【24時間戦わんでええ。でも、戦うと決めたら、ちゃんと考えて、ちゃんと踏み込んで行こうや。】

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ビジネス・マーケティング
昨日な、中学生の頃にドラッガー先生やらコトラー先生やら読んでた、いう話をしたやろ。

あれな、ちょっとだけ補足しとくと、「本読めや」いう説教をしたかったわけやない。

……まあ、正直に言うと、1%くらいは揶揄も入っとるけどな(笑)。でもな、残りの99%は別の理由や。

そもそもやで。中学生がドラッガー読んだところで、全部わかるわけないやろ。

今読み返しても、「ああ、当時のワイ、ここ全然わかってへんな」思うとこ、山ほどある。(今でもわかっとらんがな)

せやからな、あれは「早熟自慢」でも「賢かった自慢」でもない。

ほんまに、たまたまや。運命や、とか言うたらさすがに気持ち悪いけど(笑)、少なくとも計画的ではなかった。

学校近くにブック・オフあってな、金無い貧乏学生や。時間見つけては店内に入り浸とった。

そんなんこんなで眺めてたらな目に入って、分厚くて、なんか偉そうで、「これ読めたら強そうやな」くらいのノリや。動機としては、その程度。

それでもな、今振り返って思うのは、「なんでこの二人やったんやろ?」ってことやねん。

ドラッガーだけでもない。コトラーだけでもない。わざわざ、この二人を並べて話題に出したのは、理由がある。

というのもな、この二人、性格が真逆なんよ。

ドラッガーは、ずーっと空見とる。「そもそも何のために?」って問いを、何回も何回も投げてくる。話はでかいし、抽象的やし、油断するとすぐ置いていかれる。

一方でコトラーは、めちゃくちゃ現場型や。「で、誰に売るん?」「どこで勝つん?」「どう差別化するん?」って、具体の話しかしない。

この二人をな、別々に読むと、けっこう危ない。

ドラッガーだけ読んでると、頭は良くなった気がするけど、手が動かん。話は深そうやのに、結局「で、何すんの?」って聞かれて詰まる。

逆にコトラーだけ読んでると、その場では動ける。でも、状況変わった瞬間に途端に迷子になる。「前のやり方、今回は通用せえへん…」ってなる。

これ、勉強の話に見えるかもしれんけど、実はもっと日常的な話や。

料理でもそうやろ。レシピ丸暗記しても、材料一個変わったら途端に作れんくなる人おるやん。

かと思えば、「料理は愛情や」とか言うて、調味料の分量も火加減も無視して、なんか黒いもん作る人もおる。

抽象だけでもあかん。具体だけでも足りひん。
ほんまに使える頭ってな、この二つを行ったり来たりできるかどうか、なんよ。

でな、ドラッガーとコトラーを同時に読むと、これを強制的にやらされる。

空見て考えさせられたと思ったら、次のページで「ほな、どうすんねん」って地面に引きずり戻される。

これ、けっこうしんどい。でもな、頭は確実に鍛えられる。

賢くなる、いうよりな。ズレにくくなる、って感じや。ズレにくくなる、言うたけどな。

これ、地味やけど、人生でも仕事でもめちゃくちゃ大事な能力や。

多くの人はな、失敗すると「努力が足りんかった」とか「運が悪かった」とか言う。

でも実際は、その前にズレたまま走っとっただけ、いうケースがほんまに多い。

方向ちゃうのに、アクセル踏み続けてただけ、みたいな話や。

ドラッガーはな、そこをやたらと止めにくる。

「ちょっと待て」と。
「そもそも、その仕事は何のためにあるんや?」
「それ、顧客にとって意味あるんか?」

中学生のワイからしたら、正直うるさいおっさんやった(笑)。

でもな、この「そもそも」を飛ばしたまま、人は驚くほど頑張れる。
頑張れてしまうからこそ、厄介なんよ。

一方でコトラーは真逆や。

「で、今どこで戦うん?」
「全員相手にする気か?」
「勝てる場所、決めてるか?」

夢とか理想とか言う前に、まず地図出せ、言うタイプやな。

この二人を別々に読むと、どっちかに偏る。

ドラッガー派は、話がでかくなる。「社会が」「価値が」「本質が」って。

コトラー派は、話が細かくなる。「数字が」「導線が」「CVが」って。

どっちも正しい。でも、どっちかだけやと、だいたい事故る。

恋愛で言うたら分かりやすい。「この人となら、人生を共にできる気がする」とか言うて、三回目のデートで将来設計語り出す人。

逆に、「返信速度」「スタンプ頻度」「既読時間」ばっかり分析して、相手の気持ちは一切考えへん人。

前者は抽象に溺れとる。後者は具体に縛られとる。どっちも、ズレとるんよ。

ドラッガーとコトラーを同時に読むいうのはな、

「気持ちだけで突っ走るな」
「数字だけ見て人を忘れるな」

って、両方から殴られる感じや。これがな、地味に効いてくる。

仕事でもそうや。

「やりがいあります!」だけで始めた企画は、だいたい途中で詰む。

「数字合ってます!」だけで進めた施策は、だいたい後で嫌われる。

抽象は方向を決める。具体は足場を固める。

この二つを往復できへんと、どっかで必ず無理が出る。

でな、ここが今日いちばん言いたいとこやねんけど、この往復運動って、才能やない。センスでもない。訓練や。

ドラッガーで空見上げて、コトラーで地面を見る。地面見すぎて息苦しなったら、また空を見る。

これを何回もやるだけで、頭の使い方が変わる。

賢く見せるためやない。
意識高くなるためでもない。
ズレた努力を減らすためや。

でなこの往復ができるようになると、何が変わるか。

一言で言うと、「迷う時間」が減る。悩まんようになる、やないで。迷い方が変わる、や。

たとえば仕事で新しい話が来たとする。

多くの人はな、いきなり具体に飛びつく。「それ、もうかりますか?」「工数どれくらいですか?」「前例あります?」って。

悪いことやない。でも、その前に一個、抜けとる。
「それ、誰を幸せにする話なん?」

ここを飛ばすと、あとで必ず歪む。数字は合っとる。段取りも問題ない。でも、なんか後味が悪い。途中でしんどくなる。これ、ドラッガー不足や。

逆もある。

「社会的に意義があって」「世界を変える可能性があって」話は立派。でも、「で、どう回すん?」が無い。仲間は疲弊するし、金は尽きる。これ、コトラー不足。

往復できる人はな、この二つを頭の中で勝手にやる。「意味あるか?」と問いながら、「回るか?」も同時に見る。せやから決断が早い。早いけど、雑やない。

恋愛も似たようなもんや。「好き」だけで突っ走ると、生活が合わんくなる。「条件」だけで選ぶと、一緒におっても味気ない。

うまくいく人はな、「この人とおる意味」と「この人とやっていける現実」を、無意識に行ったり来たりしとる。

面白いのはな、この往復ができる人ほど、自分ではそれを自覚してへんこと
や。

「なんとなく、ちゃう気がする」「ここ、もう一回考えたほうがええ気がする」その“気がする”の正体が、実はこの往復運動やったりする。

でな、ここ重要やけど、この感覚は年齢や経験の問題ちゃう。本を読んで、考えて、行き来した回数の問題や。

抽象に逃げた回数。具体に溺れた回数。両方しくじった回数。

それが多い人ほど、判断が静かになる。声は大きくならん。断定もしない。でも、ブレにくい。で「どうやって身につけたらええんか?」

ここでやっと、さっきの読書の話に戻るな。先に言うとくけどな、特別な方法はない。ワークシートも、チェックリストも、魔法のフレームワークも要らん。

もっと地味で、もっと面倒で、ちょっと退屈なやり方や。

それはな、わざと行き止まりまで行くことや。抽象の本を読んで、「わかった気になる」とこまで行く。

で、「で、これ今日の仕事にどう使うん?」って自分に聞いてみる。答えが出えへんかったら、それでええ。今はそれで正解や。

次に、具体の本を読む。手順、数字、型、全部ちゃんと理解したつもりになる。で、「これ、状況変わっても通用するん?」って聞いてみる。ここで言葉に詰まったら、それも正常。

この「詰まる」を何回も経験すると、人は賢くなるんやない。謙虚になる。

分からんまま突っ走る怖さと、分かったつもりで止まる危なさを、両方体で覚える。

中学生のワイがドラッガー読んでたときも、正直ほとんど分かってへん。
線引いて、ノート取って、「なんか凄そう」って思ってただけや。

でもな、数年後、仕事で詰んだときに、ふとあの一文が頭に浮かぶ。「あ、これのこと言うてたんか」って。

逆にコトラーは、その場で役に立つ。明日どう動くか、今どこを直すか、すぐ見える。

せやけど、数年後には陳腐化する。市場も、人も、自分も変わるからや。

だからな、この二つを同時に持っとく。すぐ使える道具と、時間差で効いてくる問い。どっちか一個やと、人生のどっかで詰まる。

ここまで来たら、もう分かると思うけど、これは勉強の話やなくて、生き方の話や。楽な方に逃げへんこと。分かりやすい答えに飛びつかへんこと。

一回立ち止まって、「これ、ほんまにそうか?」って考えること。それができる人はな、派手に成功せえへんかもしれん。でも、だいたい致命傷を負わん。

ここまで読んでくれた人には、もう分かっとると思うけど、ドラッガーを読め、とか、コトラーを読め、いう話をしたかったわけやない。

言いたかったんは、もっと単純なことや。

考えるとき、空と地面をちゃんと行き来してるか?それだけや。

意味も分からんまま頑張ってへんか。
数字だけ合うてる作業に、安心してへんか。

逆に、立派な理想を語りながら、足元スカスカになってへんか。ズレはな、小さいうちは気づかん。むしろ「順調です」みたいな顔して進めてまう。

でも、距離が伸びるほど、最後に効いてくる。せやからな、賢くなる必要はない。意識高くもならんでええ。

ただ、自分の頭の中で、「これ、何のためや?」「で、どうやってやるんや?」この二つの会話を止めへんことや。

ドラッガーは、空を見上げる癖をくれる。コトラーは、地面を見る目をくれる。

この二つが揃うと、人は不思議と慌てへん。判断は静かになる。
人の言葉に踊らされにくくなる。

「まあ、今はこれでええか」と、自分で決められるようになる。それは成功法則でもないし、勝ち方のマニュアルでもない。

ただ、ズレた努力を減らすための、頭の使い方や。

前回のガンバリズムの話とも、ここで繋がる。条件も揃ってへんのに頑張るのもズレやし、意味も考えずに動き続けるのもズレや。

空を見て、地面を見て、「今はどっちを見る番か」を間違えへんこと。それができたらな、人生はそんなに騒がしくならん。派手な拍手はないかもしれんけど、後から振り返ったときに、

「ああ、まあ悪くなかったな」って言える確率は、確実に上がる。

さて。今のあなたは、空ばっかり見とるやろか。それとも、地面にかじりつきすぎとるやろか。

もし今日、ほんの一回でも、「そもそも」と「じゃあ具体的に」を行き来できたなら、それで十分や。

それ以上は、頑張らんでええと思うわ。


追伸。
前回な、赤点ばっか取って、「勝ちに行くために勉強捨てた」みたいな、ちょっとカッコつけた言い方したやろ。

でもな、あれ、半分ホンマで半分ウソや。

社会人になって、ランチェスター戦略を実務でちゃんと使おう思たらな、これが意外と要るんよ。

高校数学で習う微分・積分とか。時間の経過でどう変わるか、どこで差が開くか、そういう話になってくる。

「ビジネスの戦略立てるだけなら、中3までの知識で十分や」…これは今でも思っとる。実際、お釣りは来る。

せやけどな、深く使おうとした瞬間に、「結局、要るんかーい!」ってなるんよ(笑)。

ほんでな、結局、中学で習う基礎から全部やり直すハメになった。あれだけイキってた過去の自分に、「はい、席について」言いたなったわ。

で、基礎終わって、「よっしゃ、次は数理モデルや」思て書店行ったらな、また本が分厚いねん……。

人生、だいたいこの繰り返しやな、ほんま。

で、ドラッガーとコトラーの話に戻すと、この二人が言うとることって、実は真逆やない。「戦え」やなくて、「どこで、何のために戦うかを決めろ」って話や。

まず一回、空を見る。――方向や。目的や。「そもそも、これは何のためなんか」を決める。

次に一回、地面を見る。――具体や。足場や。今の自分は、ここにちゃんと立てとるかを確かめる。

それから、水面下で準備する。――条件を揃える。勝機はあるか、勝算は育てられるか。見えんとこで、静かに整える。

ここまで来て、初めてや。「ガンバリズム、発動するか?」って自分に聞く。

最後のひと踏ん張り、今の自分にできそうか。できるなら行く。無理そうなら引く。判断するのは、他でもないアンタ自身や。

24時間戦わんでええ。でも、戦うと決めたら、ちゃんと考えて、ちゃんと踏み込んで行こうや。

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さいごに
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 この言葉が、誰かの思考のきっかけや、小さな視点の転換になれば嬉しいです。

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