今ならわかる初恋
初恋♥ 〜夏の水遊び〜
あの夏の日曜日を、僕は今でも鮮明に覚えている。
陽子さんは一つ年上で、僕の家の三軒隣に住んでいた。母親同士が仲良しだっ
たから、物心ついた頃から、僕たちはいつも一緒だった。
「ねえ、水遊びしよう」
八月の午後、陽子さんが庭先に現れた。白と青の服に麦わら帽子。その笑顔に、僕は何も考えずについていった。
近所の小川は、子供の膝くらいまでの深さしかない。でも僕たちには、それで十分だった。
水を掛け合い、小さな魚を追いかけ、笑い転げた。陽子さんの濡れた髪が、西日にきらきら光っていた。
「まだ帰りたくないね」
彼女がそう言うから、僕たちは夕焼けが空を染めるまで水の中にいた。
翌朝、母から聞いた。
「陽子ちゃん、お熱出して学校お休みだって」
胸がちくりと痛んだ。きっと、昨日の水遊びのせいだ。
そしてその翌日——僕も熱を出して寝込んだ。
布団の中で、ぼんやり天井を見つめながら、僕は陽子さんのことを考えていた。彼女も今頃、同じように布団の中にいるのだろうか。同じ風邪を分け合っているような気がして、少しだけ嬉しかった。
あれから何年も、僕たちは一緒だった。
母親たちに連れられて観た映画。夏の夜の野球場。花火大会の人混み。隣にはいつも陽子さんがいた。
けれど——
中学に上がった頃から、何かが変わった。
同じ学校なのに、廊下ですれ違っても、どちらからともなく目をそらすようになった。話しかける言葉が見つからない。あんなに自然だった距離が、急によそよそしくなった。
「異性」という言葉の意味を、僕たちは知ってしまったのだ。
あれからどのくらいの年月が過ぎただろう。
陽子さんは今、どこで何をしているのだろう。どんな女性になったのだろう。
夏が来るたび、僕はあの日の水遊びを思い出す。
西日に光る濡れた髪。水しぶきの向こうの笑顔。そして、二人で分け合った小さな風邪。
あれが初恋だったのだと、今ならわかる。
〜完〜