いつもの気心知れたクライアントさんに言われたんよ。
「あの投稿(前回)さ、高級車ちょっとディスってない?」って。
いやいやいや、ディスってないって。興味がないだけなんだって。
そこ、そんなに引っかかる?って思いながら、コーヒー吹きそうになったわ。
高級車が悪いなんて一言も言ってないのよ。
むしろ、いいと思うよ。
あれはあれで完成された世界観だし、ちゃんと意味がある。
僕がその“戦場”にいないだけ。
ほら、RPGでもさ、魔法使いが重装備の鎧着ないでしょ?あれと同じ。
装備が違うだけで、別に戦ってないわけじゃない。
でもまあ、たしかに成果報酬やってますって言ってて、出てきた車が小さなイタリア車だと、「意外ですね」って言われるのも分かる。
みんなの頭の中では、成功者=メルセデスとかBMWとか、なんならフェラーリみたいな方程式ができあがってる。
そこにチンクエチェントで現れると、ちょっとバグるらしい。……って、待って。僕、いつの間に成功者側に座ってんだ?
会社を「面倒くさくなったから」って譲ったヤツが言うのも、なんか違うよね。そもそもそのゲームから降りてるって話で。
でもさ、面白いよね。
この「車=ステージ」みたいな暗黙の了解。
初対面で「こいつはどの階層だ?」って測る空気、経営者界隈には確実にある。
口では言わないけど、目が言ってる。
信用できるか?明日潰れないか?ちゃんと資本主義ゲームで生き残ってるプレイヤーか?って。
そこで高級車は、言葉を使わない履歴書になる。
「最低限この車を維持できるキャッシュフローありますよ」という無言の証明。
ある種の“入場チケット”。
同じ車、同じ時計、同じゴルフ場。
それを揃えることで、「私は異分子ではありません」とショートカットで伝えるわけだ。
なるほどな、とは思う。
合理的といえば合理的。
でも僕はそのショートカットを使ってないだけ。
徒歩で入場しようとしてる変なやつ、くらいのポジションかもしれない。
ただね、ここで誤解してほしくないのは、高級車そのものを否定する気はまったくないってこと。
だって機能があるんだから。道具として優秀なんだよ。
ちゃんと“使いどころ”がある。
問題は、それを目的にしちゃうかどうかなんだと思う。
車はアクセルを踏むためのものだけど、アクセルを踏むこと自体がゴールになったら、どこにも辿り着かないでしょ?
僕はたぶん、そこにあんまり興味がないだけなんだよね。
でさ、その「道具として優秀」って話をもう少しちゃんとすると、高級車って本当に合理的なんだよ。
特に経営者同士の世界ではね。
まず“同類シグナル”。これ、めちゃくちゃ強い。
初対面でフェラーリやGクラスで現れたら、「ああ、この人は少なくともこのクラスを維持できる人なんだな」って一瞬で伝わる。
通帳を見せるわけにもいかないし、「年商いくらです」なんて名刺に書くわけにもいかない。
だから車が無言でしゃべるわけ。
いわば“与信の可視化”。「私はこのゲームでそれなりにスコア出してますよ」という表示灯みたいなもんだ。
しかもね、これ地味に効くのが“摩擦係数の低下”。
最初の値踏みタイムが短くなる。いちいち「この人、大丈夫かな?」って探り合いをしなくて済む。
共通言語もできる。
「次はベントレーですか?」みたいな中身のない雑談ですら、潤滑油になる。
ビジネスってさ、案外そういう無駄話で空気が決まったりするから侮れない。
さらに言うと、限定モデルなんかは資産価値が落ちにくい。節税と資産防衛を兼ねた“走る金塊”。もう完全に金融商品。タイヤついてるだけ。
だから、不動産や金融、士業あたりで車を見られる文化が残ってるのも、まあ分かる。
数百万の外商やってる人が小汚い軽自動車で現れたら、ちょっと不安になるでしょ?
高級ブランドがディスカウントストアのワゴンに無造作に積まれてたら、ありがたみ薄れるでしょ?
あれと同じ理屈。
そしてもう一つ。「待ちの営業」。
成功者の匂いをさせておくと、出資話や儲け話を持ってくる人が勝手に寄ってくる。
自分から営業しなくてもいい状態を作れる。これ、戦略としては相当強い。
つまり高級車って、ただの移動手段じゃなくて、“信用の圧縮ファイル”みたいなものなんだよ。
言葉にすると長い説明を、一瞬で済ませる装置。
合理的だよね。ほんとに。
でもさ、合理的なものって、だいたい副作用もセットなんだよ。
そこから話がちょっと面倒くさくなってくるんだけど。
副作用、これがまあまあ厄介でね。
まず「維持」という呪縛。高級車って買うのがゴールじゃない。
維持してナンボ。保険、メンテ、駐車場、そして何より“イメージ”。
一度そのステージに上がると、降りづらい。
「あれ?あの人、ベンツからプリウスに変えたらしいぞ」なんて噂が立とうもんなら、なぜか業績まで心配される。
いやいや、車とPL関係ないから、って話なんだけど、世の中そんなもんだ。
つまり「看板」に縛られる。上げたら下げられない。
これ、地味に精神削るよ。見栄のメンテナンスコストってやつ。
キャッシュよりも厄介なのは、プライドの維持費かもしれない。
それから群れの比較レース。ベンツに乗ったら次はベントレー、その次はロールス?終わりのない相対評価。
自分がどこに行きたいのかより、「周りより上かどうか」が基準になる。
気づいたら、自分の人生なのに他人のスコアボード見ながら走ってる。これ、ちょっと滑稽じゃない?
あとね、これ言いにくいけど、「変な人」も寄ってくる。
金の匂いに敏感なハイエナ的な人たち。
もちろん素晴らしいご縁もあるよ。
でも割合で言うと、妙なのも混ざる。
成功の匂いって、蜜でもあるけど罠でもあるんだ。
そして何より、全員が鎧着て会話してる感じになる。
舐められないための武装は、同時に本音を出しにくくする防具でもある。
腹の探り合い。誰がどこまで本気か分からない。
安心のための装備が、距離も作る。
合理的なんだけど、自由度は確実に削られる。
僕が興味ないって言うのは、たぶんここなんだよね。道具として優秀なのは分かる。
でも、その道具に自分の首輪をつけられる感じが、どうも性に合わない。
まあ、鎧が似合う人もいるし、それで勝てる人もいる。それはそれで美学だと思うよ。
ただ僕は、できれば軽装で行きたいだけ。機動力重視。HPは低いけど回避率高め、みたいなやつ。
とはいえさ、じゃあ軽自動車で数百万の商談に行けるのかって言われたら、そこはちょっと考えるよね。
外商で何百万、何千万って動かす人が、ヨレヨレのポロシャツで現れたらどう思う?
高級ブランドがディスカウントストアのワゴンに雑に積まれてたら、ちょっとありがたみ薄れるでしょ?
ん?さっきも同じようなこと言った気がするな。ま、いいや。
結局ね、見た目は“入口”なんだよ。中身を判断する前の、フィルター。
だからね、車に乗ろうが乗るまいが、本質は変わらない。
取引相手にとってValueがなければ、商売なんて続くわけがない。
フェラーリに乗ってようが、FIAT500だろうが、提供価値がゼロならただの高級な移動物体。
逆に、価値が本物なら、多少見た目が地味でも残る。
車は信号機みたいなものだと思ってる。青ならスムーズに進める。赤なら止まる。
でも、どこに行くかを決めるのはエンジンでしょ?信号だけ眺めてても前には進まない。
だから僕は言うわけ。乗りたきゃ乗ればいい。自分で稼いだ金なんだから。
誰かに拳銃突きつけて「俺フェラーリ欲しいから財布よこせ」ってやってるわけじゃないなら、自由でしょ。
投資目的でもいいし、節税でもいいし、資産防衛でもいい。時計だって同じ。
経営者界隈じゃ「時計は名刺より雄弁」なんて言う人もいるくらいだし。
でも僕は、たぶんそこに熱がない。怒られそうだけど、本当に興味が薄い。
車も時計も、道具以上でも以下でもない。
じゃあ何に興味があるかって?
結局ね、「人」なんだよ。
経営って、どんなに綺麗な戦略図を描いても、最後は人で決まる。
トップかもしれないし、ナンバー2かもしれない。たった一人で全部ひっくり返ることもある。
組織をやったことある人なら、身に染みてると思うよ。
トップダウンだろうがボトムアップだろうが、最終的には人の器の話になる。
車の排気量より、人の胆力のほうがよっぽど経営に効く。
ここから、ちょっとだけ昔の話をしてもいい?
昔っていっても、戦国時代だけどね。中国の。急にスケールでかくなったなって?
まあまあ、雑談だから許して。
韓非子って知ってる?「矛盾」「信賞必罰」「逆鱗に触れる」とか言葉の元ネタの人。あの人がね、リーダーの器を三段階で言ってるんだよ。
「下君は己の能を尽くし、中君は人の力を尽くし、上君は人の智を尽くす」
ざっくり訳すと、三流は自分の能力をフル回転させる人。二流は人の労働力をうまく使う人。一流は人の知恵を引き出す人。
三流はね、自分が優秀すぎて部下の仕事まで奪っちゃうタイプ。「俺がやったほうが早い」って全部抱える。
中君はちゃんと任せるけど、命令通りに動かすだけ。
上君は違う。部下に考えさせて、自分以上の知恵を出させる。自分は何もしてないように見えて、組織を最大化させる。
これ聞いたとき、うわ、耳痛って思ったよ。
高級車がどうとか、時計がどうとか言ってる前に、お前はどの段階なんだって話でしょ?鎧の話してるけど、中身はどうなんだって。
で、この流れでいくとね、僕はたぶん三流。
いや三流って言うとちょっと持ち上げすぎかな。七流くらいにしとくか。
赤字出したことはないけど、サブプライムのときは普通にヒヤッとしたしね。
あの頃は本当に胃が痛かった。若かったなあ…って、しみじみする歳になったのが一番ショックだけど。
結局さ、車はステージを“示す”ことはできる。
でも人の器までは示せない。
フェラーリはあなたのキャッシュフローは証明してくれるかもしれない。
でも、あなたが部下の知恵を引き出せるかどうかまでは証明してくれない。
だから僕はFIAT500でいいんだと思う。
別に美学ぶってるわけじゃなくて、単純に今の自分の戦場にそれで足りてるから。
もしまた組織を大きくする気になったら?
そのときは鎧を着るかもしれない。でも今は、軽装で十分。
だって最終的に問われるのは、エンブレムじゃなくて、人間のほうだからね。
追伸。
「哲学よく読んでるよね?」ってたまに言われるけど、いやいや、読んではいるけど分かってるとは言ってないからね?
あんな難解なもの、スラスラ理解できる人のほうがどうかしてると思ってる。
ニーチェとかカントとか、読んでるときは「なるほど」って顔してるけど、閉じた瞬間に霧よ。
あれを完全に咀嚼できてる人がいたら、ぜひ脳みそ見せてほしい。
どっちかというと、僕が好んで読んできたのは戦争理論のほう。
孫子、呉子をはじめとした武経七書、クラウゼビッツ、ランチェスター、リデル・ハート…。
なんでそんな物騒なものをって?いや別に戦争したいわけじゃないよ。
むしろ逆で、不確実な状況でどう判断するか、その思考プロセスが面白いんだよ。
戦場って、情報は不完全、状況は刻一刻と変わる、失敗すれば致命傷。
これ、経営とほぼ同じでしょ。そこで問われるのは「軍事的天才」なんて呼ばれる、直感と知性の融合体。
力任せに突撃するんじゃなくて、どうすれば最小の消耗で最大の効果を出せるかという“智略”。
面白いのはね、古今東西の戦争理論を読んでると、結論がだいたい似てくること。
もちろん物理的な力、兵力、資源、めちゃくちゃ大事。そこは否定しない。
でも最終的に勝敗を分けるのは「どう使うか」。つまり知恵と戦略。
力があっても、使い方を間違えたら負ける。
逆に劣勢でも、局面を読み切ればひっくり返せる。
これ、さっきの高級車の話とどこか似てない?
物理的な“力”としての象徴はあっても、それだけでは勝てない。
どう位置取りするか、どこで戦うか、何を捨てるか。そこが一流とそれ以外を分ける。
そういえば前に話した、佐藤義典先生の「戦略BASiCS」。
あれの源流って、おそらくリデル・ハートの“間接アプローチ”だと思ってる。
真正面から殴り合うんじゃなくて、相手のバランスを崩す方向から攻める。力と力をぶつけるより、重心をずらす。
戦争理論って物騒に聞こえるけど、要するに「どう賢く生き延びるか」の研究なんだよね。
だから僕は、哲学を分かった顔で語るより、戦場で迷子にならないための地図を集めてるだけなのかもしれない。
まあ、その地図を読めてるかどうかは、また別問題なんだけどさ。
追追伸。
今日ね、クライアントさんと、その会社の若手の部下っぽい人と喫茶店で打ち合わせしてたんですよ。
で、その若者に、ちょっと鼻で笑われたんだよね。
いや、実際には笑ってないよ?声には出してない。ただね、目が笑ってた。
あの「まだそれ使ってるんですか?」っていう、静かなやつ。
何を見られたかっていうと、僕の作業環境。このAI時代において、未だにExcelとSPSSがメインツールなんだよ。
「え、AI使わないんですか?」みたいな空気。いや、使うよ?もちろん使う。
でもね、ランチェスターとかリデル・ハートの数理モデルをいじるときは、まだAIに全部任せる気にはならないんだよね。
AIってさ、「それっぽい答え」を出すのがすごく上手い。ほんとに上手い。むしろ上手すぎる。
でも、それが“正しい因果”かどうかは別問題なんだ。
相関関係と因果関係の混同とか、データの偏り、いわゆるバイアスね。
そういうのを見抜く作業は、まだ人間がやったほうが安全な気がしてる。
営業とかマーケティングって、そもそも変数が多すぎる世界なんだよ。
景気もある、感情もある、人間関係もある、タイミングもある。
全部ぐちゃぐちゃに絡み合ってる。いわばカオスの海みたいなもの。
その中で勝つか負けるかを、アルゴリズム一本に全部預けるほど、僕はまだ悟ってないんだよね。
いや、たぶんこの先そういう時代が来るのかもしれない。
でも今のところは、「最後の判断は自分でやる」っていう昭和スタイルが抜けない。
営業も、舐められたもんだなと思うことがあるよ。
数字だけのゲームじゃないんだよね。人間の気分一つで、全部ひっくり返る世界なんだから。
まあ、そういう意味では、僕の頭の中はまだ「24時間戦えますか」の時代から、完全には抜けてないのかもしれない。
……って言うと、また若者に笑われるんだろうけどね。
次は笑われた瞬間に撃墜できるように、FIAT500を魔改造するかな。
ミサイルランチャーと、あとシモノフPTRS1941でも積んどくか。
いや、逃げ足が先だな。まずはスーパーチャージャーからだな。
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