#2|私(inikita)について|DVについて

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コラム
inikitaです。
これは、サービスを受けようか迷っており、サービス提供者の私がどんな人なのか知りたいなと思った方に向けて、私自身について書くブログです。
今回は前回#1でも触れた【DV】について詳しくお話しします。

【DV】
小学校高学年、父がいつも帰ってこなくなり、いるかいないか分からない状態になりました。実際には、父は中国人の女性と不倫関係にありました。(はっきりと知った訳ではないが、なんとなく感づいた。高校生ぐらいに確認したら当たっていた)

そして大体その頃に父から母へのDVが始まりました。
父が母に対して殴る蹴る等、暴行を加えるのを兄弟3人でかばうことで、投げてきた拳や物が私たちに当たったりしていました。

大体父がお酒を飲んだ時(ほぼ毎日・夜・夜中)に家に来て、暴れていました。

ある時、夜寝ていて、周りの叫び声と物音で目が覚め「あ、また始まった」と気づいてはいましたが怖くてしばらく布団から出られませんでした。
しかし、最終的には母を守らなくてはいけないと部屋の外に出ました。

DVの内容としては
・ガラスを割る(食器棚)
・冷蔵庫をぼこぼこに殴る
・木製の大きいダイニングテーブルを真っ二つに割る
・鳥かごを投げる
・包丁で皆を追っかけまわす(この時「殺される」と感じた)
・棚の中身全部を出す
・壁に全部穴をあけていく
・逃げようとすると玄関にたって逃げれないようにする
などがありました。

このような行動をしているので父は手が血まみれで、結果壁や床・部屋の隣の階段が血まみれになり、床には物やガラスの破片などが散乱していました。この片付けも父ではなく、母と私たち兄弟がやっていました。

一通り暴れ終わると父は何処かへ帰っていきます。

私たちは逃げるのに必死で警察や父方の祖父母に連絡しようにも出来ませんでした。

団地の角部屋だったため、ベランダから回って落ちないように階段に逃げ、警察に通報出来た時は父が警察官3人に取り押さえられ、連絡することが出来た時は父方の祖父母が助けに来てくれたこともありました。

逃げられた時、母が泣きながら「もう離婚してもいいかな」と私たちに言い、私たちも「早く離婚してお願いだから」と言ったことで父と母は離婚しました。
はっきりとこの時期に離婚したという時期は分かっていません。
毎晩こんなだったため、毎日まともに寝られていませんでした。

DVは小学5年生から中学2年生まで続きました。


離婚後、鍵も没収した後、キッチンにうつる人影がありました。
しばらくずっとそこにいたのです。
父でした。
見かねた母が父を家の中に入れたことで、離婚はしているが同居しているという今の状態がスタートしました。

父の性格を兄弟の中で強く受け継いでいるのは私であり、そのことは自覚しています。その為、よくお互いの意見の相違で強くぶつかり合うことが昔からよくあります。

DVに関しては、あの時一番の被害者だった母が父のことを許していることから、私も父を許しています。
でも次同じことをしたら私は父のことを刺し殺すという気持ちを持っています。
父のせいで映画のワンシーン(DVや暴力・レイプなど)で見るのがつらい部分があります。

一度、車を運転中に見かけた、車に轢かれてしまった子供の母親の「どうしたらいいの、どうしたらいいの!」と泣き叫ぶ声が、過去の母の声とリンクして、急に涙が勝手に流れてきて、身体も震えてしまい、この状況がよくわからなくて笑いながら、涙と震えがしばらく止まらなかったことがありました。

私は家庭環境やセクシャルマイノリティによって、長い間生きづらさを抱えていました。
しかしこれまでの人生の中で、同じような背景を持つ人と話せた時の安心感は、何よりも心を支えてくれました。
一人じゃない、自分を責めない、言いやすいのは第三者です。
私はそうやって心を軽くしてきました。
だからこそ、今度は私が「安心して話せる場所」を作りたいと思い、サービスを出品しました。
気になった方はどうぞご気軽にご相談下さい。あなたの歩みに寄り添います。
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