自分の身体に向き合うのが、こんなにも怖いなんて

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コラム
先日、生まれて初めて人間ドックを受けた。

ずっと気になっていたのに、

「忙しいから」「今じゃなくてもいい」

と先延ばしにしてきた自分の健康。

向き合うことが、ただ怖かったのだと
今は思う。

娘にもらったドックのギフト券が
期限間近になり、観念して受診。

検査着に着替えた自分。

その瞬間、
胸の奥がかすかに緊張ような感覚があった。

防御するものを剝がされ、
素の身体と素の年齢が、
そのまま目の前に置かれたような気がした。

健診は半日。

ただの半日なのに、その時間がやけに
長く感じた。

検査と検査のあいだにできる“空白の時間”。

待合室でぼんやり座っているだけなのに、
胸の奥がざわざわと落ち着かず、

「何か見つかったらどうしよう」

と不安ばかりが膨らんでいく。

手持ち無沙汰で、静かで、逃げ場のない時間。

あれが、想像以上に怖かった。

ふと周りを見ると、
同じように健診を受けに来た人たちが、
静かに順番を待っていた。

自分の身体と、
しっかり向き合いに来ている人たち。

その姿を見て、
胸の奥にじんわりと尊敬が生まれた。

「みんな、自分を大切にしようとしているんだ」

そう思うと、
自分はどこか他人事にしていたのではないかと、
少し恥ずかしくなった。

医療機器の音、スタッフの規則正しい動き、
少し冷たい空気。

そんな空間の中で私は、
自分が思っている以上に
“老い”が身近なものになりつつあるのを
感じた。

ずっと私を支えてくれている臓器たち。

文句ひとつ言わず働いてくれている
身体の中の小さな存在たち。

それを思うと、胸がじんと熱くなる。

──それでもやっぱり不安だった。

もし悪い結果が出たらどうしよう。

もし何かが見つかったら。

今の生活はどうなってしまうんだろう。

そんな考えが、隙間なく頭を埋めていく。

半日が、まるで一日にも二日にも感じられた。

そのとき、私はある人たちのことを
思い出した。

病気と向き合いながら生きている人たち。

寄り添うつもりで話を聞いてきた人たちだ。

「不安ですよね」と言いながら、
私は本当の意味で
“恐さ”を理解していなかったのかもしれない。

自分が初めて身体と真剣に向き合った
その瞬間、
心の奥が震えるようなこの感覚は、
想像以上に重かった。

そのことに気づいた途端、
今まさに闘っている人たちの気持ちを思い、
胸が締めつけられた。

私が感じた不安なんて、彼らの比ではない。

それでも──

この恐さを知ったことで、
ほんの少しだけ、ほんの一滴だけ、
「寄り添う」という言葉の深さに
触れた気がした。

もちろん、
「一緒にしないで」と思う人もいるかも
しれない。

比べられるものではないし、
軽々しく語れる世界でもない。

それでも私は、この半日の経験を
大切にしたい。

人は、
他者の痛みをすべて理解できるわけではない。

でも、自分の弱さを通して、
ほんの少しだけ心が重なる瞬間がある。

先日、私はその“一滴”の重さを初めて知った。

結果がどうであれ、
私はこれからもっと自分の身体と
向き合っていきたい。

恐がっている自分も、老いていく自分も、
否定せずに抱きしめながら。

そして、

同じように不安の中で踏ん張っている人へ、

今までより深い場所から
言葉を届けられる自分でありたい。

先日、人間ドックで知ったのは、
“身体の状態”だけではなかった。

生きることは、

少し怖くて、でもどこか優しい──

そんな当たり前の真実だった。


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