【スポーツ観戦から学ぶ】何かに一体化しすぎると危険かも

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以前、スポーツについて記事を書きました。

私は地元にあるJリーグクラブを応援しているのですが、クラブの調子が良い時/悪い時は一層その熱の温度が高まります。

サッカーの試合なので、当然全ての試合で良い結果が出るわけではなく、時には目を覆いたくなるような惨敗だってあります。
そういった試合を見た日は心がどよんとしてしまうのですが、負けた日にSNSを見るのをやめてから切り替えが上手にできるようになった気がします。

何かしらのスポーツを熱心に観戦、応援されている方ならわかっていただけると思うのですが、良くない結果が出た日のSNSはまぁいろんな人がいろんなことを言って、早い話が荒れます。
チームスポーツだったら特定の選手や監督への批判、鬱憤をぶつけるような投稿、それが行きすぎて誹謗中傷になってしまっているものさえ散見されます。

そして、それらを見始めるとなぜか見続けてしまうんですね。
ひどいことが書いてあるのに、どこか自分でも思っていたことに共感できるような気がしてどんどん深みにハマってしまいます。

ここにはチームが上手く言って選手が嬉しそうなら自分も嬉しい、悔しそうなら自分も悔しいというミラーニューロンの働きが関係しています。
チームや選手がまるで自分の一部であるかのような一体感があるとき、そのチームを批判されていると自分を傷つけられているような感覚になるのです。

普通に考えれば、自分の一部が攻撃を受けているなら見るのが嫌になると思いますが、それをどこか快感に感じてしまう場合もあります。
それは特定の人がメンタルが塞ぎ込んだ時に自傷する傾向と似ています。

負のメッセージ性を伴う投稿には中毒性があるとも言うこともできるでしょう。
何かを批判するポストが数万のインプレッションを稼ぐことは良くあります。
自分が応援している、一体となっているものを批判されることは自傷することで脳内物質が出ている状態と同じということです。

私はある日、これに気づいてしまいました。
チームが批判されているということは自分に向けられている意見のような気がして読み込んでしまっていました。
私は外から応援している1人でしかないのに。

それから、私はうまく結果が出なかった時にはSNSを離れ全く関係ないことをすることを心がけました。
チームに対して愛が薄れたわけではありません。のめり込み過ぎていたところから本来の立ち位置に戻ったような感覚です。

スポーツからはたくさんの勇気と感動がもらえます。
ですが、あまり一体化しすぎるのは良いとは言えません。
適切な距離感のもとで熱く応援するサポーターでありたいと私は思います。

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