梅雨が明け、じりじりと肌を焼く夏の陽射しが街を包み込んでいた。
MARIの世代の内定者たちは、すでに千人近くに達していた。
だが、それはゴールではない。むしろ、ここからが始まりだった。
学生たちは「どこで、誰と、何をして生きるか」を決める、最後の意思決定のフェーズへと突入する。
彼は部下たちに、静かに、しかし確かに言った。
「入社目標は300人。死ぬ気でやろう。」
もともと200人だった採用目標は、経営判断で100人増となった。
それだけではない。すでに、次の代の早期インターンシップも動き始めていた。
目標人数は…1000人。
その数字を目にしたとき、MARIは息を飲んだ。
だが、彼とSHIHOはその先を見据えていた。
目の前のKPIなど、彼らにとってはただの通過点なのだ。
一方で、現場は常に余裕がなかった。
ギリギリの戦い。限界寸前のスタッフたち。
そのとき、ふとMARIの中にひとつの疑問が浮かんだ。
(私、どっち側なんだろう?)
成果を出している側なのか。
それとも、息切れしかかっている側なのか。
自分でも分からなくなっていた。
ある日、ずっと胸にくすぶっていた疑問を、MARIは彼にぶつけた。
「成果を出せない部下は、どうするんですか?」
彼は少しも迷わずに、答えた。
「興味ないよ。無能は罪じゃん。」
言葉は淡々としていたが、鋭く冷たかった。
その場の空気が、ピンと張り詰める。
彼は構わず続ける。
「同じ条件でやってるんだから、差が出るのは努力の差だよ。」
「命懸けでやってるやつは、ちゃんと成果を出してる。」
「頑張ったやつが報われるのは当然。足を引っ張るやつは、やるか、去るか。それだけじゃん?」
MARIの心に、ざわりと波が立った。
冷たい。でも、理屈は通っている。
彼の目には、一点の迷いもなかった。
「フォローされるべきは、頑張ってる人でしょ?」
彼は真っすぐMARIを見た。
「君は、どう思う?」
問いかけられた瞬間、MARIの喉が乾いた。
「弱い者を守るのも、大事じゃないですか?」
そう絞り出すように答えた。
彼は、ふっと笑った。
「生まれつき弱いなら守るよ。でも、自分に甘いだけで弱さを武器にされたら、迷惑じゃん?」
その言葉が、胸に突き刺さった。
「ちょっと上手くいかないと、誰かのせいにして妬んで、悲劇のヒロインぶる。そんなやつ、価値ある?」
MARIは、言葉を失った。
(…私のこと?)
違う。
そう思いたかった。
でも、自分の心の奥にある感情を振り返ると、完全には否定できなかった。
最近の自分は、成果が出ない苛立ちを、誰かへの不満に変換していた。
分かってくれそうな人にだけ弱さを見せ、安心を得ていた。
知らず知らずのうちに、被害者でいることで、心を守っていたのかもしれない。
(私…そんなつもりじゃなかったのに)
そう思いながらも、MARIの心は、少しずつ傾いていった。
成果が出ないスタッフと話すと、なぜかほっとする自分がいる。
「私だけじゃない」と思える安心。
「頑張ってるのに報われない」と言い合うことで、居場所を確認している自分。
(でも、それって本当に“正しさ”なの?)
MARIは、逃げ場所を探しながら、かろうじてプライドで踏みとどまっていた。
けれど、そのプライドが何に支えられているのか、もう自分でも分からなかった。
その頃、彼とSHIHOは新しいインターンシップの設計を進めていた。
「このスピーカー、誰がやるんだ?」
彼が尋ねる。
SHIHOは笑って答えた。
「あなたしかいないじゃん!」
彼は真顔で返す。
「これは命懸けだ。」
また、命懸けだ。
その言葉に、MARIの心が揺れる。
その時、彼がAYUMIに電話をかけているのが見えた。
「新型のインターンやるから、見に来い。」
「お前のために、俺の本気を見せるよ。」
まるでラブコールだった。
嫉妬なのか、悔しさなのか――自分でもわからない感情が、MARIの中で渦巻いた。
ふと目に入ったのは、彼の部下である主任の姿だった。
長年会社にいるが、特別優秀というわけではない。
けれど、最近ではお洒落に気を使い、彼の近くに自然と居場所を得ている。
主任はぽつりと呟いた。
「あの人、自分が気に入った学生だけは、自分でフォローするんだよ。」
その言葉に、MARIの心はふたたびざわめく。
主任は、特段何かに秀でているわけではない。
それでも、彼に選ばれている。
それだけで、勝ちなのだろうか?
MARIは、主任の横顔を、ぼんやりと眺めていた。
(この人と話してたら、気が楽かもしれない)
そんな考えが、一瞬だけよぎる。
その“よぎり”が、これから形になっていくことを、MARIはまだ知らなかった。