自己紹介 パート2

自己紹介 パート2

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主人と出会うことで、生きる希望が湧いてきたことが助けとなり、出会って半年で私から少々駆け引きめいたプロポーズをし、入籍しました。

その半年後、父は孫の顔を見ることなく、妹を守ってやれよと私に言い残し、肺がんでこの世を去ってしまいます。

長い期間母が自宅で看病をしましたが、最後の2ヶ月間は、母と仕事を休職した私と二人三脚、四六時中、病院に寝泊りして付き添い、皆で最期を見送りました。

30歳過ぎての待望の妊娠。退職後、子育てしやすい環境に引越しをして出産します。

出産後、体調は以前のようにはなかなか戻らず不安でしたが、キャリアアップを図りたかったことと収入を得るためにそうもいっておられず、すぐに保育園に預けての職場復帰を望みました。

風邪をひいて中耳炎になってしまった息子を受診させた小児科医からは責められ、貯えがあれば無理して保育園に預けなくていいのにと、息子に申し訳なく情けない思いで一杯でした。

そしてとうとう私の身体は悲鳴をあげ、壊れだします。

横断歩道を渡る途中で心臓がひっくり変えるような不整脈が起こりよろめきました。そこから甲状腺機能亢進様症状、更年期様症状が常に現れるようになってきたのです。

めまい、ふらつき、のぼせ、発汗、動悸、不整脈、背中の痛み、息切れ、倦怠感、不安感・・多岐にわたりました。

休みを利用して幾つかの病院に見てもらっても、検査結果に異常なく、かろうじて自律神経失調症との診断のみがつけられました。

5分もかからない診察。原因がわからないから何もすることがないからと先生の冷たい表情と返答に絶望感を感じました。

それでも、生活のためにと無理をしてパート勤務をはじめた徒歩数分のクリニック。

10段程度の階段を上るのにも息切れがし、動悸が止まらず勤務中に倒れ患者さんと並んで点滴を受ける日もありました。

治療後の心電図や心臓のエコー検査もやはり異常なし。

原因不明でいつ襲ってくるかわからない怖い症状への恐れと、勤務中に声が30秒ほど出なくなり、患者さんの名前を呼べずに慌てる場面もありました。

勤務が終われば大急ぎで保育園へのお迎え、待ったなしの育児が心身に追い討ちをかけていきます。

次第に外出も出来なくなり、仕事もやめざるを得なくなり、とうとうまた職を失いました。

家計をささえるためには、私も働かなくてはならない。こうしてはいられない。

そこで、必要に迫られてはじめたのが、パソコンを使ってネットショップで稼ぐことでした。

まずはオレンジライフのカタログにスタイを載せて型紙をおこし、サンカクヤっで買った可愛い布で手作りスタイを作りました。

しまいにはベビースリング(抱っこひも)までつくれるようになり、一点ものでレトロな雰囲気が受け、販売するたびに即売り切れました。

その後はタレントのちはるさんが激押ししていたビーズランプに魅了され、彫金のやり方を教わり、海外からソケットやビーズを個人輸入してビーズランプショップをおちゃのこネットで立ち上げました。

するとコアなファンや雑貨店からの注文が続々入り、毎日製作に追われて忙しい日々を送りました。

身体が社会に適応しない今、恐らく将来も社会復帰できないだろうと考え、自宅で収入を得る方法を模索した結果でした。

こんな世界があり、自分次第でなんとかなるものだと自信がついていきます。

しかし、その一方で、看護師に戻れない自分を、脱落した人間だと思う気持ちも感じていました。これは仮の自分なのだという思いでした。

本当の自分はどこにいるのだろうか・・
美容も医療もなくした私に、生きがいのある道がみつかるのだろうか・・

私のつくる雑貨を求めてくれるお客様の存在に感謝し、役に立っているという思いでかすかに自信が蘇ってはきましたが、それでも、相変わらず体調は最悪でした。

日増しに酷くなる自覚症状。誰にも理解してもらえない苦しみ。なんとなく、このまま何もせずにいけば、程なくして倒れるだろうという予感がしていました。

あるとき、覚悟を決めた自分がいました。

どうせ長くないなら、たったひとつでも勇気をもって自分に誇れるものを得る事が出来た母だったと息子に残したい。

すぐに思い浮かんできたのは、過去に受けた数々の心のトラウマでした。

散々逃げてきた、このトラウマを乗り越えて、まっすぐに生きていきたいと決意し、トラウマを呼び起こす場所へと出向く決心をします。

子どもを保育園に預け、家族が困らないように様々な手続きについての手紙をしたため、いつどうなってもいいようにして向かいました。

崖から飛び降りるような思いで挑み、やっとの思いで乗り越えたわたしは、出産直後の心境にも似た恍惚感と爽快感を味わっていました。

心身がまるで空っぽになった気がしました。
その数日後、運命的なシチュエーションで食事療法と出会うことになります。

今までわたしを苦しめてきた長年の体調不良は、その翌日、起床した瞬間から体が温かく、軽くなっているのを実感したのです。

うそでしょ?たったこれだけで・・?

日を追うごとに辛かった自覚症状も穏やかに改善されていきました。ついに生き地獄から脱出することができたのです。

何が起こったのか?? 当時の私には謎だらけでした。

今ならそのからくりを言葉で説明することができますが、当時は魔法にかかったかのような毎日でした。

そして、その後はその食事療法のアドバイザーの資格を取得しようとますます生きる喜びに満ちていきます。

そして、体調を取り戻した私は、また看護師へと舞い戻りました。

救命救急の看護師を目指し、救急病院に就職します。毎日がめまぐるしくすぎましたが、心身は健康そのものでした。

看護師として生きていることに自信がみなぎります。全てはうまくいっていました。

オーガニックに目覚めた生活の中で、本当の自分探しを本格的に始めていくようになります。

食事に関わることで出会う人たちは皆スピリチュアルな人たちばかりで刺激的でした。

込み入ったことを話すわけでもないのに、その場にいるだけで心が癒されたり、驚いたり、喜んだり。新しい世界が開けた気がしました。

そんな中で、身体的に潜在意識にアプローチする方法と出会い、こころを掴まれました。

ここから、潜在意識を追及するきっかけを得て、更にのめりこんでいくことになります。

なぜなら、まだ私の症状は完全に解消されていなかったからです。

随分と楽に普通の生活ができるようになったけれど、まだ完璧ではない感じがしていました。

それはもしかしたら、思いの癖、物事へのとらえ方などの心に関するところにまだ何か残っているのではないかと思えたからでした。

その後、深層無意識に関する様々な種類のカウンセリング、ヒーリングをセラピー仲間たちから影響をうけて数珠繋ぎに学び続けました。

やがて私の関心は、西洋医学から東洋医学、統合医療の分野へとシフトしていきます。

自らの心身を回復させるべく学び続けた様々な癒しは、その後、母のがん克服の場面で大いに生かされていくことになります。

2011年2月末、ステージ4の母の虫垂がん、子宮体がんが発覚します。

当時、ACLSの資格取得を目指していた私は、母の看介護に専念する覚悟を決め、総合病院を退職します。

15時間にも及ぶ手術、縫合不全を無事に乗り越え、6月に退院。その3ヵ月後には多発性肺転移で余命半年と宣告されます。

抗がん剤の選択をしなかった母と、できれば楽に母らしく笑いながら暮らさせてあげたいと思った私は、一か八か、私が最も信頼できると思えるものを総動員させた闘病計画をたて、二人三脚で取り組みました。

その2ヵ月後、母の肺にあった多発性の転移がんが全て消えてなくなっているという奇跡のような現実を目の当たりにしたのです。

間違いなかったんだ…
でも何がどう効いたんだろう…

そこからまた様々な検証を行い学びを深めていきました。
しばらくはお声がけいただいた仕事に積極的に携わっていきます。

統合医療の病院スタッフや患者さんへの健康セミナー、個人でのご相談、NPO法人の健康新聞の記事の執筆などの活動を意欲的に行っていきました。

そして、ようやくまたここで、思いもよらず占いへと舞い戻っていくことになるのです。

それは、母のことが落ち着いてきた頃、また看護師へ戻ろうとして出向いたハローワークでの出会いでした。

某大手の占い館の募集に、面白い!これだ!と直感的に思った私は迷わず面接へ出向きました。

無事に入館テストに合格し、占い館の占い師として仕事に就くようになります。

しかし、駆け出しの占い師が単独の仕事でまとまった収入を得る事は難しいものでした。

当初の看護師への想いも捨てられずにいたため、病院ではなく、地域へ飛び込もうとケアマネジャーに転身して両立を図ることになります。

幼少時代には、まったく気付くことさえなかった先人達の深遠なる叡智がつまったタロット。私の心身で実際に体験して学んできたことが一致してつながったのです。

そして、高齢者のお宅を訪問していく中で、元気なお年寄りが意識的に実行している食生活や運動、精神の持ち方、その反対の心持で生活するお年寄りの特徴を把握していきます。

それらが裏づけになるかのように、更に心身の取り扱い説明書に追記され、より確固たるものへと変容していきました。

「私はこの揺ぎ無い、生きる智恵をタロットに乗せて人々に伝えて生きたい。」あるとき、そうひらめきました。

ただ、まず集客力のない私には、何時までたっても、知人以外に届けられませんでした。そして、新たにネットでの集客方法を学ぶことを決意することになります。

SEOなどの知識を増やし、更に副収入を得るための情報も生徒さんにお伝えできるようにと、もくもくと検索しては独学し、行き詰って幾つかの高額塾にも入り、実際に手がけては評価を繰り返しました。

どんな自分にもOKを出せ、自他共に許しあえる心持ちになれたら、どれほど生きやすくなるだろう!

心身共に元気になっていくとともに、そういう希望を具体的に持つようになっていきました。

平成30年4月、今度は認知症を患っていた母の状態が悪化し、一人暮らしは不可能と判断した私は、自宅へ呼び寄せ同居をはじめます。

看護師やケアマネジャーの知識は最大限に生かされましたが、ここからまた、母を通して自分との激しい対話が始まります。

奥底に眠っていた幼少期に受けた傷や、過去の残骸が浮かび上がります。暫く苦しみながら、自分とのそれとけりをつけていきました。

そしてようやく平成30年末、念願の『タロット占い師デビュー講座Ⅰ』を開講。一気に活動が加速していきます。

母を看ながらの活動はままならないけれど、多くの生徒さん達がこの心の持ち方をさらに多くのクライアントさんに伝えてくれたら、そのご家族や友人も幸せな人がどんどん連鎖して増えていくはず。

子育てや介護で自由を失った私のような女性たちの健康と生き甲斐を取り戻すために、自分がもっと自由に活動をしていきたい!

その思いは強く、これまでのパート勤務とネット集客で掛け持ちしていたタロット講座の両立生活にピリオドを打ちました。

母の介護をしながら、母に投影した自分の本心ととことん向き合うと決め、活動の拠点をオンライン講座一本に絞りました。

SNS集客もせず、メルマガ集客をせずとも、SEO対策だけで上位にキープしていたサイトのおかげで、ブログ内の記事を更新するたびに新しい生徒さんが次々に受講して下さいました。

徘徊する母の安全を横目で確認しながら、体調もすこぶる順調にオンライン講座に生きがいとやりがいをもって幸せな毎日を送っていました。

そして同時に、その時々で強い関心を持った手技にトライしました。遠隔波動整体もそのうちのひとつです。

通学のみの講座でしたが先生に無理を言って頼み込み、遠隔施術なので問題なく、その熱量から誰よりも早くマスターしていました。

その他、鑑定の腕を磨く様々な講座もたくさん受講して知識と手技を磨いていきました。

ご縁のあった受講生たちの希望を聞きながら講座を次第に増やしていき、タロット講座以外にも、ヒーラー講座、チャネリング講座、遠隔波動整体師講座などを開講しました。

生徒さんの鑑定力をつけるためのモデルとなりながら、相変わらず母との関係から次々に浮き彫りになってくる私の課題と向き合い、気づきを深めていきました。

占いや波動療法などの気・エネルギーを扱うツールは、今の自分の状態で具現化するであろう未来を垣間見ることができたり、遠方で来れない・動けない寝たきりの方の心身も整えることもできる素晴らしいものです。

ですが、私たちが生まれてきた目的そのものを覚えている心と体にアクセスし、そこに気付いて行動を一致させていくためのツールとして用いることで大いに力を発揮してくれると思っています。

何をしても気分が乗らないとき、イラついたりするとき、占いで気の流れを確認すると丁度そういうことが起こる流れが来ていたりすることがあります。

それに気づくと不思議なことに滞っていた気がスッと流れて楽になるのです。

命術の先生は「無意識でいるからそれが起こるのだ」と仰っていました。
この言葉はハッとさせられました。

何か良くないことが起こるたびに自分を責め続けていた私は、この言葉を聞き、またいろいろな人を鑑定してようやく、自分が弱いからじゃなかったんだって思えるようになりました。

2024年4月、母のがんを克服した時のことを家族の視点から書いた初の書籍を出版しました。

しかし、書籍ではあまりに過激すぎて伝えきれなかったこと、伝えたくても書いてはいけないこともありました。

ご感想をいただくと感動してくださる方が多く、書いてよかったと心から思いましたが、もっとお伝えしたいことがあるのも事実です。

その部分を電話相談を通じてお一人お一人にじかに伝えることができる機会を頂くことはとてもありがたいことだと思っています。

初本はがん克服に対する思いの力をテーマに書いたのですが、(基本の食事についても少し掲載しました)ココナラでも経験を積ませていただいて、2作目はさらに具体的に踏み込んだ食をテーマに書きたいと思ってています。

思いの力は生きる上でとても重要ですが、心は体が整ってから遅れて整っていきます。憔悴した体では、十分に現実を好転させられるほどの思いの力を発揮することが難しくなります。

まず体の機能を正常に働かせることが先決だということを身をもって明確に落とし込んだのです。

このことの重要性にあらためて気が付かされたのは、実は母の看取りのときでした。

母は2024年の夏ごろからふらつきがひどくなり目が離せなくなりました。手すりもますます増え、リビングはアスレチックジャングルのようになっていました。

この頃からオンライン講座の途中で母の介護をすることが多くなり、生徒さんをお待たせしたりすることが増えてきたので講座を閉鎖する決断をしました。

10月ごろからは一気に母の体調が悪くなり、腎機能をはじめ、様々な血液データが悪化していました。左の肺に少し水も溜まっていたのです。

翌月、自室内で2回転倒し、数日後には動けなくなり、かつて私が働いていた病院へ救急搬送となりました。

母はわずか10日程度の入院で驚くほどやせ細り、別人のように生気のない表情になって帰ってきました。

こうなることを予測し、退院前に訪問診療、訪問看護の手配をしました。ですがもう体はもとには戻ることができず、約2か月間という闘病ののち家族に見守られながら息を引き取りました。

母を看介護している2か月間、私は食事、特に栄養について着目しました。

母のすでにぎりぎりだった肉体の機能は、もはや内服薬や補液では調節し難く、栄養を入れたところで復活する余地はもうありませんでした。

どの栄養を入れたら検査データがどの程度変化するのか、そのデータの細かな変化と母の実際の状態の反応を細かく追っていくことから様々なことが見えてきました。

NSTという資格を取ろうかとも思ったほど、食をもっと掘り下げた栄養について関心が高まったのです。

私が師と仰ぐスピリチュアルカウンセラーの江原さんは、人は生まれる時期も人生のカリキュラムもすでに立てて生まれ、そしてやがて迎える終の時期その様子も決めてきているといわれます。

前世や体内記憶のある子供たちも同じことを言っていますが、ならば母は最期の状況をどういう理由で決めたのだろうと、ふと思ったのです。

私は、母の面影のある部屋で一人ぼ~っと過ごしながら、しばらくそんなことを考えていました。

母が転倒する少し前くらいから、私の体にも少し気になる異変が起きていたことを振り返っていました。

そのたびに波動整体で症状を改善させ、根本原因を内観や占術などで明らかにして心を整えながら過ごしていました。

しかし、母が亡くなり2か月ほどした辺りから食が細くなり、どんどんやせてきたのです。

年齢とともに代謝が落ち、少しぽっちゃりしてきた体形をどうにかしなくてはと思っていたところだったので、あまり気にしていませんでした。

そして四十九日辺りで今まで感じることがなかった体の違和感に襲われ、言いしれない恐怖を感じました。

これは霊障とは無関係だと体感でわかっていたので、素直に私の生活スタイルに注目しました。

そしてまたここで浮上してきたのが食だったのです。これまでの食の知識と合わせて強化した食事療法を取り入れ、悪化を防ぐことができました。

このことに気づかなければ、本当にやばかったと正直思いぞっとしました。またあの頃のように生き地獄の日々を送るのはもう体力的にも辛いものがありますから…

メンタルの不調は体の機能がうまくいっていないときに優先的に起こるのだということをはっきりとその時、体感として理解しました。

さかのぼれば、これに気づくためのサインがたくさんあったことに気づきました。

かつて食事で救われた私の心身でしたが、当たりまえになりすぎて、少々のことは手を抜くことを覚えてしまっていたのです。

ここへきてさらにまた食事の重要性を思い知らされることになったのです。

マズローの欲求の5段階というのがあります。
三角形の形をしていて、上に行くほど細くなる三角の形です。
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※画像はお借りしています。

一番下は生理的欲求。生命維持に必要な、食べ物、水、睡眠、排泄などの欲求です。

その上は安全の欲求。身体的および精神的な安全、安定を確保する欲求です。

次は社会的欲求。職場やコミュニティで仲間との親密性を求める欲求です。

次は承認欲求。他者から存在を認めてもらいたいと願う欲求です。

次は自己実現欲求。自分の可能性を最大限に発揮し、夢や目標を達成することを求める欲求です。

最後の頂点はこの図にはありませんが、近年になって発見された自己超越の欲求の6段階目があるというのがわかったそうです。

人間の最終目的地、自己超越の段階は、5段階目の欲求である自己実現を終えた人間の一部が、周りの人間や社会、世界などの自分という枠組みを超えた対象に「貢献したい」と感じる欲求のことです。

マズローによると、この状態に達することができるのは全体の約2%とされているとのこと。

マズローは、この欲求階層説に基づいて、人間の成長は生理的欲求から順番に満たされるにつれて、高次の欲求を求めるようになるという考え方を示しています。

心身の健康のバランスもこの段階に似ていると気が付きました。

範囲の広い土台の生理的欲求の体の健康が整ってこそ、しっかり上の欲求が安定して機能してくるのだということにです。

グラグラした土台にいくら精神的に優れたことを学び実践したとしても、食事が乱れ、様々な自覚症状に見舞われて精神的にも不安定になるのだとしたら、選択の連続な人生の舵取りが上手に行えるはずがありません。

この部分が非常に重要だととらえることができた瞬間でした。
案の定、私のバランスを崩した体内は心の方にも手を伸ばしていたのです。

心は体が整ってからゆっくり回復していきますから、母を失った悲しみを受け止める前に体を整えることが急務でした。

メンタルの調整に気をとられ、体の消耗に関しては油断していました。見えなくなってもなお母に助けられた気がしました。

母が選んだ終の形。もっと穏やかでもよかっただろうにと思いましたが、体が治療を受け付なくなり、口から食事がとれなくなって亡くなるという終の形を母は選んだのです。

母は最期の最後に、私にその重要性を示していくために、皆にそのことを教えて逝くために、そう設定したんじゃないかと思えました。

やっと腑に落ちたことで、どこか詰まっていた胸の奥のつかえがとれたような爽快感を感じました。

私がこれから手掛けることは、自分の身をもって立証した食とライフスタイルで体を整え心の健康を維持していける人を増やしていくことです。

それだったら、もう伝えられることはたくさんある。
今すぐにでも活動ができる。そう確信しました。

私はずっと私の居場所を探していたんですよね。

医療と美容だと思いついた10代から、この歳までに体験して体で学んできたことを総動員したら、なんてことはない。

すべてここに全部あったことに気づいたときに心が満たされたのです。
やっと見つけた!と。

まるでメーテルリンクの青い鳥のようですね。
でもこの青い鳥って、二人がもしあの旅に出なかったら、家で見つけることはできてなかったんじゃないかな。

母は意識してはいなかったでしょうが、やっと私がそのことに気づいたことで、ようやく母の人生プログラムが完結したわ~って今ごろ魂の姿でホッとしてるのではないでしょうかね。そう勝手に思っているのです^^

この現実の目に見える世界と、目には見えないけれど確かにある世界を私はつなげることができるという個性を頂いたのも必要だったからに違いありません。

たった今苦しい思いで日々這うように生きている方がいたとしても、それには必ず意味があり、必ず出口があり、見つければその先の扉が開くはずです。

すべてのことは間違いなくすべて良いことのために起こっています。
必要なメッセージはいつもあなたのそばで気づいてもらえるようにそこに居ます。

あとはいかに気づいて、自分のタイミングとペースで行動するだけ。

私も今現在進行形で、母を亡くした精神的ストレスが引き金になって落ちかけていた心身の微調整を図りながら変化を観察し続けています。

より具体的に安全にどうすれば症状を解消させ、苦痛を解消させ、日々穏やかに暮らせるかを、わかりやすく説明できるアドバイザーになれるよう研究して精進していきます!

こんな私と一緒に、あなたのその心と体のつらさが送っているメッセージを受け取って終わらせていきませんか?

どんな小さなことも大きなことも、心身からのメッセージを受け取れたら未来を見つめて生きる力が湧いてきます!

反動が一気に来ないように焦らず少しずつ良くなる方法を一緒に見つけていきたいと思っています。そして一緒に喜びをシェアしあえたら嬉しいです。

あまりに赤裸々に書いてしまったので、もしかすると引かれたかもですが、これが嘘偽りない正直な私の現在までの姿です。

電話相談なので顔が見えないからといい素っ裸ぶりが過ぎてしまいました。笑

実は私は、繊細だから顔出ししないだけなのではなくて、心が素っ裸になりやすい環境をつくるためにもお互いの顔を見ずに相談も鑑定も講座もやっているんです^^

あなたにも、おなかの底から笑えるようになってもらいたいな。

それが何よりもどんなことよりも私にとって素敵なことなのです^^

長い長いプロフィールとなりましたが、ここまでご覧いただいて本当にありがとうございましたm(__)m♡

愛をこめて♡


れいこ




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