いていた。
彼がAYUMIを選ぶ理由を知りたい。
自分と何が違うのか、確かめたい。

この食事が何を生むのか──
それは、まだ誰にも、分からなかった。


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら